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Bad Eden/クラブのオーナー×高校生

■「何だ、またキスしてほしいのか」 「ッ、違う、もうしたくない、もう帰る」 「俺を屑野郎と一緒にするなよ、式、俺は媚薬に頼るほど落ちぶれてない」 「離せ……一緒だ……飲ませた人間も、見て見ぬフリした人間も」 「それは悪かった、謝る」 「……」 絆創膏で癒える程度の引っ掻き傷で済ませるつもりが。 もっと深い痕をお前に刻みつけたくなったんだ、式。 彼と目が合った瞬間、それまで鼓膜に氾濫していた暴力的なノイズが脳髄にまで押し寄せてきたような気がした。 「式? やっぱり具合悪い?」 式は何度も瞬きした。 金曜の夜、多くの客で賑わうナイトクラブへ自分を連れてきたクラスメートを肩越しに見やった。 「もう出る? 貴方が何よりも愛する静謐なエデンへ帰りたい?」 「それ、図書館のこと言ってるのか、セラ」 「え? なーに?」 フロアを満たすフルボリュームのトランス・ロック、本当は聞き取れたが意中の相手に少しでもお近づきになりたく、セラは式の背中に過剰に擦り寄った。 「セラ、おんぶしてほしいのか?」 二人は高校の同級生だった。 会話から察せられる通り、図書委員の式は一日の大半を読書に費やす物静かな青少年であった。 超インドア派で瑞々しく整ったルックスを持て余す彼に痺れを切らした超アウトドア派のセラは夜のお出かけに誘った。 『図書館に引きこもってばかりいないで、式、一度しかない十代楽しまないと!』 『俺なりに楽しんでいるつもりだけど』 『もっと共有できる楽しみを見つけて! 新しい世界に羽ばたいて! ダイブして!』 『……』 そんなワケで大いに騒がしい混沌たる夜の社交場に式は連れ出された。 顔パスでセラを通し、両腕にタトゥーのあるドアマンが赤い扉を開いた瞬間、確かに新しい世界だと式は思い至った。 サブリミナル並みに目まぐるしく点滅するライト。 広いフロアの中央にはハイトーンのボイスに合わせて狂ったみたいに躍りまくる男女。 目がしみるほど押し寄せてくる紫煙。 混ざり合って容赦なく鼻孔に突撃してくる凶暴なパフューム。 絶え間なく湧き起こる奇声にも似た歓声。 初めての世界に嫌悪感はなく、興味もあったが、やはり慣れないノイズに式は頭痛を覚えた。 興味はあるが躍るつもりは毛頭なく、どこか休める場所がないか、人波に揉まれつつ何とか視線を巡らせてみる。 角に設けられたバーカウンターはネオン管で鮮やかに彩られ、バーチェアはほぼ埋まっていた。 VIP専用の中二階席には悠然と見下ろしている客もいれば過激なスキンシップに夢中になっている客もいる。 壁際に並んだソファ席は、躍り狂うのに適していないスーツ姿やドレスアップした女性など、やや高めの年齢層が占領していた。 彼はその一つにやたら長い足を組んで腰かけていた。 黒いブルゾンを羽織り、片手のグラスにはロックのウィスキーが少々。 連れは赤髪の男性一人。 青水晶の眼差しが印象的だった。 「式、あっちに行きましょう」 式の腕をとったセラは飛び跳ねる発狂ダンサー集団を勇ましく掻き分けて彼の鎮座するソファ席を迷わず目指した。 「セラ、えっと、どこへ?」 「私の兄がいるの、知り合いと一緒に、繭亡兄さん!」 革張りのL字型ソファを独占していた二人の内の一人、赤髪の、セラの兄の繭亡は混沌たるダンスフロアを突進してきた一回り近く年下の妹をにこやかに出迎えた。 「こんばんは、セラ、長旅ご苦労様」 「女狩人みたいだったな、お前」 セラに誘導されたものの、容赦なく振り回される腕やら頭などの障害物にぶつかっていた式は、乱れた前髪越しに不敵な微笑を目の当たりにした。 「何よ、隹、どういう意味?」 「獲物を捕まえて意気揚々と荒野の帰路につく女狩人」 「どういう意味よ!」 「しかし随分貧相な獲物だな、油のノリも悪そうだ」 「隹、初対面の相手だぞ、しかも妹の同級生らしいからな、お手柔らかにしてやれ」 「お手柔らかなつもりだが? そうだな、褒めるべきところは妙な病原体やウィルスとは無縁そうなところか」 「どこがお手柔らかなのよ!!」 まさか。 さっきから獲物だとか、油のノリが悪いとか、病原体とか。 「俺のこと言ってるのか」 堂々と中傷された式はソファの背もたれに深く身を預けた隹を睨んだ。 「初対面でもわかる、年齢相応の礼儀を身につけていない、威張りくさった、幼稚な人だって」 セラはびっくりした。 物静かなクラスメートの激昂を初めて目撃し、よっぽど傷ついたのだろうと、その心を案じた。 「本当に式の言う通り、この隹って男、幼稚でワガママでスケべで暴力的でサイテー」 「今、そこまで言われたか、俺」 「お詫びにドリンク奢ってよね、さ、行きましょう、式」 一先ず隹と式を引き離すため、ソファ席からカウンター前にずらりと並ぶバーチェアの空席へセラは移動した。 「式、ごめんなさい」 「セラが謝る必要なんかどこにもない」 即答した式に少女は頬を紅潮させる。 「もう帰りたい?」 ビビッドレッドのニットソーにスキニーのダメージデニム、ピンヒールを履いたセラは真摯に問いかけた。 グレーのフードパーカーにTシャツ、ジーンズ、スニーカーという模範的高校生じみた格好の式は答える。 「このまま帰ったら負の思い出しか残らなさそうだから。せっかくだし、まだ、もう少し」 式の答えにセラは嬉しそうに頷いた。 「うん、せっかくだし何か飲みましょう、シードル? サングリア?」 「それってお酒なんじゃあ」 「あ! オレンジジュースね! 私もそれにする!」 首を傾げた式に満面の笑みを浮かべ、バーテンからオレンジジュースを受け取ると「ちょっと兄のところに行ってくるから!」と、セラは勇ましく兄の元へ……いや、隹に改めて文句をぶつけに行った。 オレンジジュースのグラスと共に残された式はカウンターの上で柔らかな両手を組んだ。 ……幼稚だったのは自分だ。

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