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D'ont wake up-2
その呪法は神の理を捻じ曲げ生命の鼓動を永らえるもの。
おぞましい死の数々でもって遂げられる禁断の魔術。
「何だ、あれは」
地下室へと続く階段を見つけた彼等は下へ向かっていた足を止める。
先頭に立つ繭亡がライトの明かりで照らした先に、奇怪に蠢くものがあった。
「あれは何だ」
繭亡が繰り返した問いかけに答えられる者はいなかった。
それは正にこの世の者ならざるグロテスクな姿かたちをしていた。
人の体つきをしているが、曝け出された全身はぬめぬめとした湿り気を帯びていて、軟体動物のようだ。
しかも顔にあるべきはずの目、鼻、耳、口が一切ない。
到底人間と言えるものではなかった。
立ち竦む彼等の背後で出入り口の扉が勢いよく閉まる音が響いた。
「嘘……! どうしよう、閉じ込められたわ!」
セラが顔面蒼白となって式に縋りつく。
手錠をされている隹は繭亡に早口に頼んだ。
「早く外せ、強盗よりやばそうだ、あれは」
しかし繭亡が鍵を取り出すより先に、グロテスクなそれが滑る皮膚の内で鼓膜を切り裂くかの如き奇声を上げた。
耐えられずに皆が耳を押さえて蹲った。
脳が不快に揺さぶられて頭痛や吐き気がこみ上げてくる。
あまりの眩暈に気を失う寸前、式は、不意に脳裏に浮かび上がったあるまじき光景が暗闇に混ざり溶けていくのを見送った。
男は嬉々として殺していた。
地下室に密かにつくった黒魔術の方陣を鮮血で浸して、陶然と。
躊躇なく。
残酷に。
その残忍さに思わず目を背けたくなった式だが、彼は、その事実に気がついた。
式は鏡に写る自分を目にしていた。
「嘘だ」
「いいや、嘘じゃない」
茫然自失する式の目の前で鏡の中の彼が笑った。
返り血に濡れた唇が三日月のかたちに歪んで、壮絶な微笑をこぼす。
「あまりにも長い時に身をおいた故にお前は己を忘れたのだな」
何て哀れな、私の片割れ。
ゆっくりと伸ばされた両腕が式に届いた。
冷えた頬を撫で、強張る口元をなぞり、血肉のこびりついた爪が髪を梳く。
「やめろ!」
「いいや、やめないよ」
久方に開かれた地下室には魔術の支度が整っていた。
呪われた方陣の中には斧で頭を叩き割られた若者、首を裂かれた巡査部長、そして気を失った三人がいた。
「永遠の命を保つためには儀式を繰り返さねばならない。人々が血みどろの惨劇を忘れた頃に、再び、悪夢を見せつける」
呆然と立ち尽くす式の背後で彼は囁く。
壁際には無数の蝋燭が点され、血で描かれた天井のパフォメットを不気味に照らしていた。
階段で見たものが方陣の周りを徘徊していて、相変わらず耳障りな不協和音を皮膚の内でギチギチと立てていた。
「あれは私の配下だ。門番でね。しかしまさか彼の鳴き声まで忘れてしまっているとは」
「あれが……二人を殺したのか?」
「殺したのは私だよ」
式は慄然となり、振り返った。
背後に立つ自分は血で真っ赤に濡れていた。
つい先程、瞼の裏で垣間見た幻影と同じ微笑を浮かべながら。
「哀れだね、あれは幻などではない」
「やめてくれ」
「私はお前。お前は私」
「違う」
「太陽の日によりできた私の影がお前だ」
私達は二人で一つ。
血塗れの式は愕然とする式を指差した。
「お前が殺したのさ」
「……三人をどうするつもりだ」
セラの呻き声が聞こえた。
繭亡は肩を震わせている。
意識を取り戻した隹は頭を押さえて低く唸っていた。
「殺して儀式を仕上げる」
