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3すれ違いは大きくなって

 そんなことを考えていたからか、着信の音に気が付かなかった。何コールかした後、ようやく電話が来ているのだと気付いて、慌てて携帯をとった。 「……もしもし?」  極力いつも通りの声を装ったはずだったが、その声は僅かに震えて滲んでいた。 『もしもし、ごめんね夜遅くに。どうしても真空に解き方を聞きたい問題があって、真空なら勉強してて起きてるかなって思って』  かけてきた相手は伊織だった。いつも通りに聞こえるように、俺はそう祈りながら答えた。 「どの問題だ?」  気を付けたはずなのに、声はさっきよりも滲んでしまった。さすがに伊織も気付いたようで、言葉を止めた。 『……真空、もしかして泣いてた?』  無言は沈黙ととられると分かっていたが、答えられなかった。答えれば更に墓穴を掘ってしまいそうで。 『明塚くんのことで?』  俺はやっぱり、何も答えられなかった。伊織は察したのだろう、何も言わずに黙り込んだ。 『……真空! だから僕、ずっと言ってるでしょ、別れた方がいいんだってっ……このままじゃ真空が不幸になる……ううん、もうなってるよ! ……何で? そうまでして明塚くんと付き合ってたいの? ねえ!』 「……ああ、何があっても俺は、平太が好きだから」 『何があっても? 明塚くんが、真空以外の人のことを好きになっても? もう真空なんてどうでもいいって思われても? それでも好きだって言うの?』  畳み掛けるように伊織が問う。 『真空さん、すみません。俺、和泉のことが好きになっちゃったんです。だから……もう別れてくれませんか』  そう言われたとして、俺はそれでも平太が好きだろうか。反動で、平太のことが嫌いになりはしないだろうか。  ――考えたが、それでもやっぱり俺は平太が好きだ。平太になんて言われても多分、嫌いになりかけるけれどその度に、平太の笑顔や可愛いと言われたことを思い出して、好きだと再確認してしまうだろう。  平太にそう言われることを想像したからか、何とか抑え込んだ涙が、また溢れそうになった。付き合う前、平太は会長と付き合っているんだと思っていたあの頃の、何十倍も辛い。平太との幸せな思い出ができてしまった分、些細なことで平太を思い返してしまう。 「……ああ」  伊織は電話の向こうでしばらく沈黙した。それから、絞り出すように言った。 『……馬鹿だね、真空は。このまま好きでいても、真空が傷付くだけだろうに。僕だったら絶対、そんな思いさせないのに』 「俺からすれば、伊織だって馬鹿だ。……俺はずっと、平太が好きだって言っているのに、伊織はずっと俺が好きだろう?」  伊織はそれを聞いて、笑った。泣きそうな声にも聞こえた。 『僕がいつから真空のこと好きだと思ってるの? 真空が明塚くんのことを好きだって言われても、はいそうですかって簡単には諦められないよ。……さすがにもう、真空が明塚くんのことを好きで付き合ってるんだ、って事実は認めざるを得ないから認めたけどさ。だからって諦められないし、まして、今の真空、すごく辛そうなんだもん』  伊織は一呼吸置いて、続けた。 『真空が何と言おうと僕は同じことを言い続けるよ。明塚くんと別れた方がいい、明塚くんにはもう、会長がいるかもしれないんだから。それに、僕の方が幸せにできる。……もう、泣いてる真空は見たくないんだ』  今そんな言葉をかけられると、泣きそうになる。俺は相当参っているんだろう。  平太が好きだ。それはきっと、何があっても揺らがない。だけど平太はもう、俺が好きだとは限らない。  平太の言葉はどこまでが本当だったんだろう。どこまでが嘘だったんだろう。俺は本当に騙されていたんだろうか。それとも途中で飽きられてしまったんだろうか。  そもそも、こうやって出会えて付き合えたこと自体が、奇跡のようなものだったのかもしれない。出会いはどう考えてもいいものとは言い難くて、いつだったか聞いたが、俺は平太の好みとは全然違うらしい。なのにこんなにも好きになったのは不思議だ、と平太は笑っていたっけ。  だとすれば、平太の好みっていうのはもしかすると、会長のような人なのかもしれない。ならば、体の相性が良かっただけの俺より、そちらを選ぶのは理にかなっているかもしれない。  幸せだった。そんな気持ちでいられている今、終わらせるべきなのかもしれない。何でもない人を振るのはともかく、こうやって付き合った俺を振るのは平太にとって、重荷なはずだ。  俺が覚悟を決めればいいだけの話だ。それはもう、ずっと前から分かっている。――だけどその度に、平太との思い出を思い出して、覚悟を決められないまま、ずるずると苦しみ続けている。 「――別れた方が、いいんだろうな。本当は分かってる。でも無理なんだ、どうしても俺にはできない。俺は平太が好きだから」  伊織は電話の向こうで何かを言いかけたが、それを飲み込み、しばらく黙った。それから、覚悟を決めたようにきっぱりとした言い方で言った。 『僕が何とかする。だから真空は、僕の言う通りにして欲しい』  伊織は何をするつもりだろうか、分からないが、伊織にもこれを背負わせてしまう申し訳なさを感じながら、俺は頷いた。 「……分かった」

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