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目醒めよ悪魔-2

「な、な、な」 勢いよく後退りした式は壁に背中を打ちつけた。 そのまま、またも壁伝いに崩れ落ちて座り込んだ。 驚愕の余り全身が痙攣さながらに震え出す。 引いていた汗がぶり返して皮膚を不快に湿らせた。 何だ、どうして、何でここに奴の死体がある! まさか俺が無意識に運んできたのか? それだと完全に狂った異常者じゃないか。 いや、でも俺はバスに乗ったはずだ。 通報されていないしこうして帰宅したんだから無意識に死体を運んできたなんて、いやいやいやいや、有り得ない。 ああ、それならどうして死体がここにある! 激しい自問自答の嵐に陥る中、またも式を驚愕の坩堝へ追いやる出来事が起こった。 ゆっくりと、非常にゆっくりと、首の骨が折れて死んでいるはずの隹が起き上がったのである。 「!!」 式は悲鳴さえ出せずに零れんばかりに目を見開かせた。 あるまじき展開に四肢が強張り逃げ出すのも叶わない。 恐怖で定まらない視線の先で隹は完全に立ち上がった。 だがやはり首が信じられない角度で折れ曲がっている。 下顎にこびりついた血もそのままでベッドのシーツには後頭部からの出血を物語る血糊がべったりと付着していた。 まるで陳腐なホラー映画だ。 鑑賞していたら大いに白ける物語構成だろう。 だがこれは現実だ。 スクリーンではなく目の前で起こっているリアルなのだ。 に、逃げないと。 完全に腰が抜けた式は愚鈍なゾンビ並みの速度でやってくる隹に追い着かれないよう、腹這いとなって廊下を進んだ。 気が動転していたために玄関ではなくリビングへと向かって。 「うわあ」 精一杯の前進が停止せざるをえなくなった。 肩越しに顧みると首の骨が折れた隹までもが這い蹲っており、式の足に伸しかかっているではないか。 青水晶の瞳は白目へと変わって恐ろしいまでに血走っている。 愚鈍でありながらも凄まじい力で式の全身に伸しかかろうとし、浜辺で引っ繰り返った亀のように式には成す術がなかった。 「た、助けて助けて助けて!」 死霊の出す声はこんなものだろうかという呻き声を上げながら隹は嫌がる式の背中に覆い被さった。 そして呻き声が途切れたかと思うと堪えきれないといった風に低い笑い声が。 「ククク」 低い笑い声は爆笑へと変わり、式は呆気にとられ、しかし状況が全く把握できず、恐る恐る振り返った。 やはり隹の首は有り得ない角度で折れ曲がっている。 それで爆笑しているものだから安っぽいホラー映画の製作現場にでも放り込まれたかのような錯覚に陥った。 「ああ、やっぱり可愛いな、お前は」 そう言って隹は非常に不快極まりない鈍い音を立たせて無造作に自分の首を正常な位置へと修正して退けた。 「ひっ」 「怯えるお前も堪らない」 血走っていた白目がいつの間にか青水晶へと戻っている。 下顎の血を拭うと隹は乱暴に式を仰向けにし、何の抵抗もできずにいる上体に跨った。 「まさかお前に殺されるなんてな。なかなか悪くなかったぞ」 「ばっ化け物!」 「フン、今頃気づいたか」 隹が心持ち背中を反らすと同時にそれは起こった。 彼の背中から黒褐色の蝙蝠羽根を髣髴とさせる翼が一瞬にしてメキメキと生えたのだ。 翼の先が廊下の照明を割ってしまい、ガラスの破片が落ちる。 式は反射的に目を庇い、己の腕越しに、黒い翼の生えた隹を穴が空く程に凝視した。 「俺は悪魔だよ」 隹は笑った。 「さて、悪くはなかったが。今まで生易しくしてやっていたのに。恩を仇で返された気分だ」 「悪魔って、お前、悪魔って」 状況をすんなり受け入れられるわけもなく焦燥する式を隹は軽々と抱き上げた。 翼の骨組みが天井や壁を擦って爪痕じみた傷をつけているが少しも気にする素振りなど見せずに獲物の怯えっぷりに愉悦する。 「高慢ちきなお前にはお仕置きが必要だな」 悠然と寝室へ引き返すと血糊がついたままのベッドに式を放り投げ、一瞬にして翼を貝殻骨として肉の内に仕舞い、残虐に笑った。 恐怖で引き攣る式はどうする事もできずに血臭漂うベッドの上で磔にされたかのように固まっていた。 そうして寝室のドアは乱暴に閉ざされた。 式が寝室から解放されたのは一年後の事だった。 身も心も余す事なく隅々まで尽く蹂躙され、精神はボロボロで幾度となく発狂しかけたが、意外にも甘く優しい悪魔の口づけにより何とか現実に繋ぎ止められていた。 「俺の子供は生まれないだろうが胎に蟲が寄生したかもしれないな」 よく晴れた天気のいい日。 解放初日にオープンカフェでパンケーキを食べながら言われた隹の言葉に式は飲みかけていた水を噴出した。 感じのいい給仕がすぐに洗い立てのナプキンを持ってきてくれたが、受け取る手は尋常でない震えに苛まれ、代わりに受け取った隹が濡れた口元を拭ってやる始末であった。 俺の腹に何が。 ナイフとフォークで器用にパンケーキを切り分ける隹を前に、式は、真っ青な空の下で否応なしに青ざめる。 「揺り篭は特注じゃないとな」 隹が続ける台詞に式は出し尽くしたはずの涙をぽろりと零したのだった……。

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