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ねこになりたい-4
隹に、さよなら、された。
隹に、捨てられた。
隹に、きらわれた。
「式」
雪降るクリスマスの街で。
隹が寝室で荷物の整理をしている間に部屋を飛び出し、裸足で当てもなく彷徨っていた式が振り返れば、黒ずくめの猫又が立っていた。
「……阿羅々木……」
笑いが絶えない聖夜の雑踏で式と阿羅々木は向かい合った。
「あの男に傷つけられたのか」
濡れ切った頬をやっと拭った式は首を左右にブルブル振った。
「俺と来るか」
うっすら涙の残る、弱り果てた切れ長な双眸が縦に瞳孔の走る獣めいた眼をぎこちなく見つめ返した。
寡黙な阿羅々木は無言で片手を差し伸べる。
ビル風に長い黒髪を靡かせ、生涯のツガイにしたい同胞を真摯に求めた。
れっきとした傷を心に負わされた手負いの式は。
止め処ない淋しさに途方に暮れていた小さな猫又は。
差し伸べられた同胞の手をとろうとし、
向かい合うふたりが聖域にすら思えて思わず立ち竦みそうになった隹は無様な疎外感を振り切って、ふてぶてしげに呪縛を断つと、その足を前へと踏み出した。
阿羅々木の元へ行こうとした式を後ろから抱き寄せた。
やり場のない嫉妬と焦燥に雁字搦めになって自ら手離しかけた、何よりもかけがえのない彼を我が身に引き留めた。
「っ……隹?」
突然の抱擁にびっくりして背後を仰ぎ見た式。
自分の猫又を探していた隹は言った。
「俺のこと許さなくていいぞ、式」
「え」
「お前は何一つ悪くない」
「あ」
「お前のためとか言って、本当は、自分のことしか考えてなかった」
踏み込めそうにないふたりきりの聖域に嫉妬して惨めになるばかりの俺自身から目を背けていたんだ。
「でも、もう、いい。みっともなくて浅はかな愚かモンになってもいい」
隹は式を抱きしめたまま正面に佇む阿羅々木に不敵に笑いかけた。
「いかにも崇高そうでおきれいなアンタに全力で挑んでやる」
「式を傷つけて涙させて、我が物顔、か」
「ああ、コイツを傷つけていいのも泣かせていいのも俺だけだ」
「愚かだ」
「そうだよ、阿羅々木、俺はコイツのためならどこまでも愚かで傲慢な罪人に成り果てる自信がある」
不敵な笑みと共に威嚇をやめない隹に特に表情を変えるでもなく、阿羅々木は、彼に抱かれている式を見つめた。
諦めるつもりなど一切ない、いとおしい同胞。
いつか俺の元へ還っておいで。
「みんな見てる」
裸足の式を片腕で抱っこしていた隹は「気のせいだろ」と返事をしたが確かにいくらか注目を浴びていた。
「ほら、ツリーだ、式」
街角で仰々しく点灯されている特大クリスマスツリー。
立ち止まって眺める者、スマホを翳す者、見つめ合う者、いろんな通行人らが華やかな冬の夜をそれぞれ楽しんでいた。
「もう見た」
隹の肩に顔を埋めた式はポツリと答えた。
広場で開催されているイベントの特設ステージからハンドベルの演奏が聞こえてくる。
ちらつく雪は人いきれに儚く消えていく。
「おうちのツリーの方がいい」
腕の中の温もりをひたすら切に感じていた隹は笑った。
「買ったときは小さいって文句抜かしてたくせにな」
「隹」
「ん」
「おれ、おうち、いっしょに帰っていいの」
鎖骨の辺りに吸い込まれた切実な問いかけ。
「お前が嫌がっても無理矢理連れて帰る」
「っ……うそつき!」
「急に大声出すな」
「阿羅々木といっしょに暮らせって、言った!」
「そうだな、あれは確かに口から出任せだ」
「うそつき! 下りる!」
「暴れるな、今から買い物だぞ」
「もうおふろ入らない! ハミガキしない! おさらもぜんぶわる!」
「本屋で新しい絵本を買って、スーパーで晩飯の材料買わないとな、お前、何が食いたい」
「グラタンっ、エビフライっ」
「手間のかかる注文しやがって」
式は隹の肩に何回も頬擦りした。
フードの内側で黒猫耳をパタパタ、踵が滑らかな剥き出しの足をバタバタさせた。
「落っことすぞ、式」
隹とまたいっしょに帰れてよかった。
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