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8その笑顔が向けられるのは

「……僕、悪いこと言っちゃったかなぁ」  平太の姿が消えてから、多少落ち込んだ様子で和泉が呟いた。 「大丈夫だって、そんなことで怒るようなやつじゃないだろ?」  そう慰めたが、和泉は「だけどさぁ……」とまだ落ち込んだ様子だった。  そんなに落ち込んでいるのは相手が平太だからか。そんなことを一瞬考えてしまった自分の意地の悪さを恥じた。和泉は相手が誰だろうと自分が悪いと思ったら素直に落ち込む、そういうやつだって分かってるのに。 「僕さ、いっつもそうなんだよね」  かき氷にストローを刺し込みながら、ぽつりと寂しげに呟く和泉。ん? と聞き返すと、そのままの声色で続けた。 「ちょっと空気が読めないんだ。あと暗黙の了解、みたいなのも全然分かんなくてさぁ。それと、嘘とかお世辞とかの区別も付かないし」  駄目なんだよね、僕、と、和泉の声色にほんの少し自虐の色が混ざる。 「そこが和泉のいいところだろ」  俺は思わず、呟いた。本音だった。  確かに、空気が読めない、馬鹿だ、と煙たがる人はいるだろう。だけど、それはそれだけ、自分にも他人にも正直で疑うことを知らない、ということだ。  俺は和泉の、天然で純粋なところが好きだ。一緒にいて癒されるし、気を張らなくて済むし、時々その純粋さにはっとさせられる。  和泉は目をぱちくりとさせると、不意に笑みを溢れさせた。 「本当? そんなの初めて言われたかも。ありがとう!」  その笑顔に思わず、見惚れてしまった。それを誤魔化すように俺は、かき氷を頬張った。 「本当、海に来てよかった」  思わず呟いた。こんなにきらきらした和泉が見れただけで、海に来た甲斐があったと思う。 「僕も! 今日すっごく楽しいもん!」  溢れんばかりの笑顔で和泉は言う。だけど、心の隅でもやもやとした気持ちが広がる。俺はそれをぽろりと口に出してしまった。 「平太がいるから?」  言ってから、しまったと後悔した。どうして俺は、自ら自分が傷つくようなことを言ってしまったのか。  しかし、和泉は首を振った。 「んー、それも確かにあるんだけどね。平太君と渉君、どっちもいるからこんなに楽しいの! 渉君といると気を遣わなくていいから安心できるっていうか……とにかくね」  和泉は俺を見て、へへっと笑った。 「僕、渉君と仲良くなれて本当に良かったと思ってる!」  和泉はずるい。和泉は裏表がないから、この言葉も間違いなく本音だ。だからずるい。  その笑顔が、あまりに眩しくて、可愛くて――俺は気付いたら、軽く唇を重ねていた。  顔を離してから、ようやくその事実に気付いた。……俺はなんてことをしてしまったんだ。  一気に顔が火照る。パニックになってしまって、何もまともに考えられない。頭の中を「どうしよう」という無意味な言葉だけが巡る。  和泉は、ぽかんとした顔で口を半開きにしていた。理解ができないように。 「……もしかして」不意に和泉が声を上げる。「ああ、そっか」  和泉が何に納得したのか全く分からず「え?」と聞き返してしまった。  和泉は不意に自分の口元に触れると、頷いた。 「僕の口にかき氷がついてて、それ取ろうとしたら間違えてキスしちゃったんでしょ?」  その手には、確かに青いシロップがついていた。  俺は「はあ? そんな訳あるか」と言ってしまいそうになり、慌ててそれを飲み込んだ。呆れるほどに天然が炸裂した言葉だが、本人がそう思っているのだったらそれに乗る他ない。 「え、あー……そうそう! 間違えちゃってさぁ、本当焦った。そういう意味じゃなくて、間違えちゃっただけだから! うん、俺、男とか好きじゃねーし、あははは」  冷や汗をかきながら、早口でそう言った。慌てて浮かべた笑顔の口の端が、どんなに頑張っても少し引きつってしまう。  そんな俺とは裏腹に、馬鹿みたいな俺の言い訳を本気で信じ込んでいるような様子の和泉。「そっかぁ」なんて、いつもと変わらない調子で頷いている。  俺は詰めていた息を、思わず吐いた。まさか、こんなありえない言い訳が通るとは思わなかった。 「これから気を付けてね? 変に気まずくなっちゃうとこだったじゃん」  和泉はいつもと変わらない笑みを浮かべる。  その言葉から、ああやっぱり俺とそういう関係はありえないんだな、なんて分かってしまって、だけど頷かない訳にはいかなくて、俺は曖昧な笑みを作って頷いた。

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