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4再会は突然に

「じゃーねーっ!」とにこにこして手を振った雫は、教室を出ると、途端に押し黙った。俺はあえて何も言わずに隣を歩いた。  しばらくして、校門を出てから俺が「雫の家行こうぜ」と言ったのに頷いてから、雫はようやく口を開いた。 「……恋人、できたんだ。……好きなの?」 「……ああ。生まれて初めてできた本気で好きな人」  雫は目を伏せた。その瞳は寂しげに揺れていた。とどめを刺すようで悪いと思ったが、隠しておく訳にもいかないと、俺は続けた。 「兄貴もさ、できたんだよ、そういう人が」  雫は顔を上げた。目を見開いていた。しかしやがて、自嘲気味に笑った。 「そっか。……俺だけかぁ、昔と何も変わんないのは」  それから息を吸い込んで、ぱっと明るい表情になって雫は尋ねた。 「で? どんな人ー? 平太の恋人も平太の兄ちゃんの恋人も。めっちゃ可愛い子っ?」 「いや。俺が付き合ってる人は可愛いっていうより男前な人。で、兄貴が付き合ってんのは……覚えてるかな、千紘さん」 「あっ、覚えてる覚えてる! へえぇ! お前も兄ちゃんも全然タイプと違う人じゃん! てことは人柄に惹かれましたーってやつ?」  にこにこと楽しげに言う雫に「俺の前でまで無理に明るくしなくていいって」と言うと、雫は「まあバレるか」と自嘲するように呟いた。 「何年も一緒にいた仲だし、そりゃこんな分かりやすい強がりバレるよな」  そして雫はまた、目を伏せた。  ――兄貴は、千紘さんと付き合う前までは過去と家庭環境からくる虚しさをやり過ごすためにヤリチンになっていたから、経験人数は数知れない。俺も、真空さんと付き合う前までは自分はまともな恋愛ができないと思い込んでいて、だから誘われて断り切れなかった相手とさしたる感慨もなく体を重ねていた。  雫も同じだったのだ。雫の家庭環境も最悪で、真っ黒な小学生時代を送ったせいで、自棄になって援交を繰り返していた。雫は、俺というよりも兄貴に似ている。雫も自己肯定感が低くて、埋まらない穴を一時的にでも埋めるために体を重ねていた。  雫は、きっと俺と兄貴の存在そのものに救われていた部分もあったのだろう。二人だって自分と同じようなものだ、それでも二人も何とかやっていけている、だから自分もまだ頑張れる、大丈夫――と。  そんな雫にとって、俺にも兄貴にも愛する人ができて、その人に愛し愛されて幸せだ、なんて事実は、あまりにも残酷だった。だから俺は雫に何も言い出さなかった、否、言い出せなかったのだ。どうせいつかは必ず分かることなのに、それでもどうしても、言いだすことができなかった。  雫は、住んでいるアパートに着くまでずっと黙り込んでいた。それからアパートに着いてドアノブに手をかけて、そしてふと、消え入りそうな声で呟いた。 「……俺だけが、一人ぼっちか」  雫は俺の視線から逃げるように顔を逸らすと、鍵を開けて、住み始めて間もないだろう『一人ぼっち』の部屋に俺を招き入れた。  俺が入ると、雫は「適当に座れよ」と言いながらお茶を用意しに冷蔵庫へと歩いた。雫が前にこの辺に住んでいた頃、まだ母親とその男と住んでいた頃は、物で溢れた乱雑な家の中だった。だけど今の家の中は、むしろ生活感がなかった。物があまりにもないのだ。  雫はそれから、部屋の真ん中にある机に俺と自分の分のお茶を置くと、座って、黙った。だから俺は、そんな雫の代わりに口火を切った。 「……お前が引っ越してから、俺が高校に上がってから、色んなことがあってさ。俺自身にも兄貴にも色々あったし、兄貴が俺にずっと隠してたことも全部分かって、それから俺の父さんのことも色々あった。まずは俺が全部話すから――それから話せるようだったら、お前のことも話して欲しい」  雫が微かに頷いたのを見て、俺は話し始めた。

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