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200mlの幸福量㊦
成人済み岩泉×高校生及川
及川ver.
死ぬ前に祖母は言った。
「徹、このお茶碗とわたしを一緒に焼いて欲しいって言ってくれんかの。」
渡されたのはいつも祖父が使っていたお茶碗。赤色の上にはいくつもの小さな金色の蝶が羽ばたいている。
「若い時に、おじいさんが作ってくれたんや。貰ったけどずっとおじいさんに使ってもらっててなぁ。」
「ばあちゃんのなのに?」
「毎日そこにお味噌汁をいれてなぁ、幸せを満タンにしてあげるんよ。」
それは何度も祖母から聞いたことだった。幸せの量は人生の中で限られたものしかないのだと。そんなのは悲しいから自分で毎日作るんだと。
「朝満タンにしても夜には減ってるんや」と言ってそのまま息を引き取った。
遺言通り、お茶碗と一緒に焼かれ、通夜に出る。身内だけの葬式に、最前列には祖父の顔写真も置かれていた。
「じいちゃんは、なんで早く死んじゃったの?」
写真のある椅子の前に膝をつき、優しげに微笑む祖父に問いかけた。
表情は相も変わらずで、「幸せ使いすぎたの?」と、子供ながらそう言った。
それから小学生になり、バレーを知る。クラブチームでやり始めてすごく楽しかった。
中学になると自分でも自負するくらいには顔立ちも良くなって、背も高くなった。女子から声をかけること多くもなって、最初は楽しかったけどだんだんつまらなくなる。
ー幸福の量は決まってるんや。
そんな時にいつも祖母の言葉を思い出す。楽しかったのは最初だけで、それからはしんどい日々がいくつも続く。あの言葉は本当だったんだと、その時にやっと理解出来た気がした。
合宿が始まるというので、顧問から予定表を受け取り準備する。行き先は宮城の海。近くの学校で練習をし、最終日には海岸で遊ぶことが出来るとチームメイトははしゃいでいた。
そんな時、岩ちゃんと出会う。
一生分の幸せを全部使い切っちゃったんじゃないかって思うくらいの出会いの縁。
第一印象は最悪で、強引な大人というイメージしかなかった。でも、こんなにムキになったのは初めてで、近頃忘れていた対抗心や反抗心を思い出した。
奢られたラムネを手に取り、暑い日差しの中で一気に飲む。シュワシュワと喉を潤す冷たさが、熱せられた体も冷やす。
二人で飲み終えると、岩ちゃんはすぐに帰ろうとして席を立った。もっと話をしたいと思った俺は何度も名前を教えてと頼んだ。渋々教えてくれた名前に、誰もこんな名前で呼ばないだろうと思って「岩ちゃん」と呼んだ。
自分でも不思議なくらい、岩ちゃんといるのが楽で、楽しさがいつまでたっても尽きなかった。
岩ちゃんが好きだと気づいたのは、マッキーが岩ちゃんのことをふざけて岩ちゃんと言った時。
遊んだことや喋ったことをマッキーに逐一伝えていた時に、俺をからかおうとふざけて呼んだたった一言に。
ひどく胸がざわついて、「その名前で呼ばないで」と驚くほどの声音で話したことを覚えている。
「岩ちゃん、俺の部屋汚いけどいいの。」
祖母の話をしてから、初めて岩ちゃんを家にあげた。
「俺の部屋も汚いからいい」と言うけど、岩ちゃんの部屋は生活感がないくらい家具が少ないし、汚くしているのは大体俺だ。
あるのは大きなベッドとテレビと机ぐらい。
寂しいなとおもったから、徐々に家具を移動させている。あわよくばこのまま一緒に住めばいいなんて下心もあって。
それから岩ちゃんは甘い。
それはもう俺が子供がえりしたんじゃないかってぐらい甘やかす。
何しても受け入れてくれし、自分の意見もなんだかんだ通してくれる。たまに引かない時もあるけど、そんな時は俺が譲ってあげたりする。
そんな会話一つ一つが全部楽しい。毎日が新しい。
「及川。」
後ろからの大好きな声に振り向くと唇を重ねられる。舌を絡められ、息が上がる。
年齢の差か、愛の差か、俺が緊張するばかりで、岩ちゃんはいつも余裕のある顔。
それが悔しいけど、骨抜きにされているのは自分なので別に文句はない。
ー幸福の量は決まってるんや。
