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6正反対の恋の形

「……ごめんなさい、俺、ずっと泣いて、小深山先輩のシャツ……」  小深山先輩に抱き締められながら泣いていたら、小深山先輩の制服がすっかり濡れてしまった。申し訳なさと恥ずかしさで、穴があったら入りたい。  しかし小深山先輩は自分のシャツを一瞥すると、「ああいいよ、洗えばいいし、君なら気にならない」と何でもないことのように言った。 「でも、小深山先輩……」  なお言い募ろうとしたが、小深山先輩は「それよりさ」と話題を転換した。 「その『小深山先輩』ってやめない?」 「じゃあ、なんて呼べば――」 「伊織。先輩はいらない。僕も雫って呼ぶから。あと、敬語もいらない。前々から思ってたけど、君、敬語苦手でしょ? 無理して使わなくていいよ。……今日から恋人なんだから」  恋人。その響きが嬉しくて、くすぐったくて、俺は思わず笑った。 「じゃあ家まで送っていくよ、雫」  小深山先輩――伊織が、そう笑うと俺の手に指を絡ませた。こんなに満ち足りた気持ちなんて、初めてかもしれない。だけど少し気恥ずかしくて、俺は視線を地に落とした。 「――そういえばさ、誕生日っていつ?」  帰りながらふと、伊織が尋ねてきた。 「今日って何日でした――だったっけ?」  伊織の顔が曇ったのを見て、慌てて言い直した。伊織は携帯を出すと、言った。 「六月、十日だね」  それを聞いて自分の誕生日を思い返して――あっと思い出した。 「今日……だった」  伊織はぽかんと口を開けた。それから、すごい勢いで詰め寄ってきた。 「何で言ってくれないの!? 今日……今日なんてそんな……何にも用意できてないし……そもそも何で忘れてるの!?」 「……俺、誕生日嫌いで、誰にも言わないで祝われないままでいたら、自分の誕生日忘れちゃって」  そう言うと、伊織は押し黙った。  俺が誕生日を嫌いなのは、昔あった出来事が理由だ。  昔から、誕生日は祝われたことがなかった。それどころか、母親に誕生日なんだといえば『ああ、そういえばそうだったね』とだけ返ってくるのがいつもだった。友達はいなかったから、本当に誰も祝ってくれなかった。  だけど、確かあれは小四の誕生日、クラスの人が誕生日について話しているのを聞いたのだ。誕生日は何をもらったとか、どんなケーキをもらったとか、ケーキにろうそくを立ててハッピーバースデーの歌を歌ったとか。  羨ましかった。そんな夢のような誕生日を送ってみたいと思った。だけど俺の母親がそんなことをしてくれるはずがないから、俺は母親に言うことはしなかった。代わりに、母親の金でこっそりスポンジケーキと生クリームとろうそくを買って、安上がりな誕生日ケーキを自分で作ってしまおうと思った。その年の誕生日は、母親は帰ってこないはずだったのだ。  だけど母親は帰ってきた。母親は、俺が勝手にケーキを作っているのを見て、逆上した。作りかけのケーキを床に叩き落とし、俺を怒鳴った。今思えば、この時の母親は何か嫌なことがあって、その八つ当たりだったんだろうなと思う。その時に母親が言った言葉が、今でも俺をがんじがらめにしている。 『生きてるだけで迷惑なのあんたは! あんたが生まれた日が嬉しいはずないでしょ!』  それからというものの、誕生日になるたびに、母親のこの言葉が頭の中で鳴り響く。俺を責め立てるように。  嫌だった。あと、他人の誕生日の話を聞いては、ああ自分には何もないんだ、そう再実感する一日だった。それが辛くて俺は、中学になってできた友達に誰一人として誕生日を教えなかった。平太にすら、こういう理由があるから絶対祝うな、と言ってあった。  だけど伊織は、駄目だよそんなの、とかぶりを振った。 「駄目だよ、今日は君が生まれた特別な日なんだからちゃんと祝わなきゃ。君が嫌でも僕は祝うよ。プレゼント何が欲しい? 用意する時間はないから一緒に買いに行こう。ね、しず――」  伊織は俺の方を振り向いて、びっくりしたように言葉を止めた。何でだと思ったが、不意に何かが頬を伝うのに気付いた。慌てて頰に手を触れると――泣いていた。  泣き止んだばかりなのにまた泣いている自分が恥ずかしくて、何とか茶化そうと俺は笑った。 「あはは、またすぐ泣いちゃって、俺ホント情けない、ガキみたいじゃん。ごめんなさい、すぐ泣き止むから大丈夫――」 「ストップ。僕は何も言ってないよ。だから謝らないで。泣いていいから」と伊織はまた俺を抱き締めた。だけどこれ以上甘えたらずっと泣き止まない気がしたので、涙を拭って何とか涙を収めて、笑ってみせた。 「それで、誕生日プレゼント、何が欲しい?」  欲しいもの、そう言われても、この状況だけで十分嬉しいから、特に欲しいものと言われても思い当たらない。俺がずっと欲しかったのは、誰かからの無償の愛、ただそれだけだったから。  考えて考えて、一つだけ思い当たった。それを言うと、伊織は不思議そうに問いかけた。 「――そんなものでいいの?」  首肯すると、少し納得がいかなそうな顔をしながらも、分かった、と伊織は頷いた。

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