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The nameless/ボス×少年

■それは悪性の病にも似た如何わしい棘。 一発の弾丸がその男の頭を貫く。 生温い血肉が薄汚いフローリングに飛び散り、その体がゆっくりと仰向けに倒れていく。 外れかかっているカーテン。 子供向けのアニメを垂れ流すテレビ。 狭い部屋に差す午後の日差しと喉の渇き。 すべてがいつも通りの事に過ぎなかった。 「しかし、臭い部屋だな」 部下の一人がこぼした言葉に、硝煙の纏わりつく銃を懐に仕舞いながら俺は答えてやる。 「人間の腐臭だ」 その部下が目を丸くするのと同時に、寝室を探っていた別の部下が慌ただしい足取りでやってきて俺に予想通りの報告をする。 「ボス、あの……寝室にヤバイもんが……」 本当に、何もかもが予想通りの一日になるはずだった。 薄汚いベッドの下には三人の少女の死体が押し込まれていた。 どれも惨たらしい暴行の跡が見受けられ、傷んでおり、虫が集っている。 蠢くそれらに部下達は顔を顰めており、袖で鼻を覆っている者もいた。 確かに芳しい香りからは程遠い。 染みだらけのシーツは、きっと少女達の排泄物や体液によって汚されたのだろう。 「まだガキだぜ……それに、あっちの壁を見てみろよ。気色悪ぃ」 寝室の状況を真っ先に探りにいった部下が顎をしゃくる。 その先にはたくさんの写真が無造作に貼りつけられており、写っているのはすべてあどけない顔立ちの子供ばかりだった。 「まだ生理も来てないガキを犯して何が面白いんだろうな」 俺は死んだ男の趣味が理解できなかった。 そして、また無関心でもあった。 「行くぞ。アジトに帰る」 「死体はどうします?」 「放っておけ、俺達はサツじゃない」 黒いコートを翻し、俺は踵を返す。 部下達も辛気臭いこの部屋を一刻も早く出たかったようで、いつもより機敏に俺の後をついてこようとした。 その時、不意に物音がした。 俺は振り返り、部下達も足を止め、物音がしたであろう場所を見やった。 ベッドの向かい側に場違いな程に大きなクローゼットがある。 また、その内側から鈍い音が聞こえてきた。 「……あ、ボス」 立ち止まっていた部下達の間を擦り抜けて、新品と思しきクローゼットの前に立った。 殺すつもりなら背中目掛けてとっくに攻撃してきているはずだ。 つまり敵意はないのだろう。 わざわざ立ち去ろうとしていた侵入者を呼び止めたという事は、つまり、恐らく。 俺はクローゼットの扉を勢いよく開け放った。 予想と違わない光景が、そこにはあった。 目隠しをされた髪の長い少女が一人、手枷代わりの縄に縛られ、口元にガムテープを張られて薄暗く狭い中に座り込んでいた。 黒いワンピースの裾がドレスのように四方に広がっている。 「こ、れは……」 「まだガキじゃねぇか」 殺されていた少女達はかろうじて十代には見て取れた。 しかしながらクローゼットの中にいるこの少女は、まだ十歳にも満たないような体つきで、雨に濡れた小鳥みたいに全身を小刻みに震わせていた。 俺は片膝を突いて、あらぬ方向を向いている少女に言葉をかける。 「聞こえるか」 少女はぎこちなく頷いた。 「……今から、目隠しをとってやる。何もしないから絶対に暴れるな。暴れたら、このまま放っておく」 少女は、またも恐る恐るといった風に頷いた。 俺はその動作を確認して少女の後頭部に手を回す。 服が一つもないクローゼットの中は意外にも花の香りに満たされていた。 艶めく長いセピア色の髪からも甘い香りが漂う。 俺は、手慣れた仕草で堅い結び目を解いた。 目隠しの布が外れ、背後で部下達が息を呑むのがわかったが、平静でいられる俺は次の言葉を少女に投げかける。 