床に注がれていた隹の視線がふと式の方を向き、彼は、目を見開かせた。
「お前……」
隹の青水晶の眼には二人の式がはっきりと写っていた。
闇と、それが太陽の元で落とした、影。
俄かには信じ難い光景だった。
「そいつが黒幕か……? それとも、同じ顔をしたお前も……仲間なのか?」
「違う!」
式は咄嗟にもう一人の自分へ掴みかかろうとした。
だが、驚くことに擦り抜けてしまったではないか。
式は触れるのも叶わずにその場で無様によろめいた。
「影が闇に敵うわけがない」
闇の式が冷然と微笑する。
いつの間に掴んだのか、彼の手には血で粘る短剣が握られていた。
目を覚ましたセラは驚きで声も出せずにいる。
繭亡は空のガンホルダーに舌打ちし、彼女を庇うように立ち塞がった。
手錠に拘束されたままの隹は後退りしようとし、その踵が方陣の外縁を踏んだ瞬間。
「!」
「きゃ……ッ」
方陣の描かれた床から突如として鋭い茨の蔦が噴出したかと思うと三人に一斉に絡みついた。
容赦なく食い込む鋭い棘は皮膚を傷つけ、自由を奪う。
彼等の体は否応なしに宙へと浮き、隹などは逆さ吊りにされていた。
「お前はそこで見てるがいいよ」
短剣を振って血を払い、闇の式が方陣へと歩み寄る。
影の式は歯を食いしばった。
彼等を死なせるわけにはいかない、しかし、どうしたらいいのか。
どうしたら救えるのか……。
床に這い蹲った式はふと視界に引っ掛かったそれに釘づけになった。
奪われた繭亡の拳銃である。
見つけた瞬間に式は決意した。
無我夢中で手繰り寄せた拳銃の引き鉄を微塵の躊躇もなしに引いた。
己のこめかみにきつく押しつけて。
獰猛な風が地下室を吹き抜けた次の瞬間、縛り上げられていた三人は床へと落下した。
「……一体、何が……」
頬に切り傷の走る繭亡が呟く。
壁際で点っていた蝋燭はすべて消え、暗闇がただ広がるばかりの地下室で呻き声だけが切れ切れに聞こえている。
「皆、無事か?」
「ええ、何とか……」
繭亡の呼びかけにセラが答えた。
彼女のそばには繭亡が携帯していたライトが運よく転がっており、手にしたセラはすぐさまスイッチを入れ、意外にもすぐそばで蹲っていた隹に驚いた。
地下室には哀れな亡骸が二体と生存者が三人いるだけだった。
「式は……式はどこ……?」
「あいつは自分自身に向かって引き鉄を引いた」
口腔に広がっていた血の味を吐き捨て、隹は、呟く。
逆さの視界に写し出された式の驚くべき行為を思い出して眉根を寄せた。
「何が何なのか俺にはさっぱりわからない。ただ……」
式っていう奴が自分を犠牲にして俺達を救ってくれたのはわかる。
隹の言葉にセラは息を呑んだ。
繭亡はよろめきながらも立ち上がり、変わり果てたかつての上司を目の当たりにすると一瞬言葉を失い、首を左右に振った。
「とりあえずここを出よう、慣れない悪夢から早く抜け出したい」
白み始めた空の下、始発のバスが安穏とした走行音を響かせながら発進した。
数少ない乗客の中で彼は窓の外の景色をひどく冷めた眼差しで眺めていた。
膝の上には重たそうなボストンバッグが乗せられている。
よく見れば黒革に血が付着していた。
しかし、誰も、気づかない。
微かに漂う何かが焦げたような臭気は外からするものだろうと思うくらいだった。
こめかみに空いた小さな穴を流れる髪の下で軽く引っ掻いて、彼は、まだ定かではない次の目的地へと誰に知られることなく向かう。
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