268 / 373
7彼は君とどこか似ている
『あ、っん……もう、むりぃ……おじさんの、おっきいの、ちょうだい……』
援交をする男ってのは、大抵単純だ。甘えた声を出してみせれば、すぐに夢中になって腰を振る。おじさん、なんて呼んでいるが、名前は知らない。覚えていない。おじさん、と呼べば通じるのに、そんなもの覚えたって意味がない。
『はぁ、はぁっ……すぐに僕のおちんちん、ハメてあげるからねっ……』
前戯もろくにせずに、そのおじさんは俺の中に挿入した。俺の中に挿れたおじさんが、陶然とした顔で俺を見て、熱のこもった瞳と目が合った。
上手くもなければ、大して立派なものでもない。だけどそんなもの、どうだっていい。このおじさんがどんな仕事をしていて、どんな家族がいて、どんな友人がいて、なんて、どうだっていい。
セックスをしている瞬間だけは、おじさんの瞳にただ俺だけが映っている。ただ俺だけを求めている。――この瞬間が堪らない。ぶわっと多幸感が全身に広がった。この瞬間だけ、自分には価値があるのだと思える。自分を愛せる。
『あぁっ……いいよ、君のケツマンコ、すっごくいいっ……』
好き勝手に腰を振って聞いてもいない感想を言ってくるおじさん。気持ち悪い、なんて感情はとうの昔に失くしてしまった。
元々セックスは大嫌いだった。性的なもの全般への生理的な嫌悪感があった。だけどセックスの嫌悪感なんて、慣れでどうとでもなる。気持ち良くもないのに感じているふりをして喘ぎ声を上げるなんて、最早朝飯前だ。
『ハァッ……もう、出すよっ……』
『出してぇ……俺の中でっ、いっぱいせーえき、出してぇっ……』
している時は満たされている。否、満たされているように錯覚できる。だけど終わるとすぐに自己嫌悪に陥る。男を悦ばせるために甘ったるい声を出すしょうもない自分が、こんなことでもしないと寂しさに押し潰されそうになる自分が、嫌いで堪らない。
昨日の相手を思い出しながら、俺はため息を吐きそうになり、それを慌てて飲み込んだ。ただでさえ生きている意味が見つからないような灰色の日々なのに、ため息を吐いてしまったら余計鬱っぽくなる。だからせめて楽しそうに振る舞おうとしているのに。
無理やり元気を出そうと、俺は小声で歌を口ずさんだ。歌う曲はkenjiのホロスコープっていう曲、俺が昔救われた曲だ。愛が欲しいと嘆く少女を歌った歌で、この曲と出会ったのは今以上にずっと思い詰めていた時だった。その時この曲と出会わなければ、どうなっていたか分からない。それくらい大事な曲だった。
口ずさみながら歩いていると、ふと、前を歩いていた人物が足を止めて後ろを振り返った。その人とたまたま目が合い、俺はとりあえず会釈をしておいた。見覚えがある人だ。ええと、確か――小深山先輩、だったか。
「……夏目くん、だよね? 今歌ってた歌ってさ……」
声をかけられ、驚いた。どうしてそんなことを聞かれるのか、そう戸惑いつつも、俺は答えた。
「小深山先輩、ですよね。えっと、kenjiっていう人の曲なんですけど……それが、何か」
すると小深山先輩は「やっぱり?」と笑顔になった。
「僕その人すごく好きなんだよね。今歌ってたのってドラマのタイアップに使われた――」
「ホロスコープです! 知ってるんですか! 俺この曲大好きなんですよ!」
最近徐々に売れ始めているとはいえ、まだまだ知名度が低いこの人を知っている人がいるなんて、思わなかった。嬉しくて、思わず食いついてしまう。
「だよね? 僕、今まさにそれ聴いててさ、曲と曲の間にそれが聞こえたから驚いて、思わず声をかけちゃった」
「そうなんですか! うわーっ、知ってる人がいるなんて超嬉しいっす! あ、あの、小深山先輩が好きな曲ってどれですか?」
「僕はね、ホロスコープも好きだけどアストロとか万華鏡とか――」
平太から小深山先輩の話を聞いていたと言っても、実際に話したことは初めてだった。だから、そんなに気を遣っていないのにこんなにも自然に盛り上がれるのが不思議で仕方なかった。趣味が合う人同士はこんなものなんだろうか。それとも、何か別の理由があるのか。
そこまで考えてふと、どうして彼は俺の名前を知っているんだろうと今更疑問に思い、尋ねた。
「あのそういえば、どうして俺の名前知ってたんですか? 小深山先輩は有名だったから俺は知ってたんすけど」
「僕はほら、真空の幼馴染だから、真空の影響で顔と名前を覚えちゃって」
小深山先輩はそう答えた。真空――前園先輩、か。考えると、孤独感と自己嫌悪に襲われて、思わず顔が暗くなった。
「……ほぼ初対面ですごく失礼なことを聞くけど、君って明塚くんが好きなの?」
何を勘違いしたのか、小深山先輩はそんなことを不意に問いかけてきた。俺は「俺がっすか?」聞き返して、笑ってしまった。
「ないない! 絶対ないっす! あいつとはそーゆーのじゃないんですよ、恋とか愛とかじゃなくて――仲間、とか、相棒、とか、そんな感じです」
確かに平太に恋愛感情を抱いたことはない。否、誰に対しても抱いたことはない。俺が誰かを好きになるなんて、考えられないのだ。小深山先輩は、それ以上は追求してこなかった。
ふと心配になって、時間を確認した。――確か、この後待ち合わせて約束を取り付けている人がいる。こんなことに必死になる自分のどうしようもなさに顔をしかめたくなるのを抑えて、俺は小深山先輩に「すみません!」と頭を下げた。
「この後予定があるんで、失礼します!」
「ああそうなの、色々聞いちゃってごめんね」
小深山先輩はあっさりと促した。「大丈夫っす、じゃあ!」と明るく聞こえるように言いながら向こうに駆け――ふと、また話せればいいのに、なんて、抱いたことのない感情を抱いた。
ともだちにシェアしよう!