岩ちゃんとキスをしたり、触られた日に家に帰ると、心做しかいつもよりラムネ瓶の中身が減ったように感じる。
ただでさえ少ない自分の幸福量が急速に減っていくような気がした。
その日、岩ちゃんに求められて初めてセックスをする。初めての距離、暖かい温度、うるさい心臓。欲情した岩ちゃんの顔すべてに興奮した。
後ろは使ったことがなかったから、初めはすごく痛かったけど、そこは流石というか、すぐに気持ちよさで喘がされることになった。
俺の嬌声だけが部屋に響いて、恥ずかしさと胸の熱さで終始顔が赤かった。
中に欲望が吐き出され、ドロドロに溶かされた俺に、ラムネ瓶が映った。
その光景がやけにスローモーションで、月の光に輝くガラスの中身はあと半分ほどだった。
またひどく減ったものだと抱き潰される前に思いながら、遠ざかる意識の中で祖母が微笑む。
ーいっぱい幸せになったんやね。
次に目を覚ますと、見慣れた顔が目の前にあって穏やかに眠っていた。頭は岩ちゃんに腕枕をされていて、もう一つの腕で腰に手が回されている。
ドロドロだった体は綺麗になっていて、お風呂に入れてくれたのだと気づく。途中から記憶が無いけど、腰の痛みが嫌でも昨日のことを思い出させてくれる。
岩ちゃんの顔に悶えながら、起こさないようにゆっくり起き上がる。毛布にくるまりながら寝ぼけてぼやける視界の中、ラムネ瓶に近づいた。
「・・・なんで?増えてる。」
その中身は満タンになっていて、200ml全部に水が入ってる。
「及川?起きたのか。」
俺が起きたことに気づいたのか、部屋から岩ちゃんがやって来て、眠たそうに欠伸をする。
「岩ちゃん、ここに水入れた?」
「おう。」
「なんで・・・」
「入れないでって言ったのに」、と続けようとするより、岩ちゃんの言葉が先だった。
「ヤッてた時ずっと気にしてただろ、それ。」
図星を突かれて言葉に詰まる。次に言葉を言おうとするのに、口が開いてパクパクするだけで声は出ない。
「言っただろ。分けてやるって。」
そう言って岩ちゃんは瓶を持ち上げ、外から中身を見る。少しにごりかけていた水が、透き通るような綺麗な透明になっている。
「ずっと持っててくれてありがとな。」
ラムネ瓶を元の場所に戻すと、岩ちゃんはそんなことを言った。
ずっとその言葉を待っていたかのように、俺の目から涙が溢れた。岩ちゃんが焦ったように声を掛けてくれたけど、いつまでも止まらなかった。
それから何年たっても、ラムネ瓶の中身は満タンのまま。
祖母が毎朝お味噌汁で幸せを満タンにするように、俺の毎日の幸せを岩ちゃんが満タンにする。
求めあってキスをして、引き寄せられるようにセックスする。
岩ちゃんが俺以外の人といると嫉妬して、嫉妬されると少し嬉しい。
ある日、ラムネ瓶の中身が空っぽになった。岩ちゃんがまた中身を入れようとして、それを床に落としたからだ。当たりどころが悪かったのか、年期か、すぐに割れて、俺はその頃30を過ぎていたのに、年甲斐もなくまた泣いた。
「新しいの買ってくる。」と言って家を出ようとする岩ちゃんを引き止め、これを直して欲しいと頼み込んだ。
不器用だけど直ったラムネ瓶には、水を入れると直した裂け目から零れてしまうから、もう水は入らない。
ー200mlの幸せを使い切ったらどうなるんだろう?
昔の自分の問いに答えを出すなら。
何も起こらなかった。
またそれから俺が先に死んじゃうまでずっと幸せな日々が続いただけ。
死ぬ瞬間、岩ちゃんには悪いけど、先に死ねてよかったって思った。祖父が祖母より先に死んだのは、逆に幸せだったのではと気づくほどに。
初めて見た岩ちゃんの涙に、嬉しさを噛み締めながら最後に「ありがとう」といった。
200mlの幸せは毎日岩ちゃんが注いでくれた。
何年も何年も注がれたそれは何倍にも膨れ上がってラムネ瓶から滴り落ちて、部屋いっぱいが浸かるくらい。
また岩ちゃんと出会えたなら今度は俺が幸せにしたい。
遠ざかる意識の中、握りしめたラムネ瓶に岩ちゃんの手も触れた気がした。
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