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Gad hates us-2
肌を打つ熱いシャワーが心地いい。
体中にへばりついていた血が洗い落とされていく事よりも、ただその熱さに少年は心を落ち着かせていた。
「はぁ……」
少年は式といった。
式は親の顔を知らない孤児だった。
出生の由もまるで知らない。
物心ついた時にはすでに修道院の孤児院にいて、同じ境遇の子供達と共に生活していた。
ある神父に過度な愛情を注がれ、疎ましく思った式は一人孤児院を抜け出し、それからは薄汚れた町で惨めな日々を送った。
肉欲に駆られた手で全身を撫でられるよりかは遥かにマシな日々であった。
だが人買いに攫われ、妙な薬を嗅がされて気絶している間に、いつの間にか見知らぬ街へ連れ去られていた。
大昔に造られたという旧市街の地下水路で寝起きしていたあの日からどれだけの時間が経過したのかも定かではない。
そして今、これまでに見た事もない鋭い双眸をした男と共にいる。
俺は一体どうなるのかな。
目を瞑って頭上を仰いでいた式はふと足元を見、排水溝に向かう水の流れが赤く濁っているのに気づき、思い出した。
そういえば俺は人を殺したんだった。
「部下から聞いたぞ」
見目麗しい隻眼の客人は部屋のほぼ中央に佇んで、長椅子に座る隹を冷笑した。
「お前が慈善活動をするとは思ってもみなかった。そんな同情心がおありとは、な」
「同情なんて大層な人間のする事だ、そんな高尚で胸糞悪い真似はしない」
「じゃあ今回の行動は何だ?」
「お前に言ったってわからないさ、繭亡」
艶のある赤髪をうなじで縛り上げた彼は冷笑を消し、より嗜虐的な目つきとなった。
むごたらしい片目の傷跡など気にもならない。
むしろ端整さに絶妙な凄みを加えている。
まるで奥底に潜めた男自身の残虐性を示唆するようだった。
隹のよりそばへ近づき、彼を跨いで長椅子に両膝を突いた繭亡はそのしなやかな腕を屈強な肩へと回した。
「子飼いにでもするつもりか?」
「するかよ。向こうもされないだろ」
「ふぅん、会ったばかりでもう性格を把握しているのか。妬けるな」
長い前髪の先が隹の頬に届く。
背もたれにふんぞり返ったままの彼は鼻で笑った。
「お前に妬かれるなんて恐ろしいな……」
言葉の余韻は繭亡の色づいた唇に吸い取られた。
すぐに滑り込んできた舌を絡み取り、歯を立てて、互いにきつく食み合う。
久々に間近に見る繭亡の黒々とした長い睫毛に隹は束の間視線を奪われた。
「勃たせてやろうか?」
テーブルマナーを掌握しきった優艶な手がそこへと伸びる。
隹は首を左右に振った。
「今、バスルームにいるんだよ」
顔を離した繭亡は「知ってる」と、先程から水音がしている方向へチラリと目をやった。
「だから?」
隹が繭亡を押し退ける。
拒まれた繭亡は肩を竦めた程度であり、緩やかな動作で立ち上がった。
「ガキだからといって甘く見るな、隹。殺しを覚えた手は次の血に飢えるかも」
俺のように、か。
隹は心の中でそう呟いた。
別れの言葉を端的に述べ、部屋を去ろうとした繭亡はドアを開けると不意に立ち止まった。
フロアが濡れている。
透明な水の跡が点々と落ちていた。
繭亡は何も言わずに部屋を後にした。
いつまでシャワーを浴びているんだ、あのガキは。
上着を脱いだ隹はバスルームへ向かった。
フロアに落ちていた水滴に気づいて、途中まで来ていたのかと首を傾げる。
水音は途絶えていて表通りの罵声が室内にまで聞こえてきた。
奥にあるバスルームの扉を開くと閉ざされた仕切りのカーテンがまず視界に入る。
「おい、気絶してないだろうな」
問いかけに返事はない。
まだ、だんまりを通すつもりか。
それとも本当に口が利けないのか?
カーテンの向こうに人影は見えず、隹は勢いよくそれを開け放った。
式はいた。
幅広のバスタオルに包まって浴槽の隅に何故だか縮こまっている。
冷えきった肌が微かに震えていた。
「何やってるんだ、お前」
呆れた物言いに式は振り返った。
怒りと戸惑いが一緒くたになったような眼差しで、肩越しに隹を凝視する。
「いつもと体が違う」と、初めて隹に式は口を開いた。
「お前、やっと喋ったな」
隹は大した感動を覚えるでもなく淡白な目つきで式を見下ろした。
「いくつだ?」
「……知らない。どれだけ時間が過ぎたかなんて、いちいち数えてない」
「生まれは?」
「……知らない」
「体が普段と違うって、具合が悪いのか」
問いかけた後に隹は気がついた。
前屈みになった式の片手は己の股座へと伸びていた。
外見は十二、三歳といったところか。
どんな日々を歩んできたのかはざっと想像がつく。
そういった知識や情報は見聞きしていそうなものだが。
それしても人を殺したその日に精通か。
歪んでいるな。
「やり方も知らないのか」
「……やり方?」
式に訝しげに問い返される。
隹は肩を竦めた。
靴を履いたまま浴槽の縁を跨いで浅く腰掛けると、隅で縮こまる式を自分の近くへ促す。
「一度だけ教えてやる。来い」
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