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In my arms-4
礼拝堂に鐘の音が響き渡る。
喪に服した参列者達は頭を垂れて黙祷を捧げる。
繊細な細工の施された棺の中で眠る死者との別れであった。
「偉大なる王に祈りを」
祭壇に立った司祭が十字を切るのを見習い、式も胸元で手を翳した。
父王は式の両手を握りながら死んでいった。
亡き母と我が子への懺悔をしわがれた声で囁きながら、ゆっくりと瞼を閉ざしたのだ。
「式、次はお前の戴冠式だな」
隣に着く男の声に式はそっと頷く。
男は葬儀中であるにも関わらず人懐っこそうな笑顔を浮かべ、肩に手を乗せてきた。
「国を、我々を導いてくれ。弟よ」
この葬儀が終われば後に戴冠式であり、そして、処刑が控えていた。
王位後継者の命を狙った武装従者の全員が斬首刑に処せられるのだ。
式は反対したがこの男は刑の執行を推し進めた。
代々この国の礎を築き見守ってきた長老衆もその件については全員が処刑を望み、次なる王の意見は却下されてしまった。
「我の知らぬところで恐ろしい計画を立て、実行に移した奴等を生かしておくわけにはいかない」
武装従者はすでに牢に捕らえられて目と口を縫われていた。
真実はもう誰の口からも語られないのだろう。
この兄君が隣にいる以上私の命は度々危険に晒されるに違いない。
父王が託した国を守るために命を賭すのは当然か。
民のためにも。
この身を捧げなければ。
私の盾となって今は土深くに眠る者達のためにも。
母のためにも。
そして。
年中雪に支配されたこの国に太陽の日が差す時間は限られている。
今、広大な雲の切れ端が光に滲んで、真っ白な大地に光の梯子がかかろうとしていた。
外に出ていた隹はふとそんな空に目を奪われてしばし佇んだ。
二頭の狼は森に遊びに出ている。
時折、尾を引く遠吠えが奥の方から聞こえてきていた。
そして。
日の光は寒々しい大地に訪れた。
雲間に澄んだ青空が覗き、その眩しさに思わず隹は目を閉じる。
不意に雪を踏む音が柔らかな日差しに染められた空気を伝って鼓膜に届いた。
目を開けてそちらを見る。
久方に青い空を見たせいで視界はぼやけており、最初は曖昧な世界が広がっていた。
「相変わらずここは寂しいわね、墓場みたい」
「ああ、セラか」
コートを着込んだ女性が馬に乗って隹のそばまでやってくる。
セーター姿という薄着の猟師を見下ろして身震いし、下りようともせずに言った。
「毛皮を取りにきたの」
「何と交換だ?」
「お金よ。寒いから早くして」
隹は仕事場の小屋へ引っ込み、先日血抜きを終えたばかりの美しい毛皮をとってきた。
馬の背に乗せてやるとセラはコートの懐から金貨の入った袋を取り出した。
「毛皮を渡して金貨を受け取ったぞ。さっさと帰れ」
「待って、サインをちょうだい。金貨の場合だと兄さんがうるさいのよ」
「しょうがないな」
羊皮紙とインクを差し出される。
隹は自分の名前と毛皮を渡したなどとの仔細を速やかに書いてセラに手渡した。
「ああ、それからね」と、手綱を引いて方向転換をする際、セラは突っ立っている隹とは別の方を指差した。
「ここに来る途中で会ったの。知り合いみたいだったから、連れてきたわ」
隹はセラの指差す方を目で追い、立派な杉の大木に隠れるようにして立っていたマント姿の彼を見つけた。
去り行くセラに頭を下げ、入れ代わるようにして第二皇子はフードを外し隹の前に立つ。
「久し振りだな、皇子」
複数の死者を出したあの襲撃からひと月。
声のない式の叫びは隹に伝わった。
背後に迫る敵に気づき、振り向きざまに剣を突き出し、見事、水晶の目を持つ男は武装従者を打ち倒していた。
「そういえば礼を言っていなかったな。ありがとう。あの時、俺を救ってくれて」
隹が礼を言う。
言われた式は笑い返すでもなく、どこか探るような目つきで彼と対峙していた。
そして式は手を掲げると虚空に文字を書く仕草をした。
「ああ、見ていたのか」
読み書きができないと言っていたはずの隹がすらすらとサインするのを大木の陰から式は見ていた。
どうして嘘をついたのだろう。
もっと容易に意思の伝達ができたというのに。
隹は気まずそうにするでもなく、言葉を濁すでもなく、不思議そうにしている式に笑いかけた。
「お前の視線が心地よくて、な。直向な目が俺だけに向けられるのが嬉しかった。文字よりもその目で語られたかったんだ」
式は目を見開かせた。
冷たくも澄み切った清らかなる風が、太陽の眩い恩恵を授かって煌めく雪の上を吹き抜けていく。
「お前の匂いが届いたみたいだ。あいつ等が降りてくる」
親しい狼の鳴き声をかろうじて聞き取った隹は木立の奥へ目を向けた。
「灰色は寂しがっていた。お前が使っていた寝台に一日中寝そべっていてな。白もつまらなさそうにしていたぞ」
「私も寂しかった」
毅然と立ち並ぶ針葉樹林に視線を向けていた隹は珍しく愕然となった。
すぐに彼を見る事ができずに同じ姿勢のまま立ち尽くす。
見慣れたはずの風景に違う色が生まれたような、そんな鮮やかな錯覚を覚えた。
「貴方達に会いたかった。会って、山ほど伝えたい事があった」
城に戻ってきた式を一番に出迎えたのは婆やであった。
堅牢なる門前にて、別れた時よりも彼女は涙し、長い抱擁を望んだ。
彼女の隣には見知らぬ男がいた。
男は遠い異国からはるばるやってきた医者であった。
東洋の衣を纏った彼は特殊な薬草を煎じてつくったという飲み薬を携えていた……。
「ありがとう、隹」
隹はやっと式を見た。
式は彼を見つめていた。
今までと同じように水晶の双眸だけを一心に。
「私を何度も救ってくれた心強き人」
隹に抱き締められて式の声は彼の胸へ吸い込まれた。
「視線だけで十分だと、言葉などいらないと思っていたが」
「……」
「お前の声で名を呼ばれるのも悪くない、皇子」
狼達が戻ってくるまでの間、二人はそうして抱き合っていた。
視線を合わせずとも、言葉を交わさなくとも。
重なった場所からは想いが溢れ出て互いの胸に伝わっていた。
もう、貴方を、離さない。
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