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2知らないことだらけだ

「お疲れ、平太くん。すごいね、僕初日はあんなにテキパキできなかったよ」  閉店時間まで働いた店を出て、和泉が言う。初日とは言うものの短期バイトならいくつもこなしていたので、要領がいいだけだろう。 「そうか? ありがとな」 「それにさぁ、もうオーナーさんに気に入られたよね。やっぱり平太くん、接客業向いてるよね。……ところで平太くん、何でバイト始めたの?」 「あー……」  思わず、口ごもった。  上手い言い訳を考えておけばよかったな、とふと思い、すぐその考えを打ち消した。きっと和泉なら、どんな不自然な嘘だって素直に信じ込む。だからこそ、和泉に嘘はつきたくない。  それに和泉は友達だ。聞かれたらいずれ、家庭環境のことは言うつもりでいた。もちろん、渉にも。  ならば、と俺はこう切り出した。 「お金が、足りなくってさ」 「そうなの? 僕の家もそうだよ。お父さんが俺はカフェ経営をするんだ! っていきなり脱サラして開業しちゃって、その開店資金に貯金ほとんど使っちゃって。それでお金が足りなくて、僕も働けってお母さんが」  俺は意図せず暗い声色で言ってしまったが、それに気付かず、和泉は明るい口調で言った。  明るい口調ではあったが何ともコメントしづらいことを和泉は言っていて、俺は少しの間口ごもった。 「……それ、大丈夫? ちゃんとやっていけてる?」 「うん、何とか固定客もついてきて最近は安定してきてるっぽいよ。何よりお父さん、生き生きしてるんだよね。あとね、僕、そんなお父さんがかっこいいなって思ってて、僕もその店を継ぎたいんだ。だから、どうせバイトするなら時給も高いしここのカフェにしようって」 「いいじゃん、応援するぜ」  和泉にそんな夢があるなんて知らなかった。いつも一緒にいてもやっぱり、知らないことだらけだ。渉が実はデザインの才能があることも、和泉にカフェ経営の夢があるのも、俺は何も知らなかった。きっとまだ知らないことがあるんだろう。それは少し、寂しい。  それは多分、渉や和泉も同じだ。きっと二人も、俺の家族がどうだ、なんて話は知らない。別にいう必要はないが、これからも仲良くするつもりなら、言って損はないと思った。 「平太くんは? どういう事情?」 「あんま聞いてて楽しい話じゃないんだけど」そう前置きしてから俺は「父親が死んでさ。……話したっけ俺? 今まで兄貴との二人暮らししてたって話」  和泉は虚をつかれたように黙り込んで立ち止まった。しばらく黙って、やがてぽつりと呟いた。 「聞いたことはない、けど……舞台祭の後、スカウトされた時に親はいないって平太くんが言った、って話は聞いたことある。……それ、本当だったの? スカウトマン黙らせるための嘘じゃなくて」  その話はそんなに広まっていたのか、と俺は思わず苦笑した。それから「半分な」と頷いた。 「……俺の母親、俺が物心ついた頃に不倫相手と心中しちゃってさ。それで父親がおかしくなっちゃって、兄貴を虐待して、挙げ句の果てに俺たち捨てて家出したから、しばらく俺と兄貴の二人暮らししてたんだ。父親に金だけは送ってもらってたから何とか生活できてたんだけど、その父親が死んじゃって、で、金に困ってるって訳」  特にもったいぶって話すと空気が悪くなるかと思い、俺はあえて淡々と話した。そう話してから、兄貴が辛い時ほど普段通り明るげに話していたのは、こういう理由かと変に納得した。  和泉は言葉を発せないようだった。呆然とその言葉を意味を考えるようなそぶりを見せると、突然頭を下げた。 「……ごめん! 僕、無神経にこんなこと聞いちゃって」 「お、大げさだって顔上げろよ」  その予想外の反応に俺が慌てると、和泉は顔を上げ、それから少し笑った。 「でも、正直そんなことを話してくれたのは嬉しいよ。だって、話せるくらい僕のこと、信用してくれてるってことだよね?」 「まあな。和泉とはこれからも仲良くしていきたいし」  えへへ、と和泉は笑うと、俺をまっすぐに見つめた。 「僕、気遣いできないし上手いことも言えないけど……でも、いつでも話聞くからね!」  太陽のようなまっすぐで輝いた笑顔だった。どうしてこいつはこんなに性格がいいんだろう、俺は内心首を傾げた。  それから和泉は歩き出し「あ、そうだ!」と思い出したように言った。 「僕ね、カフェ継ぐのが夢って言ったでしょ? でも、料理がそんなに上手くなくて、カフェで出すような軽食とかスイーツが上手く作れないんだ。平太くん、料理得意だったよね? 教えてくれたりしないかなぁ?」  話を逸らしたのはきっと、和泉なりの気遣いだ。それが分かって俺は、「もちろん、教えるぜ」と笑った。

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