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12恋愛恐怖症の治し方

 思考が止まった。今の俺はきっと、とんでもなく阿保な顔をしているだろう。 「そういうのって……え? 兄貴ヤリチン止めんの?」  兄貴は「そうだよ止める」と苦笑した。 「……兄貴、病院でちゃんと検査してもらった? 頭打ったのに自己判断で病院行かないとか駄目だからな」  可哀想に、という目で見てやると、兄貴はため息を吐いた。「そこまで言うか」 「日頃の行いが悪いからこうなんだよ」 「ま、それは否定しないけど」  そんなやりとりをしながら、俺は内心首を傾げた。どう考えてもいつも通りの兄貴だ。  なら、どうしていきなりそんなことを言い出したのだろうか。  ――その謎は、すぐに解けた。 「なあ誠人、まだ見つかんねえの?」 「ああごめん。もう見つかったよ、ほら」  兄貴が、後ろから肩を抱いてきた相手に向かって、ひらひらと財布を振ってみせた。  その相手は、俺に気が付くとにこりと笑い、すぐ後に驚いたように目を開き、 「なあ、あの平太君が抱き着いてんのが?」  と、兄貴をつついた。 「そうそう。意外でしょ?」 「ああ。てっきり女の子かと。それもすっごい可愛い子。何たってお前の弟だしな」 「ちょっと、俺が面食いみたいに言わないでくれる?」 「あ? 面食いだろ、典型的な」 「ま、確かに今まで顔が整ってる奴しか抱いてないけどね、俺は」 「うっわクズだ」  兄貴とこんなノリで話すのは、そして兄貴が猫を被らずに話す相手は、一人しかいない。  兄貴の友達の千紘さんだ。  今千紘さんと一緒にいるってことは、と、ある一つの可能性に思い至り、兄貴に尋ねた。 「なあ兄貴、昨日千紘さんの家に泊まったの?」 「ん、そうそう」  さらりと答える兄貴。しかし、何となく顔が赤くなっている。  俺は真空さんから離れ、千紘さんの手を引いて兄貴から離し、小声で問いかけた。 「千紘さん、昨日兄貴と何かあった?」  兄貴がいきなりあんなことを言い出したのは、考えられるのは千紘さんに関係していることしかないだろう。  それに俺は、千紘さんがずっと前から、本人曰く高校の合格発表の時から、兄貴のことが好きという話を聞いていた。  悪趣味だからやめろ、と兄貴のヤリチンぶりをぶちまけて何度も止めたが、千紘さんは『そんなことは分かってる』と心変わりしなかった。  もしかしたら、何か進展があったのかもしれない。 「え? えーっと、その……何か恥ずかしいんだけど」  千紘さんははにかむように首の後ろを掻き、笑った。 「誠人と、付き合うことになった」  それを聞いて俺は、今度こそ本当に思考が止まった。 「……は!? 兄貴! お前千紘さんと付き合うことになったの!?」  気付けば俺は、声を裏返して尋ねていた。  兄貴は顔を赤くして、はにかみ笑いこくりと頷いた。兄貴らしくない控えめな反応を見て、それが現実味を帯びてきた。  ――ああ見えても兄貴が色々と苦労しているのは、知っていた。  母親が若くして死に、その後父親が虐待に走り、そして未成年の子供を捨てるなんて、まともな家庭環境のはずがない。  兄貴は何があろうと口を割らなかったが、兄貴が俺に、必死に何かを隠しているのは分かっていた。  そのことで、たった一人で苦しんでいるのも。  いつでも飄々としている兄貴だったが、前に珍しく泥酔した時、俺にしつこく絡んだ挙句、こうぽつりと呟いたことがあった。 「ごめんね、こんな兄貴で。……平太、お前は誰か大切な人を見つけて幸せになりな。間違っても俺みたいにならないで」  兄貴は誰にも本心を見せたがらないきらいがあったが、それが初めてまともに見せた本心のような、そんな気がしていた。  だから、あんなクソ兄貴でも嫌いになり切れなかった。  兄貴が何を抱えているのかは分からないが、幸せになって欲しいと思っていたのは事実だ。まあ、不幸を願っていた時間の方が長いが。  だからといって正直に「よかったな」と告げるのは何だか照れ臭かったし、そんなことを言い合うような仲じゃない。  なので俺は代わりにこう言った。 「兄貴、千紘さんはずっと兄貴のことが好きだったらしいから、捨てたらお前、本物のクズだからな」  そしてふざけるように千紘さんに向かって笑った。 「千紘さん大丈夫、もしそうなったら俺が自殺に見せかけて殺しとくから」 「お前、それが仮にも兄貴に言う言葉かよ」  そう言いながらも俺の言葉の真意に気付いたようで、兄貴は嬉しそうに笑っていた。  これが俺なりの祝福だ。せいぜい幸せになれ。  じゃれ合って部屋を出て行く二人の背に、心の中で俺は祝福の言葉を呟いた。

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