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リビングデッド・ジ・エンド/軍人×巡査

■息ある死者が蔓延り、人々は途方に暮れ、絶望に支配されゆく世界。 他者を救うために戦う勇敢な人間もいれば。 己の欲望に忠実に他者を平然と陥れる者もいる。 鼓膜を震わせる銃声が灰色の街の一角で放たれた。 蹲っていた式のすぐ正面で生ける屍の頭が弾け飛び、濁った血液や腐肉が四散する。 すでに死していた肉体は脆く、見るも無残な骸はその場でゆっくりと崩れ落ちた。 伏せる式に迫っていたもう一体に銃口を向け、手応えのない引き鉄に舌打ちすると、その男はアスファルトを勢いよく蹴った。 絶対なる食欲に突き動かされて人間を喰らう屍者に怯みもせずに、一気に至近距離を駆け抜ける。 男が繰り出した回し蹴りは風を切るように容赦ない鋭さと強さでもって屍者の頭を粉砕するのに成功した。 太陽が閉ざされた灰色の空を無数の鴉が羽ばたいていく。 死人が徘徊する世界に相応しい不穏な音色は地上にまで届き、男は別段嫌な顔をするでもなく、幅広のストール上に覗く青水晶色の双眸で頭上を仰いだ。 「もうすぐ日暮れだ」 式は伏せていた顔を上げた。 目の前に転がる惨たらしい残骸に吐き気を催しつつも、気丈に立ち上がり、黒い翼で覆われた空を仰ぐ男に視線を注いだ。 「……あの、貴方は――」 「俺は軍の人間だ」 式の言葉を遮るように男はすぐさま返事をした。 長身の体躯に羽織るコートやブーツなど、服装は確かに軍物である。 先ほどの身のこなしも一般人にはない殺傷能力を兼ね備えていた。 近くでジープのエンジン音が聞こえて式は切れ長な眼を瞬かせる。 「この界隈は危険区域だ。食料調達で来たが、お前はどうしてここにいる、巡査?」 血で汚れた警官の制服を見、今度は男が式に問いかけた。 「その子供に頼まれたか。家族を見つけてくれとでも」 式の足にしがみつく小さな少女は涙目で男を見上げていた。 屍者襲撃の際に式は少女を腕の中に庇っていたのだ。 脚力の弱い少女を逃がして自分はおぞましい屍達を食い止めるつもりだった、が、少女は自分の元へ戻ってきてしまった。 曲がり角からジープが現れ、機関銃を背に負った女が飛び降りてきた。 「夜になると屍共が増えるが。安全区域へは戻らずここに残るか?」 血のついたブーツの裏をアスファルトに擦りつけながら男は尋ねる。 すぐそばへやってきた女が何を言うのかと目を見開かせた。 式は自分に縋りつく少女の頭を撫で、言った。 「この子だけ連れて帰ってくれないか」 「何を言っているの! 貴方も帰るのよ、ここにいたら奴らに食われるわ」 「中尉の言う通り、確実に食われる。それでもお前は帰らないのか」 少女の家の場所はわかっている。 ここから然程離れていない。 家族の遺品を手にしたらすぐに戻るつもりであり、安全区域のゲートが閉まる日暮れまでには帰られるはずだった。 「こんなときだからこそ絆を大切にしたいんだ。何か形あるものが一つでもあれば……色褪せない思い出と共に悲しみを乗り越えられる」 「綺麗ごとにもほどがある」 男の揶揄に式は首を左右に振った。 他者のための死を覚悟した彼に他愛もない中傷は何の意味も持たなかった。 男は短い髪を掻き上げ、微かに笑った。 「その綺麗ごとを手伝ってやろうか」 「少佐、何を」 「……本当か?」 女兵士のセラは唖然となり、式は思ってもみなかった言葉に胸を震わせた。 たった一人の市民の願いのために軍部が動くことなどありえない話だ。 しかも救出ならまだしも、遺品をとりにいくために生死を賭けるなど誰だって嫌がるはずだった。 「ただし条件がある」 黒い翼が行き交う下で男、隹少佐は式を意味深に見つめるのだった。 隹は条件の内容を明かさなかった。 全てがうまくいったら式に絶対的に欲求を呑んでもらうという。 傍目にも自信ありげで傲慢な態度だった。 少女のためを思うと成功する確率は高いほうがいい。 式は迷わず彼に従った。 セラは気の毒そうな眼差しで危険区域の奥へと進む二人を少女と共に見送った。 当然、少女の家族は屍者と化していた。 隹は襲い掛かってきた彼等の頭をショットガンで容赦なく次々と粉砕し、式は、少女の寝室でベッドの下にいた彼を見つけた。 「――ああ、生きていたの!!」 日暮れまでと約束して女兵士と待っていた場所で、少女は、式の腕の中にいた彼を目にするなり笑顔を浮かべた。 「貴方の飼い猫?」 「うん、よかった……パパもママも、もういないのね……でも、この子だけでも一緒にいてくれるなら……」 縞々の子猫は少女に頬擦りされて短い鳴き声を上げる。 揺れるジープの中でハンドルを握るセラ中尉は微笑み、式は少女の頭を撫で、隹は目を瞑って振動に身を任せていた。 強力な電流が通う有刺鉄線に守られた安全区域に到着すると、少女はセラに連れられて親をなくした子供達の集うコミュニティへと向かった。 「ありがとう、おまわりさん」 子猫を抱いた少女の小さな後姿を式は温かな気持ちで見送った。 