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7恋愛恐怖症の治し方
「小四の頃からちょっとずつおかしくなってったっけ。母さんは帰ってこなくなるし、親父は何か思い詰めてる感じだったし。
母さんと親父はあんま顔合わせなかったけど、合わせたら合わせたで喧嘩ばっかだったよ。
そん時平太はまだ幼稚園生だったから、何も分かってなさそうだったな。母さんの顔とか優しかった頃の親父とか、そういうの一切覚えてないんだろうな、きっと」
実際、俺も幼稚園生の頃なんてほとんど覚えていない。昔、果物狩りに連れて行ってもらった気がする、という記憶くらいだ。
そっちの方が幸せだろうな、羨ましい、とは思う。だからと言って、わざわざ覚えていない嫌なことを教えるつもりは毛頭ないが。
「母さんと親父は同じ会社に勤めててさ。母さんが社長秘書、親父が営業マンだったらしい。親父が一目惚れしてアタックしてそこから結婚したから、親父は母さんに惚れ切ってた。
でも母さんは社長とデキてたらしくて。不倫に疲れて家庭を持ったはいいけどやっぱ社長のことが好き、ってな訳でダブル不倫しちゃったんだと」
「身勝手な話だな」
千紘はぽつりと口を挟んだ。ホントだよなぁ、とおどけてみせるが、少し声が湿っぽくなった。
「親父はそれに勘付いてたらしいんだけど何も言わなかったらしい。そりゃ気付くよな、同じ会社なんだから。
でもある日我慢できなくなって問い詰めたら、見事にクロ。離婚寸前だったけど、それでも親父は母さんが好きだったんだって。時々それを俺に愚痴ってた」
「それは、大変だったな」
重く呟く千紘を、俺は笑い飛ばした。
「おいおい、今までのは全部前置きだぜ? 話はこっから」
千紘は信じられなそうな顔をして、やがて言った。
「話さなくてもいいぜ、誠人」
「……聞いてくれよ、ここまで言っちゃったらもう、全部話したいから」
平太にも話したことはなかった。平太はまだ幼くて、何も知らなかった。
だから、あえて話す必要はないと思って、俺の中だけに留めておいたのだ。
でも、千紘には聞いて欲しいと思った。十年近く留めておいたもんだから、そろそろ限界が来ていたのかもしれない。
そんな時にアルコールを入れたのは、良かったのか悪かったのか。
分からないが、聞いて欲しかった。アルコールの力を借りて、全部ぶちまけたかった。
千紘が頷いたのを見て、俺は話を再開した。
「そんな中、会社の経営が傾き始めて、どんどん赤字が大きくなって、多額の借金を抱え込むようになってって。タイミングとしては最悪だった。
親父はさっさと辞めて違う会社に就職したんだけど、母さんはなかなか辞めなかった。愛してたんだろうな、社長のこと。
会社を辞めなきゃ母さんまで共倒れになる、でも辞めたら社長との縁は切れてしまうかもしれない、そんな状況に母さんは追い込まれてた。
で、どうするんだ、って親父は母さんに詰め寄ったんだと。家庭と社長どっちを選ぶんだ、って意味も込もってただろうな」
それでお母さんはどうしたんだ、と言葉には出さないが訊く千紘を見て、俺は震える息を吐き出した。千紘の肩を縋るように掴んで、答えた。
「――それで母さんは、社長と心中した。俺が小五の時、平太はまだ小学校に入学したばっかだったのに、そんな家庭を一切合切捨てて」
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