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4潮の満ち引き

 うだるように暑い夏の日だったが、その寺の中は爽やかな涼しさがあった。竹林が風にさわさわと揺れているからだろうか。  茶店のテラス席に座り、抹茶の器に手を添えながら、すごいな、と真空さんが呟く。  口元にほんの僅かな笑みを湛えて竹林を見上げる真空さんが、不意に絵になると感じた。だから俺は携帯を取り出して、真空さんの顔を写真に収めた。  突然のシャッター音に驚いたのか、真空さんは反射的に俺の顔を見た。 「綺麗だなと思って」 「竹林が、か」  納得したように頷く真空さんに向かって、かぶりを振った。 「竹林を見ながら抹茶を飲む真空さんが、です」  真空さんの顔は途端に真っ赤になった。恥ずかしくなったのか、俯いて抹茶の器をじっと見つめた。  その表情は可愛いと思って、俺は再び携帯を構えた。真空さんはそれに気付いて、慌てて手で顔を隠した。 「と、撮るなって」 「撮らせてくださいよ、可愛い真空さんも」  真空さんがさらに顔を隠した。ずるいって、と小さく呟いた声が聞こえた。 「何がずるいんですか」 「平太のそうやって自然に口説くところが」  真空さんは顔を隠したまま、少し恨みがましく答えた。  自然に口説く、だなんて言われても、俺自身は口説いてる自覚はなかった。思ったことを口にしているだけだ。 「見せてくださいよ、顔」  言いながら首に手を這わせると、真空さんはほんの少し体を震わせた。 「写真撮らせてくださいよ、ね?」  耳元で囁くと、真空さんはさらに顔を背けた。このままでは埒があかないので、こう囁いた。 「このまま顔見せないんだったら、今ここで耳、舐めますよ」  真空さんが、微かに甘い吐息を漏らした。そして真空さんは素直に手を退けて、俺と目を合わせた。  心臓がどくんとなったのを感じた。真っ赤な頰に恥ずかしさを堪えるように真一文字に結んだ口元、何より少し潤んだ瞳が可愛くて、誘ってるのかと一瞬考えた。  シャッターボタンを押すと、慌てて目を逸らして、真空さんは息を吐いた。 「見てください、真空さんこんな顔でしたよ」  携帯の画面を真空さんに向けると、見せなくていいから、と焦ったように顔を背けた。  これ以上色々していると注目を浴びそうなので、俺は真空さんから少し離れた。既に、何人かの女の人がちらちらと、明らかに俺と真空さんを見ていた。 「真空さんって抹茶、好きですか」  真空さんは少しの間視線を宙に迷わせると、嫌いじゃない、と答えた。  俺は遊園地の時を思い出して、 「甘いものの方が好きですか」  と問いかけた。真空さんは頷いてから、少し不安げに尋ねた。 「……子供っぽいか?」  確かに、真空さんはぱっと見、甘いものは苦手そうで苦いものや辛いものが好きそうだ。だけど、そんなギャップも可愛いと思った。 「子供っぽくないですよ。かわ――」 「可愛いって言うなよ」  言葉を途中で遮られ、きょとんとしてしまった。それから、思わず笑ってしまった。 「参ったな。俺が何言おうとしてるか読まれちゃいましたか」 「平太はすぐ可愛いって言うから、俺の心臓がもたない」 「だって、本当に可愛いですし」  真空さんはそれを聞いて、また顔を赤くして俯いた。 「また照れた。そうやってすぐ照れるの、俺にだけですよね」  気を付けたつもりだったが、声色に独占欲が滲んでしまった。それに気付いたのか、真空さんの口元が少し緩んだ。 「もちろん、平太だけ」  そう返答されるのは分かっていたのに、改めて聞いて安心する。そんな自分に気付いて、やっぱり本気で好きなんだと実感した。 「そうですか。俺もこんなに可愛いって言うの、真空さんだけですよ」  そう言うと、照れたのを隠すように抹茶を一気に飲むと、真空さんは立ち上がった。 「ええと……お腹空かないか? ほら、そろそろ十二時だから昼飯でも」 「恥ずかしくなったの、誤魔化そうとしましたよね?」  笑いを含んで尋ねると、真空さんは聞こえないふりをして荷物をまとめ出した。

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