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ひとりぼっちじゃない君へ-3
「報告はまだか。一体どれだけの時間を費やしている。お前たちは精神科医ではない、研究員だ。早く特殊能力の解明を急げ」
三人の研究員に向かって上層部は言い捨てる。
「あれはマウスだ、手荒な真似をしても構わん」
隹は吐き気を覚えた。
こんな気分は、ここに来て初めてだった。
朝、朝食の乗ったトレイを持って隹は〈鳥篭〉を訪れた。
彼はガラスの前に立って外を眺めていた。
口を開きかけ、何と呼んだらいいのか迷い、隹が黙っていたら。
彼はゆっくりと振り返った。
その頬には涙が伝っている。
「おはよう、式」
湯気の漂うトレイをベッドに乗せ、端に座ると、式は床に引き摺るような足取りでやってきた。
「食べたくない」と、ぽつりと呟いてベッドに乗り上がる。
隹はスープを一口飲んで「結構うまいんだがな」と勧めてやった。
「……眼鏡……」
膝を立てて座り、クッションに片頬を埋めて、式はまた小さな声で呟く。
「昔に使っていたのがやっぱり合わなかった」
「昔って……今までかけていたやつは……?」
隹はスープカップをトレイに下ろすと足を組んで答えた。
「壊れた」
ここは静かだ。
防音効果のある壁にガラス、式一人きりならばほぼ無音に違いない。
マーガレットならばぬいぐるみに話しかけるだろう。
グレイなら本を捲るページの音をそっと響かせるだろう。
「どうして覚えていないんだろう」
肩越しに振り返ると式はクッションに顔を埋めていた。
「俺が壊したんだろう……どうしてだろう、何で思い出せないんだろう」
「式」
「もう俺に近づかないでほしい」
もう誰も殺したくない……。
「お前は誰も殺していない、式」
隹は自分もベッドに乗り上がると顔を伏せる式に言い聞かせようとした。
「お前以外の、別の人格の誰かが……」
隹は言葉を切った。
ゆっくりと顔を上げたその表情は、もう、式のものではなかったから。
「ひどいなぁ」とライアーは頬についていた涙の跡を拭ってくすくす笑う。
「式、また泣いたんだ。あの子は本当に泣き虫だね」
泣いてばかりの可哀想な子。
死にたがりで誰よりも無様で。
「誰が人殺しかお前は知っているのか、ライアー」
眼鏡がないため、隹は距離感が掴めずに、ライアーを間近で覗き込んだ。
ライアーはすかさず歪めた唇を隹の唇に押しつける。
そして彼は囁いた。
「舌入れてくれたら教えてあげるよ」
研究室に戻るとやや興奮気味の繭亡に出迎えられた。
「やっと犯行現場を収めた監視カメラの映像が入手できた」
「ああ……病院側が紛失したとかほざいていた、例の」
「大方、式を虐待しているんでしょう、醜聞が立たないよう、あくまでも害を被った側でありたいのね」
「実行部隊お得意とする違法紛いの荒業で入手したに違いない、まぁ、研究員である我々には与り知らぬところだ」
USBを差し込んで起動させ、アイコンをクリックし、動画を開く。
モノクロの無声映像が流れ出した。
隅には日付と時刻が表示されている、それは正に犯行日時と違わない数字だ。
狭い病室、両手首を後ろ手に拘束された式は体格のいい三人の職員に囲まれていた。
無抵抗を強いられた式の頭を掴み、その口目掛けて、一人が腰を振っている。
予想していたシーンではあった。
繭亡とセラは眉根を寄せ、醜い真実から一瞬だけ、目を逸らす。
隹は胸の奥深くが怒りで焦げつくような錯覚に陥りながらも映像を直視していた。
これは誰なのか。
式本人か、ルーシーか、グレイか。
ネイムレスでないのは確かだろう。
まさかマーガレットなんてことは……。
隹が掌の内側に爪を立てた時、映像上で、些細な動きがあった。
式をベッドに突き放し、腰を振っていた職員が慌てて服を正し、他の二人は笑っている。
次に四人目の人物である女性の看護士が写った。
注射などの医療器具を並べたワゴンも写り込む。
その時、だった。
四人の頭が文字通り破裂した。
