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歩み寄り 2
目が覚めたら、ベッドに寝かされていた。
ぼんやりと霞みがかっている頭を触ると、包帯が巻かれていた。
左肩には分厚いガーゼが貼られていた。欠けた肩がどのようになっているのか気になったが、怖くて触れなかった。
「…起きたか」
声のする方にゆっくり視線を動かすと、ベッドの縁に若頭が座っていた。
いつもだったら恐怖で体が震えたり呼吸困難に陥ったりしたけど、今は何も感じない。
…毎日ヤッてるからもう慣れたのかな…それにまだ頭覚醒してないし
ぼんやりとした目でずっと若頭を見ていたら、頬を触られた。
何度も叩かれて真っ赤に腫れ上がったそこを、ゆっくりさする。
若頭の手は冷たくて気持ちよかった。
「…やりすぎた。悪い」
不意に、若頭がそう呟いた。
聞き間違いかと思ったが、そうではないらしい。
若頭の顔は、少し苦しそうだった。
…少しは反省してくれてるのだろうか。
「…痛い、の…つら、い」
絞り出した声は自分でも聞こえるか分からないくらい小さかった。
「…あぁ」
それでも、若頭は頷いた。
まだ意識がはっきりしてない俺は、またすぐに睡魔に襲われる。最後に見たのは、真っ直ぐにこちらを見つめる黒い瞳だった。
side仁
翠が再び眠りに入ったのを確認してから、部屋を出る。
リビングに戻ると、梓がキッチンに立っていた。
「…眠られましたか」
「ああ」
ソファに座ると温かいコーヒーが目の前に置かれる。
舌に広がる苦みと鼻から抜ける香りに深く息をついた。
「ちゃんと謝れたようで良かったです」
「お前…見てたのか」
「申し訳ありませんが、翠様のためです」
そう言いながら、梓は今さっきまで使っていたであろうタブレットの電源を切った。
「…目が覚めて良かったですね。一時は昏睡状態だったのに」
「……」
「一ノ瀬によると、若がもう少し深く噛み付いてたら、出血多量で死んでたらしいです」
「……」
「噛み付いた場所が幸いでしたね」
「…おい、説教ならこの一週間十分に聞いた」
「ならもう翠様を昏睡させるまで痛めつけないでください」
懐から煙草を取り出すと、梓は溜息をつきながらもジッポーで火をつけた。
肺に煙を充満させてからゆっくりと吐き出す。
「…暴力が人を従わせる1番の方法だ」
「違います。…仮にそうだったとしてもやりすぎです。今までの情人にはそんなことしなかったでしょう」
梓の言葉を頭の中で反芻させる。
今まで何人もの男女と関係を持ってきたが、手をあげることはあまり無かった。彼らはただの性欲処理道具だったからだ。道具に対して怒りや悲しみの感情が湧く訳が無い。
喘ぎ声が煩くて殴って黙らせた事は少なくないが。
それでも翠のような状態になるまで痛めつけることは無かった。
他の男の話をされるとどうしようもないほどに怒りが湧いてくる。自分を拒否されるとたまらなく支配欲に駆られる。
ここから逃げ出す事だけを考えて、自分をあまり見ない翠に苛立ちを感じる。
「…チッ」
「…若には翠様と会話をする時間が必要です。翠様の心を開かせられなければ一生このままですよ。一方的な暴力に頼るのではなく、対話をしてください」
「…わかってる」
「自分をコントロールして、翠様に怒りをぶつけないように」
「…ああ」
俺の様子を見て、梓が困ったように笑う。
「…若は不器用ですね」
「…黙れ」
「…翠様に、優しく接してくださいね」
梓が空のカップを持ってキッチンに戻る。
翠から男の名前が出るのが気にくわない。逃げられたくない。翠を見るのは俺だけでいい、このままずっと囲っていたい。
「……」
この感情の名前を、俺は知らない。
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