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3潮の満ち引き

「海見えますよ、真空さん」  真空さんは部屋に入ってから立ち止まって窓の外を一望し、本当だな、と呟いた。その眺めに心が奪われているようだった。 「夏休み中短期バイトを掛け持ちした甲斐があった……」  思わずため息を吐くと、苦笑して真空さんが言う。 「言ってくれれば、平太の分の宿代も俺が出したのに」 「嫌ですよそんなの。格好つかないじゃないですか」  何気なく言う真空さんだが、この旅館の宿泊料金は、一人当たり大体二万円。交通費もかかるのだから、おいそれと出せる金額ではない。  真空さんにとっては、どうってことのない金額なのかもしれないが。 「何で、どうしても鎌倉に来たかったんだ?」  部屋に備え付けの椅子に腰掛けて、真空さんが問う。俺も向かい側の椅子に腰掛けて、答えた。 「初めて家族旅行に行った場所で……っていっても、俺と兄貴の二人旅なんですけどね」  俺が中一で兄貴が高二の時、兄貴がたまたま懸賞で、二泊三日の鎌倉の旅行プランを当てたことがあった。  その時俺は、誰か適当な女と行くんだろうな、と漠然と考えていたから、唐突に二人で行こうと兄貴が言い出した時は、本当に驚いた。  旅行中俺が何度も、何で俺となんだと尋ねても兄貴は飄々とした態度でかわしていた。だけど一日目の夜、兄貴は珍しく泥酔して、ある時ぽつりと、 『ごめんね、こんな兄貴で。……平太、お前は誰か大切な人を見つけて幸せになりな。間違っても俺みたいにならないで』  なんてことを呟いたから、女じゃなくてわざわざ俺と行くのを選んだ理由が、分かったような気がした。  旅行中の兄貴はすごく楽しそうだったし、俺もはしゃいでいたと思う。兄貴はバイトしてるからいいんだなんてうそぶいて、馬鹿みたいに食べ歩きをしていたし、俺は子供みたいに浜辺で兄貴に水をかけた。  それは、兄貴にとっても俺にとってもあの時は、素を出せる相手が数少なかったからだろう。兄貴は俺と千紘さんだけで、俺は兄貴と幼馴染一人だけだった。  中学生までで楽しかった思い出を一つ挙げろ、と言われたら俺はきっと、その旅行のことを挙げるだろう。  今以上にずっと、あの時は周りに素の自分を出さなくて、その上家庭が冷え切っていたものだから、子供らしくはしゃぐのもまともにできなかった。だからそれは、初めてと言ってもいいくらい、はしゃいだ思い出だ。  俺にとって鎌倉は大切な場所だった。だけどそれ以来、一度も行っていなかった。だから、行きたいところと問われた時、ここが浮かんだ。  そんな場所で誕生日、真空さんと過ごせたら楽しいだろうな、と思って。

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