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5受験と仕事と卒業と

「柔らかな春の日差しを受け、桜の蕾も膨らみを増した今日の佳き日に――」  学園長の式辞を、嘘つけまだまだ肌寒いぞ、と心のうちで文句を言いながら、俺はぼんやりと聞いていた。  今日は櫻宮学園の卒業式だった。在校生は自由参加だそうだが、真空さんと小深山先輩が卒業だからだろうか、ほぼ全校生徒が出席した。  さすが櫻学のツートップは違う。そうぼやいたら、来年は他人事じゃなくなるよ、と和泉に苦笑されたが。  何でも俺、雫、和泉、渉の四人で櫻学の四天王と呼ばれているらしい。そういえばそれを聞いた渉が「『奴は四天王の中でも最弱…』ポジは俺のものだからな」とか訳の分からないことを言っていたっけ。  あまりに長い学園長の話に半分まどろみながら俺は、この二年間のことを思い出した。  真空さんとはこの学園の屋上で出会って。最初は何してんだこの人ってドン引きしたし、変な人に絡まれちゃったな、としか思わなかったのに、いつの間にかこんなに好きになって。  付き合い始めてからは、新しい発見ばかりで。俺がこんなに他人を好きになれるなんて、思いもしなかった。  それから、小深山先輩に酷く恨まれたこともあったっけ。あの頃のことはもう……正直思い出したくないが、色々ありつつも小深山先輩との仲も良好になって、本当によかった。でもできればもう二度と、キレた小深山先輩には遭遇したくない。  学校行事も、色々なことがあった。  一年の時の体育祭では、借り物競争で真空さんと走ったり、リレーで走る真空さんを応援したりして。あんなに楽しい学校行事は生まれて初めてだった。  舞台祭ではハムレットをやって、台詞の飛んだ真空さんをフォローして。思えばあれが、俺の初舞台だった。  それから文化祭では俺が王子様の格好をさせられて、真空さんが執事服を着ていて。もう一回真空さんの執事服、見てみたいなぁ。渉に行ったら執事服の一つや二つ、作ってくれるだろうか。金ならいくらでも出すから。  逆に二年の時の文化祭は、俺が執事服を着たっけ。俺のことをかっこいいって言う真空さんは今思い出しても可愛かった。  体育祭は俺が応援団長をやらされて。応援合戦を見る真空さんも可愛かった。  それから舞台祭ではアラジンをやって。終わってから一緒に帰る時、たくさん褒めてくれた真空さんも可愛かった。結局、真空さんは何をやっていても可愛いのだ。世界一可愛い。 「――卒業生、在校生、起立」  周りが突然立ったので慌てて意識を現実に戻して立ち上がると、斜め後ろに座っていた雫が後ろから軽く小突いてきた。これは後でいじられるんだろうな、と俺はぼんやり思った。  その後、只今をもちまして、と司会の副学園長が続けたのを聞いてようやく、卒業式が終わったのに気づいた。さっきまで学園長の挨拶を聞いていたはずなのに……と俺は内心首を捻りながら再び席に座った。  雫にお前ぼーっとしてんじゃねぇよ、といじられ、渉が在校生の挨拶をした和泉を褒めているのを何となく聞き流しながら、俺たちは卒業生の見送りをする場所に向かった。  何でも、三年は一度教室に戻って最後のホームルームを行い、その後昇降口から正門にかけた道の両端に在校生が立ち、見送りを行うそうだ。これは先生側が強制したものでなく、昔の生徒がやり始め、それがいつしか伝統となったものらしい。  どこか人がいないところに適当に行って、と考えながら辺りを見回していると、なぜか正門のすぐ近くに誘導された。しかもほとんど面識がない後輩たち大勢に。  彼らに適当にお礼を言ってから一人首を捻っていると、和泉が「平太くんの親衛隊じゃない?」と言われた。  そのことにも驚いたが、もっと驚いたのが「いや、あれは平太の親衛隊が半分、先輩と平太のカップルのファンクラブが半分ってとこじゃねーかな、メンツ的に」と渉が言っていたことだ。俺は親衛隊やファンクラブ云々よりも渉が怖い。