危険な一日であったが後悔はしていない。 こんなに気持ちが報われた任務は巡査になって初めての経験であった。 「お前はこっちだ」 温かで優しい余韻をまるで断ち切るように、隹は、式をそこから引き剥がした。 民間人は立ち入り禁止、政府要人や研究者が召集されている軍部専用区域へ無言で引っ張り込まれ、一般市民が使用するシェルターより清潔で広々とした地上八階地下二階なる施設へ通された。 擦れ違う度に下級兵士が畏まった態度で隹に敬礼するのを見、改めて、式は彼の格を思い知らされた。 この人はとても強い。 何をされるのか全くわからないが、感謝の意味を込めて何でもやろう。 皆が嫌がるような危険な仕事でも……。 式はカードキーを用いて一つの部屋へ入った。 こぢんまりとしたワンルームだが簡易ベッド、空調も効いている、隅にはシャワー室まで備わっていた。 「一先ずシャワーを浴びてその匂いを何とかしろ」 言われて式は思い出した。 自分は屍者の血をもろに被っていたのだ。 意識してみると腐臭が相当強い。 今身につけている制服も二度と着られないだろう。 外と同じ出で立ちのまま隹はベッドに腰を下ろす。 投げて寄越されたバスタオルを抱え、式は言われた通りシャワーを浴びることにした。 たった数時間前に出会ったばかりなのに、生死を賭けたひと時を一緒に潜り抜けたせいか。 式は隹に強い繋がりを感じていた。 彼のことをすっかり信用していた……。 「ふぅ……」 熱い湯が心地いい。 これまでの世界は崩壊し、絶望や悲しみが巣食う暗闇の世界が始まるのかと思ったが、そんなときだからこそ一筋の光がより美しく輝いて見える。 あの少女のように皆が笑える日がくるといいのに……。 不意に背後で扉の開く音がした。 「終わるまで待とうかと思ったが」 隹はコートやストールを取り去っていた。 初めてまともに見たその顔は精悍で、鋭く、肉欲的な獣性も見て取れた。 半袖のシャツから伸びた逞しい両腕がしなやかな裸体を抱き寄せる。 濡れるのも構わないといった勢いで、驚いている式には拒む暇もなかった。 「もう待てない、巡査」 その言葉はすでに重なり合った唇の中で零れたものだった。 「……!」 裸の背中がタイル壁にぶつかる。 降り続く熱いシャワー。 絡みつく肉厚の舌。 腰元をきつく締める強い腕力。 まさか、そんな、嘘だろう? これが条件なのか? 「……う……う」 窒息しかねないキスに式が呻くと隹はコックを捻ってシャワーを止め、唇を解放した。 満遍なく濡れていた式は髪を湿らせた隹に強張った眼差しを向ける。 「これが条件だ」 「……」 「飽くまで従ってもらうぞ」 まさか、そんな、これが条件なのか、やはり。 「お、俺はこんなの――」 絶対降伏を強いるように隹は再び式の唇を欲深に塞いだ。 それは音が立つほどに激しい律動だった。 最初はタイルに手を突いて踏ん張っていたが、次第に腰が砕け、式は壁伝いに崩れ落ちていった。 今は腰を掴む隹の両手が唯一の支えだ。 その肉塊は熱く屈強で、狭苦しい窄まりを潜っては貪欲に深く深く行き来していた。 初めての行為に萎えるどころか式もまた興奮していた。 ペニスが信じられないくらいに勃起している。 彼の動き一つ一つに過敏に反応し、抑えきれない高い声音をシャワー室に滲ませていた。 溢れ出した白濁がタイルに糸を引いている。 自分の下腹部まで濡らしていて、この上なく浅ましく、しかし止める術がまるでわからなかった。 身の内に放精されると全身を痙攣させて式も達した。 己の体から引き抜かれた隹のそれが未だ硬い熱を帯びているのを目の当たりにし、哀れな巡査は、当惑する。 「飽きるまでと言っただろう?」 会ってから一番人間味のある笑みを浮かべて隹は式をベッドへ軽々と運んだ。 大胆に両足を開かせて遠慮なくその間に身を据える。 またも始まった律動は先ほどより淫らな蠢きを見せた。 奥深くを突き、腰に腰を押しつけてじっくりと掻き回してくる。 双丘に押しつけられる膨張が振動を伝え、式の体も静止することなく揺れた。 「いい顔をするな、お前は……最高に感じてるみたいだ」 首筋に噛みつくようなキスをされた後、耳元にそんな台詞を吹き込まれる。 とんだ侮辱のはずが今の式には性感帯を擽る刺激に値した。 隹は一向に衰えない腰遣いで式を淫らに突き揺さぶりながら言う。 「俺はこんなときだからこそ体の繋がりを大切にしたい」 「……っ」 「これこそ生きている証だろ……?」 勃起したペニスを握り締められる。 式は切なげに眉根を寄せて仰け反った。 滅びかけている世界の片隅で、死者が生者を喰らう狂った世の中で、何て馬鹿げたことを言う男なのかと思った。 その熱に同調する自分はもっと愚か者だ。 「こんな世界でお前と出会えてよかった」 そんな台詞に先ほど以上に打ち震える身も心も馬鹿馬鹿しくて疎ましいのと同時に、何故だろう、やたらいとおしくも思う式なのであった。

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