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4すれ違いは大きくなって

 今日、全てが終わる。  伊織からそれを聞いた時は、驚いた。だけど多分、一番円満な終わり方だ。伊織が伝えたんじゃ、平太は信じない。だからといって俺から伝えることも、できない。  だからこのやり方は、平太がすんなりと信じて、俺から伝えなくて済むいいやり方なはずだ。伊織に色々背負わせてしまうが、伊織は『真空が笑ってくれるなら』と言ってくれた。  いいやり方だ。――なのにこんなに手が震えるのは、これが俺の気持ちと反したことだからだろうか。 「真空。今堪えて別れたら、あとはその事実を乗り越えるだけなんだから。傷の浅いうちに終わらせといた方がいいよ」  伊織はそう、俺の手を握った。俺は唇を噛んで、何とか無表情を保った。  こんな時になって、平太との思い出が頭の中を巡り出した。――この教室にも、平太との思い出がある。そう考えると、この場にいることすら辛くなってきた。  何でこうなったんだ、と、何度も心の中で問いかけた答えの出ない問いをまた、俺は問いかけた。  こんな日が来ることは、決まっていたのかもしれない。ならばやっぱり、今のうちに終わらせる方が身のためだ。俺はそう言い聞かせて、その時を待った。  ふと、遠くから足音が聞こえてきた。抑え込みかけた手の震えが、また酷くなる。  少しずつ、少しずつその足音がこの教室に近付いてくる。伊織は頷いて俺を見つめた。  今覚悟を決めなければ、伊織がここまでやってくれたことが全て水の泡になる。俺は一度固く目を瞑ると、頷き返して伊織に近付いた。  もう足音はすぐそこだ。伊織は瞳を閉じる。俺は伊織を抱き寄せて、唇を重ねた。  扉が開いた。その先にいたのは、平太だった。  当たり前だ。そうなるように、伊織が取り計らってくれた。  伊織から聞いた話というのはこうだ。伊織が平太に、俺と伊織は付き合い始めたんだ、だから別れてくれと言う。もちろんそれを平太は信じないだろう。だから伊織がその証拠を見せると言い――そしてこの教室に呼び出した。  俺が唇を離し、伊織から離れると、平太は呆気にとられたような顔をしていた。平太にとってはきっと、青天の霹靂だろう。  平太は信じられなさそうに、呆然と俺と伊織を見ると、口元が何かを言いかけるように動いて、何も言わずに口をつぐんで、を繰り返した。 「……何で……」  やがて平太は、消え入りそうな声でそう呟いた。何で、なんて、聞きたいのはこっちだ。 「……真空さん」  微かな声で平太が俺を呼んだ。久しぶりに呼ばれた。多分、そう呼ばれるのもこれで最後だ。そう思うと泣きそうになって、でも必死に無表情を貫き通して、俺は平太を見た。  平太は、傷付いたような、信じたくないような、そんな表情で、俺を見ていた。――そんな表情をされたら、違うんだ、と弁明したくなる。これは全部誤解なんだ、俺は平太のことが好きなんだから、と。  何でそんな表情をするんだ。何で今そんな試すようなことをする。今別れるのは、平太のためでもあるのに。俺は見ていられなくて、平太から視線を逸らした。 「何で……」  平太は震えた声で、またそう呟いた。俺だってそれは、知りたい。何でこうなったんだと。何でここまですれ違ってしまったんだと。何で平太は会長を選んだのだと。  しばらくその場に立ち尽くすと、平太はその教室から逃げるように走り去っていった。伊織はその背中を、追いかけていった。  今日、全てが終わった。  好きだった。本当は別れたくなかった。俺はその場に泣き崩れた。今更、そんなことを言ってもどうしようもないのに。伊織が戻ってくるまで俺は、ずっと泣いていた。  しばらく経った後、平太から連絡が来た。画面に表示されたのは、『真空さん、別れましょう』という言葉。無味乾燥な、冷たい文字列だった。  この言葉が来るのは分かっていた。ずっと覚悟を決めていた。俺は『分かった』とだけ返信をした。  既読がついた。返信はなかった。きっともう、返信が来ることはずっとない。一度引っ込めたはずの涙が、止めようもなく流れていった。

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