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6僕ならできるのに
それからしばらくしてのことだった。
「ま、待ってください! ちょっとだけでいいので……!」
会長が真空に、追いすがるように声をかけていた。不思議に思って「どうしたの?」と二人の歩みを止めるように尋ねた。すると真空が無表情のまま、親指で会長を示して言った。
「会長が、俺に話がある、と。俺は話すことなんて何もないと思ったから、断ったが」
「話? 真空に?」
にべもない言い方だ。それも仕方がないか。真空が会長と話す、なんて、内容が何にしろ、辛すぎる。
「その話って、僕にじゃ駄目かな」
だから代わりに、僕はこう言った。どんな内容だか見当もつかないが、そのまま真空と話すより、僕というワンクッションを挟んだ方がいいだろう。
会長は迷うように視線を揺らしたが、やがて頷いた。
「小深山先輩でも大丈夫です。……あの、じゃあ今からちょっとお話できますか?」
「……で? 話って?」
扉を後ろ手で閉めながら僕が尋ねると、恐る恐るといった調子で会長が言葉を紡ぎ出した。
「あの……平太くんの、ことなんですけど……平太くんから話は聞きました。でも、誤解なんです、全部」
――誤解? 一体明塚くんの何が誤解なのか。あんなに真空を無視して、会長とばかりいて、それで誤解とは、一体どういうことなのか。理解ができなくて、僕はそのまま「……誤解? 何が誤解だっていうの?」と尋ねた。
「その、全部、です。……平太くんが毎日バイトだったのは本当で、カフェとコンビニのバイトをかけもちしてたんです。だから、平太くんは先輩のことが今でもずっと好きだし、僕とは何もないんです。本当に、偶然バイト先が一緒だっただけで」
会長が躊躇いがちに言った言葉に、耳を疑った。本当に毎日バイトをしていた、偶然バイト先が一緒だった、なんて――信じられるはずがない。言い訳にしか聞こえない。だって、そんな話が本当にあるだろうか。
「……何それ? じゃあ、何でそんなにバイトしてたっていうの?」
会長は悩むように押し黙った。何度も逡巡して、ようやく彼は、口を開いた。そこから語られる言葉は、にわかに信じがたいものだった。
「……平太くんの、父親が亡くなっちゃって。元々平太くんには母親がいなくて、いろいろあって親戚皆から縁切られちゃってて、お父さんともお金の繋がりがあるだけでほぼ関わりがなくて、お兄さんと二人暮らしだったんです。でも、お父さんが亡くなってお金の工面ができなくなって、それで」
僕は思わず、言葉を失った。
何だ、それ。それが本当なら、明塚くんは突然扶養者を失って、どうにもならなくて仕方なくバイトをしていたことになる。そしたら……そしたら、明塚くんは何も悪くないことになる。
「でもそんなこと、僕にどう信じろって」言いかけて、僕は昔真空が言っていたことを思い出した。「……ああでも、そんなこと、真空も前に言ってたような気がする」
にわかには信じがたい。だけど、そうなんだとすれば、説明がつくこともある。明塚くんの態度だ。
明塚くんが真空を追い詰めたはずだ、そう僕は思っていた。だけど、別れろと言った時の明塚くんの態度は、全くそういう風に見えなかった。むしろ、何で自分がこんなことを言われているのか分からない、という様子だった。
それを僕は、被害者ぶるつもりなのだ、と捉えた。だけど、もし会長の言うことが本当なら、話はまた別だ。明塚くんは生活のため仕方なく色々と犠牲にしてバイトをしていて、それなのに気付いたら別れるか別れないかという話になっている。それは確かに、戸惑うだろう。
「お願いします! 小深山先輩から、前園先輩の誤解を解いてもらえませんか?」
会長が頭を下げる。僕はなおも考え続けた。……会長の言うことが本当なら、全て真空の勘違いということになる。僕が真空のためを思ってやったことは、全て逆効果だったことになる。それどころか、僕が真空を傷付けたことになる。
認めたくない。そんなこと、認めたくはない。そんな思いが働いて、僕はこう問いかけていた。
「それで? 誤解を解いてどうなる? 君は、真空の誤解を解いたら真空と明塚くんが復縁できました、って上手いこと話が進むと思うの? それにそもそも、君はそれを望んでいるの? せっかく真空と明塚くんが別れたんだ、君は嬉しいはずでしょ? このまま上手いことやれば、君が明塚くんと付き合えるかもしれないんだから」
言ってから、自分のずるさが嫌になった。きっと会長だって、それは既に考えている。その上で、悩んだ末に僕にこう言っているはずなのに。
案の定、会長は黙り込んだ。
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