「次は手首の縄を解いてやる。暴れたら、またここに閉じ込めて俺達は去る。いいな?」 子供にしては切れ長な瞳だった。 涼しげな二重瞼で睫毛が長い。 後ろ手で頑丈に縛られていた縄をいとも容易く外して、俺は、少女の口元に張られたガムテープに手をかけて端的に言った。 「泣き喚いたら、わかるな?」 涙を浮かべた少女は力一杯頷く。 一気にガムテープを外されて、その痛みに次の涙を誘われ、彼女は白い頬に透明な雫をこぼした。 まるで一流の画家が丹精込めて描き出した美貌。 まだ幼い塊のくせに、小さな顔はそんな容貌を持て余していた。 「……ッ」 大きく見開かれた瞳が俺を見つめている。 涙が、次から次へと溢れ出て、喉が頻りに動き、唇が戦慄いている。 きっと大声を上げて泣きたくて堪らないのだ。 恐怖に縛られていた感覚が解放されて、その行き場を激しく求めているのだろう。 無言でいる俺を見つめていた少女は、驚く事に、俺に抱き着いてきた。 「う……ぁ、ッ……」 俺の胸の上で少女は声を押し殺して泣いた。 こんな状況で、俺の欲求をちゃんと守って。 弱々しい塊がそうして泣き続けるのを、俺は色褪せた眼差しで見下ろしていた。 散々泣いて、上物のコートを涙で濡らして、泣き疲れた塊はいつの間にか眠ってしまった。 長い間静止していた俺はやっと動けると思い、何とも軽い塊を抱き上げて、同じようにその場で固まっていた部下達と共にアジトへ帰った。 撃ち殺した男は借りた金を返さなかった罪人であり、俺は制裁を下しただけの事。 暗く濁ったこの街では日夜繰り返されている。 別に誰も咎めないし阻止しない。 素知らぬ顔をして見過ごしていく。 俺がこの街を取り仕切る顔役だからか。 それとも街の誰もが人殺しなのか。 「今夜は縛って。皮膚が青くなるまで、強く」 街一番の娼館における最も淫らな手管の持ち主は俺に願う。 「貴方に抱かれていると魂が飛んでいきそうになるのよ……だから、体ごと縛って、ここに留めておくの。そうしたら痛い程貴方を感じられる」 「何とも他愛ない冗談だな」 「冗談じゃないわ、これは真実よ」 貴方の抱擁は私の世界を逸脱しているの、と女は笑いながら言った。 随分と小難しい事を口走る娼婦だと思いながら縄で女の肉体を縛り込んでいく。 寄せては返す極みに耐えられず女は虚脱し、スーツを着用したままでいた俺はコートを肩に引っ掛け、娼館の前で待たせていた車に乗り込んだ。 「次はどちらへ?」 「アジトに戻る」 運転手は快速に車を走らせた。 黒を基調としたこの街にけばけばしいネオンはない。 覚束ない街灯に照らされた、非常に陰気臭い歓楽街の最中を疾走する。 暗い街並みに溶け込むような黒衣の出で立ちの通行人が疎らにいて、あられもない格好の女を買う者もいれば、ただ歩いている者もいた。 女を抱く事は好きだった。 一番好きなものはそれかもしれない。 その次は金。 殺しは別に好きでも何でもなかった。 頑健な門が開かれて、黒の高級車は庭園を貫く舗道を失速したスピードで走る。 アジトは海を見下ろす断崖絶壁の上にある。 城と呼んでも過言でない造りであり、嫌味なまでに古風だ。 月夜には映えるが昼間に見れば陳腐な幽霊屋敷さながらだろう。 組織はこのアジトと街中にある事務所を行ったり来たりしている。 街で動く大金に関しては必ず俺達の組織が付き纏う。 殺しもすれば金持ちの警護もする。 まぁ、何でも屋のような存在だった。 「……あ、ボス、あのガキなんですが……」 屋敷に入るなり、二階のバルコニーで待ち構えていた部下にそう言われ、俺は一瞬何を問われているのかわからず、眉間に縦皺をつくった。 「あのガキですよ。