260 / 373

6再会は突然に

『……平太、ぼくね、新しいお父さんができてね、そのお父さん、ぼくのこと、好きだって言ってくれたんだ』  小五の時だったか、雫は不意にそう呟いた。言葉の内容とは裏腹に、暗い顔をしていた。無言で促すと、雫は震える息を吐いて、それから、か細い声で続けた。 『いいお父さんだと思ってたんだ。でも……ある時いきなり、体のあちこちを触られて……嫌だって言ったんだ、でもお父さんは、やめてくれなくて……言うことを聞けって殴られて……それでね、ぼく……ぼくの、お尻にね、お父さんの、――』  兄貴のせいで、子供ながら知識はあった。だから雫が何を言わんとしているのか察せてしまった。俺は言葉を遮るように、黙って雫を抱き締めた。そうしたら、雫は堰を切ったように泣き出した。 『怖かったな』 『うんっ……怖かったっ……もうやだぁ……何でぼくばっかり、こんな目に……っ」  泣きじゃくりながら雫は言っていた。だけど雫の悲劇は、これでは終わらなかった。  その父親と雫の母親は、不幸なことに、長く続いてしまったのだ。理由は父親が母親のわがままを全て受け入れて極力叶えてあげていたからだと雫は後で語っていた。母親が好きだった、というよりはむしろ、その息子の自分が好きで、それで母親の言うことを全て聞いていたんだろう、とも。  毎日のようにされて、最初こそは怖い怖いと泣いていた雫だったが、だんだんと慣れてしまったのか、虚ろな瞳でこう語るようになった。 『……セックスしてる時だけね、お父さん、たくさん愛してるって言ってくれるんだ。ぼくがお父さんの言う通りに色んなことすると、お母さんにも言われたことない褒め言葉をたくさんくれるんだ。その時だけ、ぼくは必要とされてるんだ、って感じる』  愛されたことがなくて、頼れる人間が辛うじて俺一人いるだけ、そんな状況の雫が、それに縋ってしまうのも無理はないことだった。性欲と愛を履き違えてしまうのも、無理はないことだった。  それから少ししてその父親と母親が別れて、全く別の男と付き合い始めてから、必要とされなくなったことに恐怖を覚えた雫が、自分の体を金で買ってくれる男に走るのも、無理はないことだった。  俺はどうにもできなかった。下手に行動すれば、むしろ雫を傷付けてしまうことが分かっていたから。  雫を救う方法は分かっていた。だけどそれは、俺はできなかった。雫が欲しいのは、自分のことを変わらず深く愛してくれる存在だ。できない理由は簡単、その頃の俺は「恋愛」そのものを毛嫌いしていたからだ。自分は誰かを好きになるのは不可能だと思っていたからだ。  やがて小学校を卒業して、人間関係を全てリセットしてやり直そうと、俺と雫を知っている人が誰もいない遠くの中学に行き始めて、雫は明るく振る舞うようになった。それから雫は友達がたくさんできて、皆に好かれるようになった。だけど、援交をしてしまう癖は治るどころか、むしろ酷くなった。  明るくて可愛くて、いつも楽しそうな雫――そんな像を守ろうとすればするほど、それから少しでも外れてしまえばまた皆がそっぽを向くんじゃないか、そんな恐怖に囚われてしまい、援交をして、自分はこうして必要とされているから大丈夫だと安心して――そんなことを繰り返していた。  俺と雫が関係を持ったのは中一の冬頃、雫が不特定多数の相手とのセックスの依存で心身ともにぼろぼろになったのを見ていられなくなった頃だった。 『だって俺、こうするしか誰かに必要とされないし? 俺に顔と体以外の価値はないから。セックスする時はさ、どんなおっさんでもそん時だけは俺だけを求めてくれんの。それが堪んねーんだよ、まるで……まるで、愛されてるみたいだって錯覚できるから』  茶化そうとしながら、それでも茶化し切れない本心がその言葉には現れていた。錯覚に過ぎない感覚を得るために自分の体を犠牲にして、ぼろぼろになって、それでもやめられないくらい雫は空っぽで……そう思うと、なんか堪らなくなった。 『……俺はお前のこと、幼馴染としてしか見れないけど……でも俺はお前が必要だから、誰からも必要とされないなんてことありえねえから。寂しくてどうしようもない時は俺が抱いてやる、だから援交は、それでも寂しさが埋まらなかった時の最終手段にしろ』  雫は『ありがとう』と何度も言いながら、嗚咽して泣いた。俺はその時、自分の無力さを噛み締めながら、雫のために俺ができることは極力しようと心に決めた。  ――そんな雫に、俺に恋人ができた、なんて話をするのは、あまりにも残酷に過ぎたのだ。

ともだちにシェアしよう!