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欲と心―心

 俺は自分の家とは反対の方向に向かう地下鉄の中にいた。なんだかとっても情けなくて、一人でいたくなかったから。よりによって俺はコウタロウの家に向かっている。  駅に降りて電話をかけた。 『あれ?さと、どうしたの?』  コウタロウのぽや~ん声が沁みる……ヤバイなんか泣きそうだ。 「お前のとこに行こうかなって、家にいるか?」 『うん、家だよ。これからご飯作るところだよ。さと、ごはん食べてないでしょ?用意しとくよ。でもビ一ルはないから買ってきて』 「うん、ていうか俺、もう」 『わかってるよ。そこにコンビニあるでしょ?そこはお酒売ってないから道路渡って反対側の店に行くといいよ』 「え?なんで?」 『そんな音がするのは僕の家から一番近い出口のパチンコ屋の前だろ?電話でも聞こえてるよ』  クスクス笑うコウタロウの声を聞いて、ちょこっと涙がでた。  言われた通り道路を渡ってビールを仕入れたあとコウタロウのアパートへ。ドアを開けたらいい匂いがする。そうだ、俺めっちゃ腹減ってたんだ。  コウタロウはニコニコしながらビ一ルを受け取ってスタスタ部屋に入っていく。小さいテ一ブルの上には日本の晩御飯!というような美味しい眺めだった。  ご飯に味噌汁、ハンバ一グに冷奴。サラダじゃないところがいい。ヤッコはツマミにもなるし、葱と納豆とたくあんを玉子で和えたのが乗っかっている。これ飯にかけても旨そう。 「冷めちゃう前に食べようよ」  いただきます。と手を合わせるコウタロウに倣ってイタダキマスをする。俺このあいだ松田にいただきますしたっけ?なんか悪いことしたな、スマン松田。 「コウタロウ、このハンバ一グ最高に旨いな!お前料理できたっけ?」 「親元離れてからするようになった」 「俺ぜんぜんできない」 「僕の母さんは既製品とかインスタントを食卓に出さないでしょ?だからどうも添加物というか嘘んこの味が嫌いなんだよ。しょっぱいしさ。だからコンビニも外食もちょっとね」 「うちの母ちゃんカップ麺と冷凍食品は箱買いな勢いだった」 「僕はそれがうらやましくてね、さとのうちでみた袋に入っててあっためるハンバ一グが美味しそうで」 「へんなの」 「自分にないものって欲しくなるでしょ?」  このニコニコした顔とポヤ~ンとした話し方を聞いているだけで癒される。ついでに腹もいっぱいになって幸せだ。  ご飯のお礼に皿は俺が洗った。このくらいしかできないし。  部屋に戻ったら、テ一ブルの上にえびせんがある。 「つまむものが無いんだよ。えびせんしかないけど、これで我慢して」  いやいや、充分でございます。溝に塩が固まっているのに当たったら、すごく嬉しいんだよね。しょっぱいところがさらにいい。えびせんの袋をガサガサ開けてたら、コウタロウが俺に聞いた。 「さと?どうしたの?」 「いや、二人でつまめるように袋を全開にしようと」 「ううん。今日何かあった?」  さっきまで押し込めてた想いが不意打ちに溢れてしまった。視界がぼやけはじめる。でもここで泣いてる場合じゃないぞ、俺。  上をみてむりやりこみあげるものを引っ込めた。袋と格闘しているふりをして、コウタロウに背中を向けたまま口をひらく。 「俺さっきユウキとあってきたんだ」 「僕に似てない年上の人ね」(よく覚えてんな) 「なんでかサトル先輩もいたんだよ」 「あの眼鏡の人ね」(あら、眼鏡男子のことも知ってるのか) 「あいつら俺に3Pもちかけてきてさ。二人おいて帰ってきた」 「さとは嫌だったんだ」 「嫌に決まってるじゃないか!」 「じゃあ、なんで好きでもない人と寝られるの?」 「え?」  俺はコウタロウの言ってることが何のことなのかわからなかった。コウタロウはニコニコしてないし、トテツモナク無表情でなんだか怖かった。これなら松田の言うことも解る。今のコウタロウ、全然かわいくない。 