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汝の隣人を愛せよ-2
「酔ってるのか」
男は嘲笑にも似た笑みを口元に浮かべていた。
鋭い光を秘める水晶色の双眸がすぅっと細められて、揶揄の籠もった視線が式に注がれる。
男によく馴染んだ笑い方だった。
「……ほっといてくれ」と、式は震えそうになる声を何とか口外へ押し出した。
瞼の裏で氾濫する夢の残骸を少しでも抑えたく、隣人の身から離れようとする。
しかし隣人は式の腕に更なる力を籠めて言った。
「俺の部屋の前で寝ようとしてる奴を放っておけるか?」
式は愕然となった。
そして、隣室の前で寝とぼけていた自分を恥じて見る間に赤面した。
「す、すまない」
「汚されてはいないようだからな、別にいい」
男は腰を屈めて落ちていた鍵を拾い上げると、わざわざ式を連れて彼自身の部屋の前に立った。
ドアのロックを外し、気まずそうにしていた住人を中へと促して、やっと手を離す。
血管が太く浮き出た大きな手だった。
男は式のスーツのポケットへ鍵を落とし込み、淀みない足取りで通路へ踏み出そうとした。
「コーヒーでも飲まないか」
壁に背中を預けていた式は自分の声がそんな言葉を紡ぐのを耳にした。
隣人は、首を左右に振り、無言で部屋を出て行った。
どうしてあんな事を言ったのか。
ろくな付き合いもなかった隣人を急に誘ったりしたのだろう。
上着を脱いだだけでソファに横になっていた式は窮屈そうに寝返りを打ち、現実と眠りの境界線上で悶えていた。
部屋のどの照明も消されて薄暗い中、衣擦れの音が響く。
シャワーをさぼった体には酒や煙草の臭いが染み着いていた。
一箇所だけ開かれた窓より訪れた風が澄んだ空気を運んでくる。
音もなくひっそりとカーテンが揺れていた。
酔いに麻痺していた体を起こしてくれた礼と割り切ればいいものを、あんな夢を見た後なだけに、邪な考えが過ぎる……。
街路の明かりがうっすらと差し込むリビングで式はまたも寝返りを打った。
後少し、後数分足らずで眠れると自分に言い聞かせ、全身の力を抜くよう努力する。
だが、睡魔はまだ遠いところで成りを潜めていた。
ふとした拍子に蘇る大きな掌の熱に翻弄されて、感覚が不要に研ぎ澄まされ、安眠を得るどころではない。
だから、式は玄関先でした物音をすぐさま鼓膜に捉える事ができた。
聞こえてくる足音は夢の中でしているのだろうか?
いや、違う、俺は眠っていない。
昨夜見た夢の残骸に焦点を当てているわけでもない。
半身を起こした式は薄闇を纏って訪れた隣人の男を呆然と見上げた。
「思い過ごしかもしれないが」と、男は部屋のほぼ中央に悠然と佇んで式を見下ろした。
「あんた、俺を誘っていたのか?」
先程結ばれていた男の髪が解けているのに気づいて。
薄明かりに照らされた不敵な男の問いかけに、式は……。
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