どうしてお前はそんなことまで把握してるんだよ。  それはともかく。そんな話をしていると、どうやら卒業生が昇降口から出てきたみたいだ。にわかに昇降口の方が騒がしくなった。  とはいえ、俺は真空さんと小深山先輩以外の先輩と、ほとんど関わりがない。強いて言うなら、昔一悶着があった小深山先輩の親衛隊くらいである。帰宅部だったことの一番の弊害はこれだろう。  なので、盛り上がっている他の人たちを横目に何となく卒業生たちを眺めていた。顔の広い渉や生徒会長の和泉なんかは知り合いが多いようで、色んな先輩に声をかけられていた。内進生なのもあるかもしれない。  ただ、雫は俺のように暇そうだったので、思わず視線を合わせて笑った。 「……あの、あ、明塚くん。よければ、あの本当、もしよければでいいんだけど、俺と写真……撮ってくれない?」  だから、唐突に話したことのない先輩にそう言われて思わず戸惑った。運動部だろうか、日に焼けた短髪の先輩が、すごく下手に出て言ってくるものだから、なおさらだ。  俺が困っているのに気づいたのか、周囲にいた友達らしき人に促され、彼は怖々と言った。 「えっと……ファンなんだ、君の」  それを聞いて得心がいって、俺は即座に営業スマイルを作った。 「そうなんですか、嬉しいです。じゃあスマホ貸してくれます?」  カメラが起動済みのスマホを受け取ると、俺はその先輩と肩を組んで笑顔を作った。 「じゃあ撮りますよ。はい、チーズ」  その先輩が作ったピースは震えていた。後輩相手に大げさな、と少しだけ苦笑しながら俺はスマホを返した。 「はい、写真どうぞ。サインはいります?」と聞くと、彼は首肯してバッグの中から慌てて卒業アルバムを取り出してそっと差し出してきた。結構色々な人に書かれていて、スペースがほとんどない卒アルだった。 「……俺がこれに書いていいんですか?」 「か、書いてくれるなら、ぜひ」  蚊が鳴くような声だった。その声を聞いた彼の友達に笑われた彼は「うるせぇ! は、初めて話したんだよ……!」と怒鳴っていた。  何だか彼が少し不憫に思えたので俺は、サインの他に頑張って余白に「卒業おめでとうございます」「新しい環境でも頑張ってください」と書き加えて渡した。  そしたら彼はいたく感動した様子で頭を下げ、もごもごと何かを言いながら走り去っていった。当然ながら彼は、彼を追いかける友達に爆笑されていた。 「……平太の営業スマイル、相変わらずキラッキラだな」 「だろ? 俺の特技だから」  呆れ返ったような雫にわざと全力の営業スマイルを向けると、引きつった顔で「ムカつくからやめろ」と言われた。 「そんなこと言うのお前と渉くらいだわ」  そう言うと、先輩と話してた渉がわざわざ振り向いて「えなに? 俺がどうかした?」と尋ねてきた。地獄耳かよ。 「平太の営業スマイルがムカつくなんて言うのは俺と渉くらいだよなって話」 「あーうん、平太の営業スマイルはマジでムカつく。お前何で俺と同じ次元にいんの? 身の程わきまえて一個下の次元に行けよ」 「お前それは貶してんの? 褒めてんの?」  そんな会話をしていると、元生徒会の先輩を見送った後の和泉が「平太くんの笑顔はキラキラしててかっこいいよ!」と言ってくれた。その言葉に若干不機嫌になった渉の顔が笑える。 「本当? そう言ってくれんの和泉だけだわ……」 「は? お前いっつも全国の女の子にかっこいいって言われてんだろーが。いいよなぁ、俺だって一生に一度は可愛い女の子たちにチヤホヤされてー……」  今度は和泉がむくれた。そしたら雫もそれに気づいたようでニヤニヤし始めた。本当にこの二人はわかりやすい。  そうしたらふと視線を感じたので振り向くと、そこには物言いたげな表情をした先輩が何人かいた。皆初対面である。 「あー……一緒に写真撮ります? それとも卒アルに何か書きましょうか」  そうしたら彼らは一様に嬉しそうな顔をしてスマホやら卒アルやらを差し出してきたので、俺は営業スマイルを浮かべて、内心苦笑いをしてそれに応じた。  