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8正反対の恋の形

「終わんねーよ宿題ー! 何コレ? こんなん今日中に全部終わらせるとか無理だろーっ!」 「ずっと休んでたお前が悪い」 「うぅ……」  昼休みの時間を使って、俺は溜まりに溜まった宿題をこなしていた。何日ぶりだろうか、ざっと二週間ぶりだろうか、に俺は学校に来ていた。  どんな反応をされるのか不安だったが、皆は案外受け入れてくれた。体調が悪かったのかと心配する声すらあった。たかが二週間休んだくらいじゃ忘れられやしない、居場所がなくなったりしない、なんて、冷静になって考えれば分かることなのに。 「っしゃー! 終わった! あとは数学の問題集だけ!」 「それ、結構量あったよ。多分真面目に解いてたら間に合わないから、答え見るしかないんじゃないかなぁ」  和泉がのんびりと言う。仮にも生徒会長ともあろう人が、答えを写すことを推奨していいのか。それを尋ねると「だってしょうがないよ、先生だって分かってくれる。あ、でも、本当はちゃんとやらなきゃ駄目だよ?」と笑った。 「うっわー、超大変そう。先生も何も、今日全部出せって言わなくてもいいのにな」  他人事のように渉が言う。他人事だと思って、と恨みがましく見ると、渉は肩を竦めた。  必死に数学の問題集の答えを写していると、不意に名前を呼ばれた気がした。顔を上げると、俺の方へ歩いてくる伊織が見えた。教室内がざわ、とどよめく。わざわざこの教室に入ってくる伊織が珍しいのだろう。 「どうしたの?」と尋ねるよりも先に、伊織は小さな袋を差し出した。「中身、見てみて」と促されるままに開けると、そこにはイヤホンが入っていた。 「やっぱり、何もプレゼント無しっていうのは僕の気が済まないから。音楽聴くの好きでしょ? 受け取ってよ」  そのイヤホンはぱっと見でも高価そうなのが分かるような代物だった。慌てて「い、いや、こんなすごいもの受け取れないから」と伊織に返そうとすると、伊織は困ったような表情になった。 「返されてもなあ。全く同じもの持ってるから困るよ。いいから受け取ってって。……じゃあ、僕がお揃いにしたくて勝手に君に渡してる、だから君は返す必要はない、ってことにしよう」  恐る恐る受け取ると、伊織は嬉しそうに頷いた。 「ごめ……じゃなかった、ありがとう」  にわかに伊織の顔が曇ったのを見て、すぐに言い直す。伊織は微笑んだ。 「改めて、誕生日おめでとう。じゃあまた後でね」  伊織は優雅に微笑むと、そのまま去っていった。思わず、綺麗だ、と呟いてしまうような微笑みだった。  それをスクバにしまおうと視線を戻すと、呆気にとられた表情の三人がいた。 「……雫くん、小深山先輩とどういう関係……?」  聞かれて初めて、誰にも言っていないことを思い出した。 「あっまだ言ってなかったっけ! 付き合い始めたんだー、俺と伊織」 「いお……伊織? 仲良いのは知ってたけど、付き合うなんて……しかもお前そんな、呼び捨てで……つーか誕生日って何? いつ誕生日だったんだよ?」 「一応、昨日」  和泉と渉は一様に驚愕の声を上げた。平太だけが、心ここに在らずといった様子でぽかんとしていた。 「何だよー、誕生日なら言ってくれれば祝ったのに! なあ和泉!」 「そうだよそうだよ! 何で言ってくれなかったの? でもとにかく、おめでとう!」  快活に二人が言う。前までの俺だったらその言葉をどう受け取っていただろう、そう考えかけたがやめた。俺にはもう伊織がいるんだから、そんなもしもを考えても仕方ない。俺は「ごめんごめんーっ、忘れてたんだよぉ」と何気なく返した。  平太は何も言わず黙りこくっていた。異様な雰囲気を察したのか、渉が「……平太?」と平太の顔を覗き込む。「そういえば平太くんと雫くんって幼馴染だよね? 知ってたんなら教えてくれればよかったのに」と状況を飲み込めていない和泉が相変わらずの口調で言う。 「……付き合い始めたのか、小深山先輩と」  痛いくらいに真剣な表情で平太が言う。さすがに何かを感じ取ったのか、和泉も黙った。 「うん、昨日ね」 「それで誕生日、祝ってもらったのか」 「……うん、ケーキ買ってろうそくに火つけてさ、誕生日の歌歌ってもらったよ。それから、生まれてきてくれてありがとう、って言ってくれた」  それがどんな意味を持っているのか、平太なら分かっているはず。だから俺は、それだけ伝えた。  平太は、二度、三度、と瞬きをすると――不意に張り詰めた糸が切れたように涙を零した。傍らの和泉と渉がぎょっとしたように平太を見る。 「よかった……よかったな、雫……そっかぁ……誕生日祝ってもらえたのか……」  よかったと何度も繰り返しながら、とうとう顔を覆ってしまった平太を見て、二人はさぞ驚いただろう。それでもあえて、何も聞かずに黙ってくれていた。  平太が泣く姿なんて、ほとんど見たことがない。下手すると、幼馴染でずっと一緒にいたのに、一度も見たことがないかもしれない。それほどまでに、平太は泣かない。無理をしているというよりはむしろ、無感動なのだ。  そんな平太を泣かせるなんて、俺は今まで、どれだけ心配をかけさせていたんだろう。どれだけ気遣わせていたんだろう。どれだけ傷付けていたんだろう。そんな平太のことを考えると、胸が苦しくなった。  ごめん、と謝りそうになった。だけど伊織の言葉を思い出して、すんでのところで言葉を止めた。 「……ありがとう、平太」

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