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ひとりぼっちじゃない君へ-5
一向に衰えることのない雨は車のフロントガラスを滝さながらに流れ落ちる。
ワイパーで視界を何とか鮮明にさせながら、研究所から最も近い街を突っ切っていた隹は背後に声をかけた。
「君の勝ちだ、おめでとう、もう出ていい」
すると後部座席下でこんもりと盛り上がっていたブランケットが車内に舞い上がった。
「かくれんぼは楽しかったか?」
「うんっ」
大袈裟に一呼吸ついたマーガレットはにこにこ笑いながらシートに座り込んだ。
ブランケットに相変わらず包まってろくに見えない窓の外に歓声を上げる。
「わぁ、すごい! ねぇ、今からどこに行くの?」
「どこだと思う?」
どこに行くのか。
決めていない。
とにかく自家発電に切り替わる前に、施設内の至るところに設置された監視カメラのモニターが切れている間に彼を連れ出すのに必死で。
さて、どうするか。
きっと何とかなるはずだ。
「もしかしてお家に帰るの?」
ハンドルを握って慎重に運転していた隹はつい、そっと、息を呑む。
マーガレットのはしゃいだ声に、その希望を手折るのは酷かと少し逡巡したものの、首を左右に振った。
「いや、違う」
「なぁーんだ」
「何か食べたいものは? 何でも買ってやる、いつもより寝心地のいいベッドで食おう」
「……ふぅん、じゃあ……フィッシュバーガーとコーラと……面白い本……かな」
「ああ、グレイか。本は我慢してくれ、代わりにポテトをつけてやる」
隹は背後で蹲るグレイにそう声をかけてハンドルを切った。
ドライブスルーで適当に買い込むと看板の装飾が一際派手なモーテルに入った。
「あそこがいいわ」と、ルーシーが指差して指定したのだ。
「セラと離れ離れになるなんて、最悪」
「すまない」
「ふん、でもまぁ、あんた顔は悪くないから。我慢してあげる」
ベッドに座り込んだルーシーはそこまで不機嫌でもなさそうな様子で食事をしていた。
食後、現れたのはライアーだった。
雨に濡れた、寒いと言って、いつもの調子で隹に擦り寄ってきた。
「ねぇ、暖めて?」
隹は彼の願い通り、抱き締めるようにして、髪を濡らしたライアーをベッドの上で暖めてやった。
ライアーは隹の胸にもたれて満足そうに目を瞑っている。
主人の腕の中で安心しきっているしなやかな猫のようだ。
「まだ寒いか?」
「寒い、全然足りない」
「俺もお前も雨に濡れたからな」
「そうだね、ねぇ、頭撫でて?」
慣れない行為で少々くすぐったい気もしたが隹はまた彼の願う通りにした。
冷たい感触の髪に掌をゆっくり滑らせる。
喉でも鳴らしそうな勢いでライアーは心地よさそうに隹の腕の中で伸びをした。
切れ長な眼と鋭い双眸が、ふと、すぐ近くで視線を分かち合った。
隹は気づいた。
自分に預けられていた肢体が急に硬直し、その表情も、みるみる強張っていく。
ライアーは瞬く間に去って式本人が戻ってきていた。
「な、何……ここ、どこ?」
「式」
「どうして、こんな……離してくれ、隹……」
式は隹の胸に両手を突いて距離をおこうとする。
「俺は誰かを傷つけるから……一緒にいたら……」
式の台詞の続きは隹の唇に呑まれた。
式を大事にしているネイムレスがどう動くのか隹にはすぐわかった。
それは、何故なら。
自分もまた式を大事に思っているからだ。
ネイムレスと同等の盾になりたい。
彼を守りたいと。
「……隹」
「いいんだ、それで……それでも俺はお前のそばにいる」
お前達のそばに。
「お前を守りたい」
苦手な用務員から逃れるため蜘蛛の巣だらけの屋根裏部屋に一人忍び込み、じっとしていた式は、ふとそんな声を聞いた。
顔を上げればひび割れた姿見の向こうで誰かが笑っている。
向こうから両手を鏡に押し当て、まるでこちらへ出てきたがっているような様子で、彼はそこにいた。
「……あなたは誰……」
式は四つん這いになって鏡を覗き込む。
「俺はお前の盾だ」
伸ばされた腕が鏡を突き抜けて式の煤けた頬に触れた。
「お前のそばにいる、式」
鏡から現れた隹は式を抱き締める。
「夜は同じベッドで眠って、太陽が昇れば一緒に目覚めよう。昼は好きな場所へ出かけて、ずっと。ずっと一緒にいよう」
「……俺を独りにしない?」
隹の腕の中で式は涙ながらに囁く。
「しないよ」
答えたのはマーガレットとルーシー。
「俺達は泣き虫のお前をいつだって愛してるんだから」
煙草を咥えたライアーが本を読むグレイの頭を撫でながら微笑む。
そしてブランケットを頭から被り、ぬいぐるみと手を繋いだスリープウォーカーは「さよなら」と手を振る。
「ずっと、ずっと、君の中でおれを眠らせてくれる、式……?」
眠りについた式に添い寝して隹はその額に口づけた。
「おやすみ、式、次の目覚めまで」
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