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3受験と仕事と卒業と

 門のところにあるインターホンを押すと、玄関の方から真空さんが勢いよく飛び出してきた。そして息を切らせて走ってきた真空さんは、すぐに門を内側から開けた。 「平太……」  真空さんは顔を綻ばせた。その引き締まった表情が緩む瞬間が俺は好きだ。俺は思わず真空さんを抱きしめた。 「……合格、おめでとうございます」 「ああ」と真空さんは頷いた。ここ半年以上真空さんを抱きしめるなんてしていなかったので、それだけで嬉しい気持ちで満たされた。真空さんが俺の腕の中にいるのが本当に嬉しい。  そうやってしばらく堪能していると、真空さんは困惑したように身じろぎした。 「いつまでこうしているつもりだ……?」 「ごめんなさい、久しぶりで嬉しくて……中入りましょうか」  そうして通された先の家の中は、相変わらず塵一つない綺麗な豪邸だった。この立派過ぎる家に気後れしなくなったのはいつ頃だっただろう、とぼんやり考えながら手に持っていたレジ袋を台所へ置き、手を洗った。  普段から家事代行を頼んでいるため常に家は綺麗だし、真空さんも父親もほとんど料理をすることはないと聞いた。だからなのか、 「……見てて楽しいですか?」 「楽しい」  俺が料理をするときはいつも、真空さんは無言で見つめてくる。だからといって包丁を渡そうとすると、青い顔で拒否をしてくる。  真空さんは家事全般が苦手だが、特に料理ができない。そりゃこの環境だとそうだろう。する必要が全くない。  真空さんはそのことを気にしているみたいだが、俺が真空さんの分の食事も作るから気にしないでいいのに。  しばらく俺が料理をするのを無言で眺めていた真空さんだが、ふと尋ねてきた。 「……平太、料理が上手くなったか?」 「うーんどうだろう……前何かの番組で料理が得意って言ったら、料理関連の番組とか企画に呼ばれるようになったんで……多分そのせいだと思いますけど」 「ああ、それでか……」  真空さんはそうぽつりと呟くと、また黙った。ちらりと顔を見ると少し寂しそうに見えたのが不思議だった。  出来上がった料理を全て食卓に乗せると、真空さんは驚いたような顔でそれを眺めていた。その瞳がキラキラしていたのが可愛くて、思わずキスをしたら顔を赤くした。そうやって可愛い反応をするからキスされるんだ。俺に。  いただきます、と互いに手を合わせてから食べ始めた真空さんは相変わらず食べ方が綺麗だった。俺が作ったのはなんちゃって時短イタリアンだったが、真空さんが食べると高級イタリアンにすら見える。これは多分惚れた贔屓目じゃなくて、だ。 「……美味しい」  真空さんはふわりと笑った。俺はよかったです、と笑い返した。本当に美味しそうに食べてくれるからこっちも作り甲斐がある。  けれど、真空さんはふと浮かない顔になり、手も止まりがちになった。さっきから何なのだろう。聞いてもいいのだろうか。  真空さんの様子を伺いつつ食事をし、それが食べ終わってしまった頃、真空さんは遠慮がちに切り出してきた。 「あの……平太。俺、試験が終わってから結果が出るまでの十日間くらい、ずっと撮り溜めてたお前のドラマだったりバラエティだったりを見てたんだ」 「一気見……って、意外と量あったでしょう? 見るの大変じゃなかったですか?」 「いや、全然。それで、どれもすごく良かった。バラエティに出てる平太も新鮮だったが、やっぱりデビュー作の演技が本当に良かった。あれは人気が出るのも頷ける」  デビュー作というのは火曜十時から放送されていた学園モノの恋愛ドラマのことで、俺は主人公の同級生という、事務所に所属して一番最初に受けたオーディションでもらえた役を演じた。  この同級生役というのがなかなかの立ち位置で、ヒロインの男友達でありヒロインに片思いしている、いわゆる当て馬役だったのだ。どうして自分が選ばれたのか分からないくらい存在感のある役だ。  そのドラマはヒロインもその相手役も今をときめく人気女優と人気俳優で、だからこそ無名の俺がかなりの話題になったそうだ。マネージャーの窪田さんが言っていた。 「そうですか? 映画をたくさん見てる真空さんが言うなら間違いないですよね」 「ああ。本当に平太は画面越しに見てもかっこよくて、それで今日会ったら何だかオーラが増してたというか、キラキラしてたというか……とにかく、その」 「惚れ直してくれました?」  真空さんは一瞬躊躇うと、ああ、と頷いた。その表情が何だか暗いのが気になった。 「……どうしてそんな顔してるんですか」  問いかけるが、真空さんは「いや別に」とかぶりを振って、最後の一口を運ぶと手を合わせてから、食器を持って立ち上がった。 「……俺、先に風呂入るから」  そうしてそのまま、真空さんは食器を洗面台に置くと、風呂へ行ってしまった。  俺は釈然としない気持ちを抱えながら、真空さんが出た後の風呂へ入っていた。  