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なくなった香りside:詩音⑤

「麻生田君!何だ?どうした?その顔は!?」 朝イチで出社した部長達にびっくりされた。 「あ…いえ…ちょっと悲しいストーリーのビデオ見てて…泣いちゃってそのまま寝たから目が腫れちゃいました。」 「そうか…俺は継とケンカでもしたのかと思ったぞ。 まぁ『夫夫喧嘩は犬も食わぬ』と言うからな。」 「やだなぁ、部長。社長は麻生田君にメロメロなんですから、そんな訳ないじゃないですか。」 そうだ、そうだと先輩達が囃し立てる。 継がどんなに俺のことを大切にしてるか、てんでに力説し始めた。 今は…その内容は辛い。聞きたくない。 俺の気持ちを無視して、みんなはその話に夢中だった。 俺は身の置き所がなくて小さくなっていた。 この話題から話を逸らさなくては。 「ところで部長、そろそろ会議の時間ではないのですか? 準備もありますし早めに行かないと遅刻したら大変ですよ。」 「おっ、そうだった。ありがとう、麻生田君! おーい、お前ら、行くぞー! じゃあ、行ってきます。」 「はい、お気を付けて。」 わいわい言いながらみんなが出て行くと、あっという間に静かになった。 大きなため息をついて、仕事に取り掛かる。 書き損ねては何度も書き直し、集中できない。 一つのことを仕上げるのに午前中一杯掛かってしまった。 あ…継からラ◯ン…『お昼、待ってるから。』 顔を合わせたくない… 『ごめんなさい。 急ぎの仕事があるので、お昼はこちらで食べながらしたいので、行けません。 帰りに寄ります。』 嘘のラ◯ン。 見え見えの嘘。 継、ごめんなさい。

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