そうやって対応をし始めて何人目だろうか、いい加減うんざりしてきた頃にようやく列が途切れ、最後の一人になったようだ。改めて営業スマイルを浮かべ直し、顔を上げ――俺はあれっと声を上げた。 「真空さん?」  そこには心なしか少しだけ不機嫌そうな顔の真空さんがいた。どうしてそんな顔をしているのだろう。  俺が怪訝そうな表情をしているのに気付いたのだろうか、真空さんは弁解するように言った。 「その、色々な後輩に挨拶して、ようやく平太のところへ行けると思ったら、平太のところには長蛇の列ができててなかなか声をかけられなくて、それで」  それで、拗ねているということだろうか。……可愛すぎない?  俺が悶えていると、真空さんはいそいそと卒アルを取り出した。そしてページをめくり、下半分に余白のあるページを俺に向けてペンを差し出した。上半分にはぎっしりと寄せ書きが書かれている。 「ま、まぁ、それはともかく……俺も書いてもらっていいか? できればサインも欲しい」 「いいですけど……何でこの部分だけ白紙なんですか?」 「……平太のためにとっておいた」  はにかんで言う真空さん。本当に、この人はどこまで可愛ければ気が済むんだろう。俺はにやけてしまいそうな顔を必死に引き締めて、右半分に大きくサインを書き、左半分にメッセージを書いた。  本当なら上から下まで余白を作らずぎっしりとメッセージを書きたいところだが、真空さんはサインを所望しているし、何より引かれそうだ。俺は引かれない程度に簡単にいくつかの思い出を綴ったのち、愛してますと締めくくってペンのキャップを閉めた。  書き終わった卒アルを真空さんに渡すと、真空さんはそのページに目を落とし、ふわりと笑った。 「ありがとう。宝物にする」  可愛い、可愛すぎるっ! と心の中の俺が荒ぶっているのが分かる。こんなのいつでも書くのに。なんなら毎日でも真空さんへの愛を綴った手紙を渡すのに。さすがにそれは気持ち悪いか。  一通り悶えてから周囲を見回すと、もう大方の卒業生は帰ったようで、写真を撮っている生徒がいるくらいでまばらになっていた。  そういえば雫がいない。きょろきょろとしている俺の視線に気づいたのか、渉が呆れ顔で言った。 「雫ならとっくに小深山先輩と帰ったぞ」 「先輩が雫くん連れてくスピードすごかったよねぇ。平太くんはたぶんサインとか写真撮影とかしてる時だから、気付かなかったんじゃないかな」 「あぁ……そんなことだろうと思った」  予想通りで納得していると、俺と真空さんの話が一段落ついたのを確認したのか、和泉と渉が真空さんに頭を下げた。 「この五年間、色々とお世話になりました! 卒業おめでとうございますっ!」 「卒業おめでとうございます、平太と末永くお幸せに」 「ああ、ありがとう」  真空さんが柔らかい表情で頷く。  そうか、渉も和泉も内進生だから、二年間じゃなくて五年間なのか。仕方ないことは分かっていても、何だか妬ける。 「うっし、これで大体の先輩に挨拶したか――おい平太、何だその顔」 「いや……お前らは二年じゃなくて五年なんだなって思ったら羨ましくて」 「そんなことに妬いたって仕方ねーだろうが。それにどうせ、これから五年といわずにずっと一緒にいるんだろ? ならいいじゃねーか」 「そりゃそうだけど……」  そうは言っても中学時代の真空さんは戻ってこない。そう思うと羨ましくて仕方がない。  俺はどうしようもないことで少し拗ねていたが、「ず、ずっと一緒……」と顔を赤くして呟く真空さんを見てどうでもよくなった。 「じゃ、俺ら帰るから」 「平太くんばいばい! また今度ね!」  と手を振って帰っていく二人を見送ったあと、俺は改めて真空さんに笑顔を向けた。 「じゃあ俺たちも帰りましょうか。俺の家来ます?」 「……ああ」  顔を綻ばせた真空さんの顔を見ながら俺は、ああ今日が制服姿の真空さんを見られる最後の日なんだな、なんて寂しく思った。

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