金を返さなかった男の部屋にいた……」 ああ、そういえば、そんなガキを拾ってきていたか。 「何だ、どうした……あんまり泣き喚くようなら捨てて来い」 「いえ、あの、それが……」 部下が言葉を濁す。 広間の隅でポーカーに熱中している連中を尻目に、高価な絨毯を踏みつけて階段を上り、冷や汗を浮かべている部下の横へと行き着いた。 「何だ」 「あのガキ……その、ボスの部屋で眠ってまして……」 「……」 「最初に入れられた部屋で目を覚ますと、頻りにボスの居所を聞かれて……外出中だと答えたら、じゃあボスの部屋で待つって聞かなくて」 「お前、教えたのか」 「……はぁ、すみません」 ポーカーに熱中していた連中がやっと俺の到着に気づき、あたふたと声をかけてくる。 俺はそれを無視し、強張った表情でいる部下を見据えた。 「お前、幼児趣味ってわけじゃあねぇよな」 「ち、違いますよ……そんな……」 部下の冷や汗の量が増したような気がした。 「というかですね、あのガキ、男なんですよ」 「は?」 「あの変態が女装させてた……ってことですね」 俺は部下を追い越し、自分の部屋へと向かった。 子守りを任されていた部下も斜め後ろをついてくる。 どこかの部屋で哄笑が起こり、どこかの部屋で罵声がする。 この屋敷は日夜絶えず耳障りな物音がしているのだ……。 角部屋の寝室の扉を開け放った俺は薄暗い中を突き進んだ。 窓が開かれていて、レースのカーテンが音もなく揺らめいている。 甘い花の香りが匂う。 滅多に横にならないクィーンサイズのベッドの上で、世にも見目麗しい塊はこの上なく安らかな寝息を立てていた。 「……どっからどう見ても女ですよね」 部下が小声でこぼした。 俺は舌打ちする。 あまりにも華奢な骨組みを見ていると、弱者の哀れみを見せ付けられているようで冷え冷えとした苛立ちが募った。 シーツに散らばる髪に顔を埋めるようにして塊は眠っている。 命の恩人とでも思っているのか……。 俺はあどけない寝顔を見下ろして、胸に蓄積された苛立ちを手持ち無沙汰に噛み締めた。 煩わしくて堪らない。 明日になったら街にでも捨てに行くか。 クローゼットの中で野垂れ死にするよりかはマシな結末が待っているだろう……。 だが。 睡魔に犯された眠り姫の少年をそこに置き去りにして明るい通路に出た俺は、取っ手を握ってドアを閉めようとした瞬間、小さな棘に刺されたような気がした。 俺はどうしてあのガキをここに連れてきたのか。 何やら騒がしい雰囲気に目が覚めた。 薄ら寒いテラスでまどろんでいた俺は体を起こす。 テーブルには飲みかけのウィスキーとグラスが転がっていた。 スーツもネクタイも着用したままであり、何とも息苦しい目覚めである。 まぁ、いつもの起床と何ら変わりはないのだが。 「侵入者か」 見張りや警報システムを大いに怠っているこのアジトには歓迎し難いはずの客人が頻繁に来訪する。 射撃や拷問の練習に丁度いい。 奴等の狙いが俺である事は歴然なのだが、危機感は一向に湧いてこなかった。 「麻痺してるな、どいつもこいつも」 俺は自分を含めるすべてを嘲笑い、転がっていたグラスにウィスキーを注ぎ、一気に飲み干した。 もうじき夜が明ける。 白く色づいた息はどこまでも広がる紺碧の空気に溶けて、未練なく消えていく。 デッキの背もたれに深く身を預けた俺は青黒い海を眼下に、再びまどろみの波に揉まれようかと目を閉じた。 のだが。 「ボス」 半ば開かれていた窓が全開となり、部下がテラスに飛び込んできた。 「何だ、騒々しい」 「あのガキが人質にとられました」 その言葉に俺は腰を上げた。

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