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4重なり合うトライアングル
小深山先輩は一度目をぱちくりとさせ、けたたましい笑い声を上げた。その狂ったような哄笑に、背筋が凍った。
「あっ……はははははははははははっ! たかが数ヶ月一緒にいただけで何いい気になってるの? 僕の方がずっと一緒にいたし僕の方がずっと色んなことを知ってる。どうやって真空を誘惑したのかは知らないけど真空は僕のものだから」
小深山先輩は息もつかずにまくし立てた。
「そんなことを言われても、俺と真空さんが両想いっていう事実は変わりませんよ」
そう言っても、小深山先輩は一切動じずに首を傾げた。
「両想い? 真空が君に騙されてるんだろう? だから僕が真空の目を覚まさせてあげなきゃいけないんだ」
小深山先輩は、心底不思議そうに言った。
「それ、本人に聞いたんですか」
「聞かなくても分かるよ、そんなこと。だって真空は僕のものだから」
「だから、何で真空さんが小深山先輩のものだって言い切れるのか聞いてるんです」
「何で、って言われても、それが事実だからだよ」
ムキになっている様子でもなく、必死にそれに縋り付いている様子でもなく、淡々と事実を述べるように言う小深山先輩。本気でそれを信じているようだ。
「幼なじみだから小深山先輩のもの、ってことにはなりませんよ」
「分かってるよ? 幼なじみとか関係なく、真空は僕のものだ」
さもそんなことを聞いた俺がおかしいかのように、小深山先輩は当然のように答えた。
正直、話が通じない。
小深山先輩は俺と真空さんが両想いなのを承知の上で、それを引き剥がそうとしているのだとばかり思っていた。
だが違った。小深山先輩は自分と真空さんが両想いだと信じ込んでいて、俺はそこにいきなり入ってきた邪魔者だと思っている。
小深山先輩は理知的な人だと思っていたが、どこか箍が外れているように思える。
普通、好きだとも言われていないのに両想いだと信じ込めるものだろうか。
仮に、幼なじみだから、 という理由で、百歩譲って信じ込めたとしよう。
だが、相手が他人と付き合い始めたのに、それでも何の疑いもなく両想いだと信じ込めるものだろうか。
「それで? どうしても別れてくれないの? もしそうなら君は、教師に暴行を加えたっていう理由で今週中にでも退学になるけど」
「……どういうことですか」
全く身に覚えのないことを言われ、思わず聞き返した。
「そうだね、地理の小熊先生でいいかな。君は今日小熊先生に暴行を加えたことにして、小熊先生にはしばらく『入院』してもらおう」
それを無視して、呑気にも聞こえる響きで小深山先輩は言った。
「……小熊先生を買収して、休暇を無理に取らせる気ですか」
「買収なんて人聞きの悪い。あくまで『入院』だよ『入院』」
そう言いつつも、小深山先輩は積極的には否定しなかった。
「そんなことしていいと思ってるんですか」
「いいも何も、悪いのは君だ」
しばらく無言で睨み合った。どう見ても、小宮山先輩は引く気がなさそうだ。
どうする。
ここで退学させられたら人生が詰む、とまでは言わない。だが、まともな就職という道は、酷く遠のくに違いない。
できれば、退学という道は避けたい。だが真空さんとは別れたくない。
どうすれば、どうするのが正しいのだろう。
いっそのこと、隙を見て逃げるか。
いや、それじゃ根本的な解決にはなっていない。
「そんなに君は退学したいの? いいよ、僕が望みを叶えてあげるから」
――その時不意に、聞こえるはずのない声が聞こえた。
「明塚君を退学させるなんて、僕が許しませんよ、先輩」
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