「だってさ、ユウキって人と僕を間違えたんでしょ?全然似てもいない僕と間違えるくらい好きなのかと思ったけど、3Pもちかけられるなんて、さとにも愛情がないってことじゃない。ユウキって人に愛されていなかったってショック受けてるのとも違うし。 だから、さとは好きでもない人と寝れるんだねって言ったんだ」  まさしくその通りだった。間違えるくらいに気持ちがあったらショックなんだろうけど、今の俺は情けないだけだ。 「さと?さとは本当に好きな人と寝たことがあるの?」  そう言われて考えてみる。俺は誰かに恋焦がれて夜も眠れないという経験がない。あるのは12歳や15歳の淡い思い出だけ。その後は好きか嫌いかなら好きだけど、という程度の気持ちしかない、そんな関係しかなかった。 「コウタロウはあるの?」  コウタロウは頬をピンク色にして幸せそうに言った。 「うん、僕はある」  ものすごいショックだった。日本刀で真っ二つにぶったぎられた感じ。心臓がビリビリする。 「そうか、それは……良かったな」  なんか他に言えないのか俺は。肝心なとき何で言葉はうまくでてこないんだろう。 「イイか悪いかは別にして、さと?自分が欲しがらないと相手は心をくれない。身体をくれても悲しいよ。そのときは嬉しいし気持ちいいけど。あとから悲しいよ」  コウタロウは寂しそうな笑みを浮かべながらエビセンをつまんだ。コウタロウ、今お前は誰を思っている? 「さと、変なお願いされるってことはさ、さとが承知するかもしれないって思われたってことでしょ?それはさとに愛情がないって相手もわかってたからだよね。 さとはそれでいいのかな。心が欲しいって思ったことがない?僕は心が欲しい」  そうなんだ、俺が泣きそうになっているのは悔しいからだ。結局あいつらと同じなんだよ、俺。コウタロウの言うように、俺がOKするかもしれないって、そう思われていた。それが悔しいんだ。でも、それって自分のせいだ。自業自得。 「身体だけでもさ、快感は得られるんだ。それでいいじゃないかって」 「それでいいならいいけど。でも心を貰って身体を重ねたら幸福があると思う」 「コウタロウは知ってるんだろ?」 「想像はできるけどね。僕の片思いだったから」  なんだかまたショックを受ける。コウタロウは片思いをしてたんだ。いったい誰なんだろう。きっとカワイイ子なんだろうな。かわいくないとコウタロウとつりあわない。 「気持ちが無い者同士が寝るのと、想いがあっても届かないままに寝るのと、どっちが幸せなんだろうな、どっちが不幸なんだろ」  俺の言葉は宙に浮いた。  コウタロウは体育すわりをして膝の間にアゴを埋めている。諦めにも似た表情で空を見つめるコウタロウは綺麗だった。かわいいコウタロウは、ここに居ない。 「さと。僕があげた本を覚えてる?」  あの日くれた本はまだ読んでいない。一人暮らしをするときに持ってきたけど、読まないまま本棚に入ったままだ。 「本棚にあるよ。ゴメン、まだ読んでないんだ」 「僕はあれから年に一回は読んでるんだ。たぶん今くらいの年齢の時に読んだほうがいいかもね。さと、読んでみなよ。何かが見えるはずだよ」 松田もコウタロウも俺に何がいいたいんだろう。俺が見逃しているものって何なんだろう。 【 チュン チュン チュン 】  今朝もかわいく雀が鳴いている。背中があったかくて気持ちいい……まだ醒めたくない。  眼をあけると眩しい光が見えた。朝だ。まるでこの間の朝みたい――デジャブ。   |ベッドを抜け出してジ一ンズを履く。今度は裸じゃないし、シ一ツだって汚れていない。 振り向くとまだ寝ているコウタロウがいる。  この前はあんなにカワイイと思っていた寝顔は、綺麗だった。子供っぽいと思っていた顔は、大人の男の匂いがしていた。  俺はそのまま家をでた。コウタロウがくれた本を読むために。

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