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ソリッド・シチュエーション・ロマンス-2
「式、顔色悪いよ? 大丈夫?」
朝礼が済み、一限目の教師が教室にやってくるまで生徒らが思い思いに過ごしている中、式の元に和歌葉がやってきた。
「あ……昨夜、遅くまで本を読んでいたから、寝不足で」
「そっか。夜更かししちゃったんだね。そんなに面白かったんだ。なんて本?」
「……コクトーの、恐るべき子供たち」
「ふーん。どんな内容なの?」
『ジャン・コクトー。恐るべき子供たち。近親相姦。ダルジュロス。毒薬』
「……和歌葉にはまだちょっと早いかな、ほら、先生が来たから戻らないと」
顔色が優れない友達の様子を心配しつつ和歌葉は自分の席へ小走りになって戻り、彼の着席を見届けた式は俯き、ため息をついた。
和歌葉に嘘をついた。
とても他愛ない嘘ではあるけれど。
すでに重い嘘をついているから、これ以上、新しい嘘を重ねたくない。
『俺とお前だけの秘密だ』
昨日、放課後の図書館で自分の身に降りかかった悪夢じみた出来事。
裁きのキスを下した隹は速やかにその場を離れ、残された式は上の空で図書委員の務めを何とか全うし、部活生が数を占めるスクールバスで帰宅、なかなか寝付けない一夜を過ごした。
どうして気づかれたんだろう。
とてもじゃないが授業に集中できずにいた式は教室前方に着く和歌葉の背中へチラリと視線をやった。
和歌葉本人、友達にだって知られないよう、注意してきたつもりだった。
当然、態度にも出さなかったし、誰一人にだって打ち明けていない。
よりによって隹なんかに。
同時に何人もの女の人と付き合ったり……妊娠させた相手を親戚の病院で……クスリを使ったり……むりやり……。
吐き気がする噂ばかり。
頭はいいし、外見も優れているかもしれない、でも人として到底信じられない、どうして人気があるのか理解できない。
おれにあんなことまでしてくるなんて。
意味がわからない。
もうあんなことされたくない。
授業に集中する生徒が大半、居眠りする男子生徒がちらほら。
時に教科書やノートを捲る些細な音色がまるで虫の羽擦れのように秩序正しく保たれた静寂に奏でられた。
うん、きっと一時の気紛れだ。
たまたま目について、暇潰しに、玩具 としてからかわれただけ。
湧き出る疑問を強引に塞き止めたところで授業終了のチャイムが鳴り渡った。
「式、やっぱり保健室行こう」
休み時間に入り、再び席に駆け寄ってきた和歌葉は式の顔色を見るなりきっぱり言い切った。
「さっきより顔色悪くなってる」
「……そうかな」
「紙みたいだ」
和歌葉に繁々と顔を覗き込まれて心中穏やかでなかった式の元へ親しくしている他のクラスメートもやってきた。
「うわぁ、式、今日は早退しなよ、今にも倒れそうじゃん!」
「ここは保健委員の出番だな、とりあえず保健室連れて行ってあげましょーか」
友人であり保健委員でもある、授業中に居眠りしていた宇野原 と北 にも促され、確かに寝不足で頭痛を持て余していた式は二限目だけ休ませてもらおうかと席を立った。
「ああ、式、えらく顔が赤いな、熱でもあるのか?」
不運なことに中庭と面する回廊で隹と鉢合わせた。
「えぇぇえ……式ってば、いつのまに学園のプライドと仲よしに……?」
「しかもリーダー直々からの声かけ……」
無視することもできず、足を止めざるをえなかった式の背後で宇野原と北は委縮してしまっている。
全校生徒は学園で最も支持されている最上層グループを「プライド」と呼んでいた。
サバンナにおける実際のプライドを構成するのは複数の雌ライオンだが、ここの「プライド」にいる女子生徒は一人であり。
「なぁに、隹、いつのまにこんなかわいらしいコ達と仲よくなったの?」
高等部一年のセラ、紅一点ながらも周囲に負けず劣らず肉食属性、休日に繰り出すガチなサバイバルゲームでのハンティングは実にお手の物だった。
「セラ、中等部の下級生を狩りの対象には据えないでほしい」
セラの兄であり隹と同じクラスの繭亡、幼少期に負った裂傷を隠すため常に片目に眼帯をつけているが、眉目秀麗な顔立ちはむしろ引き立てられて妖しげな魅力を醸し出していた。
プライドのメンバーに他の生徒は色めき立ち、大袈裟なくらい距離をとって彼らを避け、名残惜しそうに傍らを通り過ぎていく。
唯一、特に何らリアクションするでもなく平常心を保つ生徒がいた。
「この人達、誰?」
転校生の和歌葉だ。
宇野原と北は慌てふためくも本人らを前にして説明するのも憚られ、ただ焦るばかり、隣にいた式も彼の正直っぷりにやや呆気にとられた。
「式の知り合い?」
「ただの上級生だ」
答えたのは当のプライドのリーダーだった。
憤慨するでもない隹は淡々と回答し、頑なに伏し目がちでいる式を一瞥し、立ち止まっていた下級生の横を悠然とすり抜けていった。
「ねぇ、隹、後で私にも紹介してよね」
「学校と給餌場を混同するなよ、セラ」
「大食い野郎に一番言われたくない!」
「セラ、校内で吠えるのはやめないか」
「あ、休み時間終わっちゃうね、早く保健室行かないと」
「……おれ、ちびっちゃうかと思った!」
「和歌葉、あのな、今の人達はこの学校の頂点に立つグループなんだぞ」
「それより早く式を保健室に……式、大丈夫?」
「うわ! 北見て! 式の顔すっごい赤いよ!」
「ほんとだ。さっきまでは真っ青だったのに」
「信号みたい!」
プライドの一行は去り、クラスメートらに好き勝手に揶揄されて式は言い返す余裕もなく深々と俯いた。
回廊の反対側から悠々と突き進んでくる隹が視界に入った瞬間、昨日の放課後、触れ合うだけだったキスの感触が唇の上に鮮明に蘇った。
大丈夫。
別にどうってことない。
こんなものすぐに忘れられる、はず。
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