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Vampire Lover-2
「帰りを楽しみにしてろよ、ダンピル」
口元を拭い、彼は頭上の眼光をねめつけた。
弱りながらも凛とした眼差しは未だ健在で微かな妖気を放っている。
人間が持つべき骨の数をいくつか欠かした体なので、長時間の移動は相当つらく、目的地に到着するとこうして寝てばかりいるが、彼が弱音を吐いた事は一度もなかった。
「……その名で呼ぶな」
ダンピル。
それは吸血鬼と人間との間に生まれたものを差す言葉。
殆どが骨なしの奇形で生まれ落ち、短命だ。
吸血鬼を探し当てる能力を持っていて、異形狩りによく用いられる案内人とされていた。
隹は憎々しげに自分を睨む彼を残して家を出、すっかり夜の帳が下りて人影の失せた道を歩み、森の中へと分け入った。
頭上では幾重もの枝葉が重なり合い空の欠片も見えなかった。
これなら昼時でも陽射しを遮断するだろう。
凍てついた風に身を嬲られながらも隹は平然と突き進む。
葉擦れの音が延々と響き、まるで森そのものが慟哭しているようだ。
まるで死者が生者との入れ替わりを求めているかのような、おどろおどろしい音色だった。
「俺はそう簡単には朽ちない」
一人呟いて、隹は、一際立派な巨木の根元に乗り上がった。
風の遠吠えに乗って別の音が耳に入り込んでくる。
それは艶めいた女の笑い声。
風に狂わされてどこからしているのかすぐに見当がつかない。
しかし近づいてきているのは確かだ。
紛れていたのが、いつの間にはっきりと聞き取れるようになっている。
鼓膜を舌で撫でられているみたいだ……。
隹はジャケットの裾をはためかせて、目を瞑り、五感を研ぎ澄ませた。
次の瞬間、彼は勢いよく頭上を仰ぎ見た。
巨木の上から裸の女が四つん這いとなり、自分目掛けて恐ろしいスピードで駆け下りてくる。
隹は迫り来る女を見据えつつ速やかに懐から得物を取り出して、急所を狙い、放った。
「ギィヤァァァァァァアアアッ」
鋭く研がれた刃が眉間に突き刺さるなり、女は耳を塞ぎたくなる程の凄まじい絶叫を上げて隹の足元に落ちた。
黒々とした血が額に伝い絶命しているのは一目瞭然だったが、まだ安心してはいられなかった。
他の大木から艶かしい肉体を夜気に曝した女が次々と伝い下りてくる。
指の狭間にずらりと刃の柄を持ち、両腕を交差させて、隹は身構えた。
「吸血女か……ラミアだな」
人の血を啜る浅ましき異形を断つため、蔑みの嘲笑を湛え、隹はラミアの群れを迎え撃つ……。
夜明け前まで残り僅かの、まだかろうじて闇に支配されている時刻、眠りもせずに床の上で虚空を凝視し続けていた彼の眼がふと揺れた。
凛とした眼差しにそれまでなかった強い欲望が宿り、闇をひっそりと射竦める。
白い指先の爪を板張りに擦らせて僅かな音を立て、息を荒くする。
夜風に消されて通常の人間には聞こえないはずの足音を耳に捕らえ、その匂いを素早く嗅ぎ取った。
「ああ……早く……」
両手を突いて上体を起こし、目の前の扉を凝視する。
間もなくして彼の視線の先で扉はけたたましく開かれ、激しい夜風と共に魔を狩る者がそこへ戻ってきた。
「……待ち草臥れたか?」
隹はそう言って笑った。
どぎつい臭気を漂わせる返り血でジャケットを濡らし、右頬には血を滴らせる切り傷をつくっている。
身のこなしは確かなもので、彼はジャケットとシャツを脱ぎ捨てると彼の前に悠然と立った。
逞しく鍛えられた腹筋の辺りに慈悲なき爪によって描かれた三条の赤い筋が走っていた。
長距離の移動で生じた疲れがなかなか癒えずに、今も立ち上がれないでいる彼は、息を呑む。
目前の足にしがみついて上体を浮かせ、背筋を反らせて何とか膝立ちとなると、隹にもたれた。
「待て、も効かないな、これじゃあ」
揶揄めいた台詞に眉根を寄せるでもなく、彼は視界にひどく鮮明な赤い雫へと舌を伸ばして、隹の血を舐め取った。
何度も舌先を傷口に埋め貪欲に明け透けに飲み喰らう。
些細な痛みに隹は片頬を歪めるだけで、彼のうなじに手を伸ばして頭を支えてやり、自分の血を一心不乱に吸う美しいダンピルを見下ろしていた。
「ふ……ぁッ……」
彼は嬌声にも近い声を洩らし、全ての傷口の血を味わおうと唇を移動させる。
閉じられた目蓋の睫毛を時折痙攣させる様は色欲を誘う仕草で、器用に鮮血を絡め取る舌尖の蠢きも実に妖しげだった。
胴体の傷口をすべて口にした彼は、自分の力で立ち上がり、今度は両腕を頑強な首筋に巻きつけて顔の方へ唇を近づけた。
右頬に滴っていた滑りで上下の唇を潤し、いつになく敏感な舌の上へと掬って、喉へと伝わらせる。
上擦った吐息をより近くに感じながら隹はふしだらな血の戯れを続けてやっていたが、白み始めた外に気がつくと、彼を抱えて横になった。
吸血鬼は朝陽を最も苦手としており、ダンピルも例外ではない。
そばに落ちていた黒衣を引き寄せて自分達の上に被せると、そこは光を拒む薄闇の中となった。
久々の食事に我を忘れた彼は仰向けになった隹に密着して覆い被さり、頬の傷を無心に啜っている。
余程飢えていたくせに痩せ我慢しやがって。
隹は手持ち無沙汰でいるのに飽きて、セピア色の指通りのいい、式という名のダンピルの髪を適当に弄った。
目を瞑り、決して日の光と相容れない薄闇の中で。
手負いの身を異形の血を継ぐ式の好きにさせてやった。
その日より人間が村から消え失せる事はなくなった。
しかし消えてしまった人間が戻ってくる事もなかった。
奇妙な影を連れた鋭い眼の男も、二度と。
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