別に、俺といるのが嫌な訳ではないと思う。最初はいつも通りだったし。  真空さんの反応が変わったのは、確か俺の仕事の話になったとき。なら、と俺は一つの考えに至った。真空さんは、俺の「俳優」という仕事が嫌なのだろうか。  だけど、そもそもこの道に進むことをずっと勧めてきたのは真空さんだ。それが、いざ有名になったからって手のひらを返すだろうか。いや、真空さんはそんな人じゃないはずだ。  何にせよ、実際に聞いてみないと始まらないか。俺は心の中でそう呟き、風呂から出た。  真空さんの部屋に向かうと、真空さんはベッドに腰掛けて考え事をしていた。俺が来たのに気づいて顔を上げたが、その表情も決して明るいものとは言えなかった。  俺は無言で真空さんの隣に座ると、戸惑った様子の真空さんを無視して、静かに問いかけた。 「……真空さんは、俺が俳優をしてるのは嫌ですか?」  真空さんは驚いたように目を見張ったのち、勢いよく首を横に振った。その動作に嘘は見られない。 「ならどうして、さっきから暗い顔してるんですか」  真空さんは躊躇するように黙り込んだが、やがておもむろに口を開いた。 「……平太が活躍しているのは、嬉しい。俺まで誇らしい気持ちになる。だが……何だか、遠い存在になった気がして」  それから真空さんは「平太」と俺と目を合わせ、その後すぐ目を逸らして問いかけてきた。 「……本当に、付き合う相手が俺でいいのか」  俺が「は?」と聞き返すと、真空さんはぼそぼそと言った。 「芸能界なんて綺麗な女の人がたくさんいるから、平太はこれから綺麗な女の人と出会う機会はたくさんあるだろうし、いつかそっちの方がいいってなるかもしれない。それに……俺は同性だ。結婚もできないし、世間からは色眼鏡で見られるだろうし、バレたら大変なことになる」 「……それ本気で言ってます?」 「ああ。……俺じゃ、平太の人生の汚点に――」  俺は思わずため息を吐いてしまった。どうして本人に一番伝わらないんだろう。周囲にドン引きされるくらい好きだというのに。 「そんなこと、冗談でも言わないでください。……確かに綺麗な人と出会う機会はたくさんありますけど、それって別に今に限った話じゃないですし。この業界に入る前、もっと言えば真空さんと出会う前からそんな機会山ほどありましたけど、それでも俺が好きになったのは真空さん一人だけです。  それに同性だから、って、そんなこと百も承知で付き合ってますから。それ相応の覚悟だってあります。じゃなきゃ、真空さんの婚約話を無かったことにさせてまで付き合い続けてないです。真空さんの婚約を破棄させておいてあっさり捨てるなんて絶対するつもりもありませんし、第一そんなことしたら真空さんの父親に殺されますって」  でも、とまだ何か言いたげな真空さんの口を俺は塞いだ。  こういう時に自信がなくなるのは真空さんの悪い癖だと思う。もっと堂々としてくれていいのに。俺なんて、まるで我が事のよう真空さんのことを自慢しまくっているせいでいい加減マネージャーの窪田さんにうざがられているというのに。 「自分なんかが……って思うんじゃなくて、もっと堂々としててください。俺が好きなのは真空さん一人だけですから」  真空さんは少し躊躇って、頷いた。それから申し訳なさそうに呟いた。 「面倒くさいよな、俺」 「面倒くさいっていうか……俺としてはいい加減もっと信じてほしいですね」 「いや、信じてはいる。いるんだが……平太がかっこよすぎて不安になる」  視線を下に落としながらぼそぼそと言う真空さん。  俺がかっこよすぎて不安だなんて可愛い。そんな悩みならいくらだって聞いてあげたいし、そもそも真空さんがこんなに悩むのは俺のことだけだっていう事実が堪らない。  俺は真空さんを思わず抱きしめた。 「不安になったらいつでも言ってくださいね。その度に何度だって大好きだって言いますから」 「……面倒じゃないか?」 「俺はむしろ全く言い足りないくらいなのでちょうどいいですね。何なら毎日『俺のこと好き?』って聞いてくれてもいいくらいです」 「……そうか」  真空さんは小さく笑って、俺に体を寄せた。真空さんは本当に可愛い。何が一番可愛いって、こんな顔をするのは俺の前だけなのだ。  こんなのむしろ、真空さんが俺にもったいないくらいだ。こんな俺に捕まってしまってかわいそうに、とすら思う。一生離す気はないが。 「……そうだ、平太。お前の出てたドラマを見た感想、まだ言い足りないんだ。話してもいいか?」 「むしろ話してください。すごく気になります」  そうか、と真空さんは嬉しそうに頷き、楽しそうに話し出した。真空さんは映画を観た後もかなり語るが、それはドラマでも同じだったようだ。少し気恥ずかしい。  真空さんの表情がちゃんと明るくなってよかった、と嬉しく思いながら、俺はひたすら真空さんの話を聞いていた。

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