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11鈍感×鈍感

「海だ! 海来たよ、渉くん!」  頭上で輝く太陽みたいな笑顔を浮かべて、和泉はそうはしゃいだ。こんなに可愛くはしゃぐ男子高校生が他にいるだろうか。 「海……来たなあ」  俺は海岸を見て、感慨深い気持ちになった。去年もここに来たのだ。ただし去年は七月じゃなくて八月に来たし、平太もいた。去年は和泉と二人でここに来ることになるなんて、思いもしなかった。 「去年も来たねえ、ここ」  和泉も同じことを感じたようで、ぽつりと呟いた。 「懐かしいな、去年はあそこで飯食って、それからかき氷食べたっけ」 「食べたね!」和泉は身振りをつけて、にこにこと言った。「こーんなおっきいやつ!」  小さな子供みたいなその言い方が和泉らしくて、すごく可愛かった。つかの間言葉を失ってしまったほどだ。 「……渉くん? どうしたの? 僕なんかおかしなこと言った?」  和泉に顔を覗き込まれて、はっと我に返り、慌てて弁解した。 「えっ? あ、ああ何でもねーよ、それよりさ、泳ごうぜ」  誤魔化すように言うと、和泉は不審に思った様子も見せず「うんっ」と頷いた。かと思えば、いきなり走り出して俺を追い越し、振り向き、きらきらした笑顔で俺にこう言った。 「じゃあ海までどっちが早く着くか競争ね!」  そのあまりに眩しい笑顔に、胸が鷲掴みにされたのかってくらい、締め付けられた。こんなに可愛い男子高校生がいていいはずがない、と真剣に考えた。 「ほらほら早くーっ、僕が先に着いたらかき氷奢らせちゃうもんね!」 「あ、待てよ和泉!」  その声で慌てて我に返って、追いかけた。 「おっそーい。僕が先だったから渉くんの奢りね!」  和泉は後から来た俺に、わざと膨れてみせて、ばしゃ、と水をかけてきた。俺は思わず咳き込んでから、「ちょ、水かけんなよ」と苦笑した。和泉は「へっへーん」と悪戯っ子のように笑った。和泉はいい意味で幼い。天真爛漫で、人を疑うことを知らなくて、純粋だ。それが本当に可愛い。  そんなことを思っていたら、ふと、この光景に既視感を覚えた。何だったか――と考えて、去年と同じような状況なのかと思い出した。  ただし去年は、和泉が水をかけたのは平太だった。それから、和泉の笑顔が向いていた先も、平太だった。 『変なところで子供っぽいよな、和泉。普段はしっかりしてるのにな』  和泉に水をかけられた平太はそう笑いながら、つんと和泉のおでこを人差し指でつくと、さっさと泳いでいってしまった。そして和泉は、そんな平太の動作に照れていた。 『子供っぽくないもんねー!』  和泉は、きらきらした笑顔で平太を追いかけていた。  俺は、去年は間違いなく『おまけ』だった。和泉は三人で来られてよかったと言っていたし、その言葉に偽りはなかっただろう。だけどきっと、平太と二人の方がさらに楽しかったはず。それが分かっていたから俺は、何だか惨めで情けない気持ちになっていた。  和泉のことを好きになってから、俺はずっと『おまけ』だったのだ。和泉は平太が好きで、俺は友達で、そういう関係になることはありえない、という立ち位置だった。俺の恋心なんて気付くこともなく、和泉のことを好きな俺のすぐ横で、和泉は平太に恋していた。  平太に敵いっこないのは分かっていたし、そのことで平太を恨むはずもない。完全に諦めていたのだ。いつか和泉が平太のことを諦める日が来ても、よもや俺を好きになってくれるはずがない。もっと和泉にふさわしい人を好きになるはずだ。俺なんて眼中にないはずだ。  そう思っていたし、既にそれは受け入れていた。望みがないと分かっていてもすぐに諦められるはずもなかったから、いつか諦めがつくか他の人を好きになるか、それまでは片思いを続けていようと決めていた。望みがある、ない、じゃなくて、好きだという気持ちだけでも幸せだと思っていた。  そう思っていたのに、二人きりで海に誘われたのだ。そういうことじゃない、そう分かっていても、舞い上がってしまうのは仕方ない。百パーセント望みがなかった去年とは、違う。一パーセントくらいは望みがあるのだ。 「渉くん? 泳がないの?」  和泉の声で、ぼーっとしていたことに気付いて俺は慌てて笑顔を見せた。

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