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Bad Eden-4
新しい世界は羽化を迎える前にさなぎのまま凍りついた。
金曜日の放課後。
カウンター当番の日でなくとも図書館にいることが多い式は、その日も窓際の自習コーナーで好きな作家の新しく入った本を読んでいた。
内容が頭に全く入ってこない。
先週の土曜日から心身ともに浮ついて何事にも集中できない状態が続いていた。
『式、お詫びに好きな本を何冊だってプレゼントするから』
先週、金曜の夜更けに式は始終申し訳なさそうにしていたセラと、兄の繭亡にタクシーで自宅まで送ってもらった。
即効性に富んでいた媚薬の効果は幸いにも短く、不本意ながら隹の助力もあり、多少の倦怠感を残しつつも卑劣なまやかしからは解放されることができた。
だが、しかし。
『贅沢な無駄遣いだな、式』
式は何の罪もない文字の羅列をついつい睨みつけ、はたと我に返ると、胸の内で非礼を詫びて静かに本を閉じた。
嫌いだ。
あんな男、大嫌いだ。
バンブーカーテンに閉ざされたレザーソファの上で式はやむをえずに二時間弱を隹と過ごした。
ようやく落ち着きを取り戻せば「身支度整えておけ」と一言だけ告げて立ち去り、代わりにセラと繭亡の兄妹がやってきて。
それから隹とは会っていない。
おかしなクスリを飲んでしまって、体が変になって……とても恥ずかしくて嫌だったけれど、自分から進んで介抱してくれた彼に感謝の気持ちだって抱いていた。
あの話を聞くまでは。
『隹は君がクスリを飲むのを黙って見過ごしたんだ』
セラをタクシーに残して家の玄関先まで肩を貸してくれた繭亡さんが教えてくれた。
『だから隹には何の謝意も後ろめたさも罪悪感も好意も持たなくていい』
ひどい。
ひどすぎる。
こんなにも誰かに貶められるなんて思ってもみなかった。
週の前半は悔し涙を滲ませることもあった式、一週間が過ぎた今、ゆっくり深呼吸して胸の内に湧き上がる悪感情を冷静に宥めようとした。
平気で人を傷つけられるんだ。
馬鹿にして、踏み躙って、嘲笑って。
「……」
一週間が過ぎた今でも、やはり、悔し涙をポロリと零した式はすぐに目尻を拭った。
一番嫌なのは。
あの不敵な青水晶をずっと忘れられないこと。
ベッドに入って、明かりを消して、閉ざした瞼の裏に。
いつまで経っても次のページを捲れずに視線が彷徨う文字のない余白に。
『泣くな、大丈夫だ、安心しろ、もうじき楽になる』
鼓膜に蘇った隹の声に式は……切れ長な双眸を新たに潤ませた。
ぜんぜん楽にならない。
苦しいばっかりだ。
これはクスリの副作用なのか。
窮屈なさなぎの中で窒息しそうだ。
「式」
自習コーナーの隅っこで項垂れていた式は顔を上げた。
「礼を受け取りに来てやったぞ」
隹が立っていた。
上下黒のスーツ姿で、サングラスまでかけて、自習コーナーにいた他の生徒らの注目を否応なしに浴びている学校無関係者がいつの間に背後に迫っていた。
余りにも突然のことでリアクションもとれずに絶句している青少年に隹は不敵に笑いかける。
「わざわざ守衛を撒いて来てやったんだからな、どうせお前みたいな人間は図書室にでも引きこもって薄っぺらなページを飽きもせず機械的に捲っているんだろうと踏んで来てみれば、大正解だ、予想通りだった」
呆気にとられていた式は、みるみる感情を取り戻し、笑う隹を力いっぱい睨め上げた。
「行くぞ」
「……行かない」
「お前の同胞が見てる前で抱っこして攫ってやろうか」
「……」
床に下ろされていた鞄を掴んだ隹は、ブレザーやネクタイできちんと身なりを整えた彼の胸に押しつけた。
「守衛が来たら父親だって言え」
隹は踵を返し、居合わせてぎょっとしている司書の教員に「あそこにいる生徒の保護者だ、もうお暇する」と言ってのけ、ブレない歩調で図書室を去って行った。
式が大事にしていた「静謐なエデン」をこれみよがしに撹乱していった……。
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