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1その笑顔が向けられるのは
「でさぁ、次の日行った水族館で、真空さんが目キラッキラさせてぽつっと『すごいな』って呟くのがすげえ可愛くて? 遊園地すらまともに行ったことなかったらしいから、水族館も多分初めてなんだろうけどさあ、にしても反応ウブ過ぎねえ? 本当、それだけでそこ来た甲斐あったと――おい、返事ないけど聞いてんの、渉?」
『聞いてる聞いてる。……あークソ、惚気全部聞くなんて言わなきゃ良かった』
電話越しにうんざりとした渉の声が聞こえた。
俺としても話し過ぎな自覚はあった。だが、本人に言っても言い足りないくらい色々と溜まっていたので、止まらなかった。
『もうそこら辺の甘い話はうんざりだわ。俺が聞きたいのはそこじゃなくてさぁ……旅行中、ヤった?』
いかにも思春期男子らしい質問に、思わず笑った。『あ、おい! 笑うなよ』と焦った渉の声が聞こえる。
渉には既に、俺と真空さんの馴れ初めも性癖も話してあるから、躊躇うことはなかった。
「風呂で一回、寝る前に部屋の布団で四回」
げふ、と咳き込む音がした。何かを飲んでいたのだろうか。その後何度か咳き込みながら、呆れたように渉が言った。
『……まさか、回数言われるとは思わなかった』
「なに? 内容聞きたかった? じゃあまず風呂でだけど、脱衣所で散々焦らしてから俺の体洗わせて、それから俺の足を――」
『やっぱ待てストップ。お前と先輩のセックスの話って濃過ぎるから、もういい』
慌てたように言葉を遮る渉。良いところで遮られ、少し不満だった。
「何だよ、話振ってきたのお前だろうが」
『俺はヤったかどうかだけ知りたかったの! それをお前は聞いてもいない回数とか内容とか話しやがって……』
「ごめん、童貞には刺激の強い話だったか」
冗談めかして返すと、お前いつか絶対覚えてろ、と恨みがましい声が聞こえた。
『ていうか、俺が平太に電話したのは何も、旅行中の惚気聞くためじゃねーんだよ。もっと違う用件があって……』
こいつがわざわざ電話してくるほどの用件とは何だろうか。少し身構えてしまう。
『ええと、その……明日空いてる? 海とか行かね?』
躊躇いがちに発せられた言葉に思わず、「はあ?」と返答してしまった。
「何だそれ、デートの誘いかよ? 今惚気てたばっかだから分かると思うけど、ごめん無理」
わざとそううそぶくと、渉は焦って言い募った。
『は? 誰がお前なんかとデートに行くかよ、死んでもごめんだね。俺は別にお前と行きたい訳じゃねーんだよ』
「じゃあ俺誘うなよ」
『いやそうなんだけど……お前じゃないと駄目な理由があって……』
だからその理由は何なのかはっきり言え、そう言おうとしてふと、理由が思い当たった。俺と海に是非行きたい訳ではないが、俺を誘わないといけない理由が。
「なあ、正直に言えよ。俺と海に行きたいんじゃなくてさ、本当は別に誘いたい相手、いるんだろ? 俺を口実に使いたいだけなんだろ?」
渉は途端に言葉に詰まった。図星だったようだ。その後、渋々と答えた。
『……ああそうだよ、和泉と行きたいんだよ悪いか』
予想通り、だった。
俺と渉が下の名前で呼び合っているのを聞いて、和泉が自分も下の名前で呼び合いたいと言い出したことから、渉は和泉を下の名前で呼べるようになった。が、それ以上は進展らしい進展もなかった。
理由は簡単。渉は恋愛経験がないせいで、相手を振り向かせる方法が分からないのだろう。
「で、俺誘った後どうすんの? 自分で『平太もいるから一緒に行こうぜ』って言えんの?」
すると渉は黙り込んだ。渉の息遣いだけが聞こえる。
そろそろ焦れて、声をかけようとしたその時、ようやく渉は控えめに問いかけてきた。
『無理……勇気ないから、お前が代わりに誘ってくんねー?』
そうくると思っていたが、わざとらしくため息を吐いた。恐縮したような、頼むよ、という渉の声が聞こえる。
「お前が誘わないと意味ねえだろうが……分かったよ、誘えばいいんだろ誘えば」
『マジ? 助かるわー、ありがとな! いつか絶対お礼する』
「じゃあアイスかなんか後で奢れよ」
渉は『当たり前だろ!』と元気よく言うと、じゃあ詳しいことは後でまた連絡する、と告げて電話を切った。
――面倒なことになったな。俺は思わず、そうため息を吐いて、携帯の電源を落とした。
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