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7再会は突然に
俺が話し終わると、雫は押し黙った。部屋の中が水を打ったような静けさに包まれた。
その後雫は言葉を選ぶように、慎重に言った。
「……でもさ、理由が分かってよかったんじゃね? 今まではお母さんがどうして死んだのか、全く分からなかったんだし。それから……今、不幸じゃないんだろ?」
「……ああ、幸せだと思う。そこまで兄貴は俺のこと、考えてたんだなって分かったし、むしろ知れてよかった。それと……」
「……好きな人ができたし?」
躊躇ったが、頷いた。雫の瞳はその動揺を表すように揺れたが、そっか、と雫は笑った。哀しい笑顔だった。
「よかったじゃん、好きな人ができて。今まで散々苦労してきたんだから、幸せになれてよかったな、平太」
雫が今どんな痛みを抱えてその笑顔を浮かべているのか、よく分かっていた。だけど俺は、何も言えなかった。
きっともう、雫に俺の言葉は届かない。凍えるような寒さの中で身をを寄せ合って何とか寒さをしのぐように、体を重ねることで互いに途方もない虚無感を乗り越えていたあの頃とは、違う。雫の言う通り、俺は変わった。いい方向に変わったが、それは同時に、雫と同じ立ち位置ではなくなってしまった、ということだ。
雫は『ひとりぼっち』だ。恋人ができた今、俺はもう雫の寂しさを埋めてやれない。多分雫は、また援交に走るだろう。でも俺じゃもう、それを止められない。
何年もずっと一緒にいたのだ、雫はきっと、俺のこの葛藤を見抜いている。見抜いていて、雫は口を開いた。俺が雫に何か言わなくても済むように。
「俺も話すよ、色々。……まずさ、向こうに引っ越した理由は言っただろ?」
「……母親に捨てられたんだよな。私じゃもうあなたを育てられないからって、今頃になって責任放棄して、遠くに住む親戚に雫を押し付けた――で、合ってるよな?」
「そーそー。本っ当勝手だよなぁ」雫は涙交じりの声で笑った。「その時付き合ってた男に、子持ちは嫌だ、って言われたからってそりゃないだろ。俺のこと、何だと思ってたんだろう」
遠くの親戚に預けられたのに、今こうして一人暮らしをしている。その事実から考えられることは、一つだ。雫は震える息を吐いて、それから、茶化そうと笑いながら言った。痛々しい努力だった。
「俺さぁ……駄目だった、さすがに馴染めなかったわ、あの家に。……そりゃそうだよなぁ、いきなりほとんど会ったこともない中三の子供を預けられて育てろ、なんて勝手過ぎるもんな。いい気分がする訳ないよな」
俺は無言で雫の言葉を待った。雫は口を開いて、また閉じて、を何度か繰り返した。やがて、雫は恐る恐る言葉を紡いだ。
「それでも幸運だったのは、直接出て行けとは言われなかったことかな。態度にこそ迷惑だって出てたけど、それでもちゃんと育ててくれたから。……でもさすがに、俺が何か言うたびにうんざりしたような顔でため息吐かれるの、耐えらんなくってさ。こっちの高校の編入試験を受けて一人暮らしをしたいって俺から言い出したんだ。そしたらすんなりオッケーしてくれて、こっちで一人暮らしできるように、サポートしてくれて、仕送りまでちゃんとしてくれてる」
雫は笑おうとした。でも、頰が引きつって笑えなかった。だから一回きつく唇を噛み締めて、掠れた声で囁いた。
「……一人暮らしするからって家を出てこうと挨拶した日、おじさんとおばさんはすごく喜んでた。……相当、迷惑だったんだろうな、俺がいるの」
雫の痛みを思うと、堪らなくなって……俺は思わず雫を抱き締めた。
「……いつでも俺の家、来ていいからな。兄貴と俺しかいないから嫌がる人なんていないし、一人分の食費が増えるくらい、そんなに変わらないし。だから……だから一人の家が辛くなったら、俺の家に夕飯でも食べに来いよ。それから泊まってけよ」俺は雫としっかり目を合わせて、言った。「な? お前は一人じゃないから」
雫は一瞬、泣きそうに顔を歪めた。だがすぐに、へらりと笑った。
「いーよそんなん、先輩に悪いじゃん? 口ではなんて言っても、そんなんしたら絶対嫉妬するぜ? 俺のせいで関係悪化とかやだし、それに、身近に平太がいるから前よりはマシだし、そう言ってくれるだけで嬉しいから」
――届かない。今の俺の言葉じゃ、雫には届かない。もどかしくて、俺は唇を噛んだ。
「心配してくれんなら、これからもちょくちょく話聞いてよ、俺はそれでじゅーぶん!」
明るく言うと、ほらもう遅いし帰れよ、と雫は俺を促した。俺はこれ以上何も言えなくて、雫の言う通り、帰るしかなかった。
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