壁が、床が、ベッドが、一気に黒い染みで汚された。
三人の研究者は画面に釘づけとなる。
首から上を失った四つの体は次から次に力なく崩れ落ち、看護士が手にしていた注射器も床に落ちて破損した。
式は。
ベッドに顔を埋めていた彼はゆっくりと起き上がった。
横顔がちらりと写り込む。
そして異変を察した医者や他の職員が病室に流れ込んできた。
繭亡はそこで一端映像を止めるとセラと隹に向き直った。
「……今までにない代物だな。これほどまでに強い殺傷能力を見せつけられると、正直、恐怖心を抱く」
自分達が接している研究対象は紛れもない特殊能力を具えた殺人者なのだ。
もしもあの力が自分達を標的にしてはたらいた場合、死、それは免れない。
これまで研究のため複数の能力者と接してきたエキスパートである繭亡も、どこか庇護欲を掻き立てられる式に心を攫われかけていたセラでさえも顔色を悪くする始末だった。
隹は。
動じることも恐れることもなく、画面ぎりぎりまで近づけた双眸を意味深に細め、繭亡に言う。
「巻き戻してくれ」
冷静な彼の一言に、浮かない顔つきだった繭亡は気を取り直し、再生位置をドラッグさせた。
頭が弾け飛ぶシーンに戻った。
セラはつい目を逸らす。
隹はさらに視線を鋭くさせて映像を凝視した。
四つの体が次々と崩れ落ちて。
注射器が割れて。
ベッドに顔を埋めていた式がゆっくりと身を起こす。
横顔が、ちらりと。
「停めてくれ」
カチリとクリックする音が静寂に響く。
「何か言ってる」
隹の言葉に繭亡とセラは目を見開かせた。
「口元、アップにできるか」
「ちょっと待ってくれ、やってみる」
マウスで操作して式の顔を拡大して再生する。
隹の言う通り彼の唇は確かに何か呟いていた。
「何を言ってるの……?」
「何度か繰り返してみてくれ、解読してみる」
「ああ、わかった。内容がわかればきっと糸口に繋がるはずだ」
式に棲息する六つの人格の誰が特殊能力を持っているのか。
その日は朝から愚図ついた天気だった。
遥か頭上に雷雲が押し寄せて低い唸りを轟かせている。
彼はガラスの前に立って暗く濁る空気を眺めているようだった。
「おはよう」
新調した眼鏡をかけて隹は〈鳥篭〉を訪れる。
彼は華奢な肩越しに振り返った。
「胸糞悪ぃ、俺に話しかけるんじゃねぇよ、屑が」
「おはよう、ネイムレス」
式の絶対なる防壁。
お前は知っているだろう、どの人格が殺しをはたらいたのか。
「お前等とは話したくない」
ネイムレスは視線を窓の外に戻してしまった。
隹は距離を保って彼に再び尋ねる。
「どうして話したくない?」
「閉じ込める奴等は嫌いだ」
あの病院も、あの孤児院も、大嫌いだ。
すぐに閉じ込めやがって。
「……だけどここは」
景色が見えるだけマシか。
マーガレットのぬいぐるみも直してもらったしな。
「グレイも好きなだけ読書してんだろ」
「ああ」
ルーシーは好みの相手がいたみたいだな。
ああ、あとライアーもな。
「光栄だ」
殺したのはスリープウォーカー。
そうだな?
「殺害現場にいた式は……いや、彼は、いつもの口癖を呟いていた」
虫がうるさいと。
「バレたか、クソ」
変な力を持ちやがって、あいつ……。
胸糞悪いから大体俺が抑え込んでる。
「お前等がほしいのはあいつだろ?」
雨が降り始めた。
兵士に連れられた軍用犬のシェパードが兎でも見つけたのか頻りに吠えていた。
「言っとくがな、式は誰も傷つけたことがないんだ。そんなあいつに人殺しのイカれ野郎を目覚めさせてみろ」
式は死ぬ。
「だけど、きっと死ぬ自由すら与えられないんだろうな。拘束されて傷ばかり背負わされて、哀れに、無様に生かされる」
そうなるくらいなら俺が永遠に式を眠らせる。
「代わりにお前が傷を負い続けるのか、ネイムレス」
隹が問いかけるとネイムレスはもう一度だけ振り返ってくれた。
「名無しの俺には打ってつけの仕事だ」
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