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2責任とって踏んでくれ
この学園は、前にいた公立中学の二倍はゆうにある広さだった。理科のプリントを忘れたため理科室を目指しているのだが、迷ってしまった。
迷って迷って俺は、気づけば見覚えのない扉の前に立っていた。どうやら屋上へと続く扉のようだ。やたら階段が長いと思ったら、余計に登ってしまったようだ。
「完っ璧迷った……」
俺はそうぼやきながら、なんとはなしにドアノブに手をかけた。当然硬い手応えがして開かずに終わるだろう――そう思っていたのに、いとも簡単にその扉は開いた。驚いて、思わず声を上げそうになる。
そこにいたのは、加賀美が注意すべき生徒として名前を挙げた前園真空先輩だった。それだけならいい、それなら俺は平然と頭を下げて戻れただろう。だが――
「……あ」
先輩が紅潮した頰を引きつらせる。その下半身は屹立したものが露出されていて、先輩はそれを握っていて、つまり――自慰の最中だった。
……どうする、俺。
まさか入学して少ししか経っていないのに、こんなとんでもない場面に出くわすとは。俺は一体なんて言えばいい? 極度の混乱で頭が回らない。
『先輩、何でここでオナってるんですか?』
いや、それは直球すぎる。最悪の選択肢だ。
『今日はいい天気ですね、ハハハ』
論外だ。それにそもそも今日は曇りだ。
そもそも何も言わず立ち去るか? いや、そしたら後日体育倉庫裏なんかに呼び出されそうだ。
悩んだ挙句、俺はこう言葉を発した。
「……あの先輩。俺、何も見なかったことにするんで」
そう言って、すぐにその場を立ち去ろうとしたが、体の向きを変えた瞬間、がしっと腕を掴まれた。
「……待て」
確かにこのまま何事もなくこの場を立ち去れるなんて思ってなかった。だが、この状況はまずいんじゃないか。俺は顔を強張らせて、恐々と振り向いた。
先輩は顔を真っ赤にして、しゃがみ込んだまま、上目遣いで俺を見ていた。
――何だこのギャップは。
加賀美から聞いていた話とは随分違う。加賀美は、いつでも無表情でクールな完璧超人、と言っていたのに。こんな……まるで恥じらう乙女のような表情をする人なんて、聞いてない。
「……見た、だろ」
「いや、その……はい」
恐る恐る肯定すると、先輩は視線を端にちらっと移し、また俺を見た。 俺もその視線につられ、その方向を見ると、エロ本が開いて置いてあった。それも、男同士で、縄だったり手錠だったりが見える。
……それは、SMの男同士のエロ本だった。
こんなもの見ちゃったら俺、無事に帰れないな――思わず心の中で呟いた。そして、平和な日常が終わりを告げたのを悟った。
しかし、縄や鎖で縛られて痴態を晒している男を見ていると、ふと不思議な感覚が俺を襲った。腹の奥底で、今までは存在を知らなかった、別の生き物が蠢いたかのような感覚が。腰の辺りがぞわりとした。
しばらくそれに目が釘付けになっていたが、先輩の声でふと我に返った。
「お前、名前は」
その言葉で一気に現実に引き戻される。だらだらと冷や汗が流れたが、ここで無視をするのも逆効果なので仕方なく答えた。
「明塚、平太です」
「……そうか」
そう答えると、しばらく先輩は黙った。いつの間にか先輩は、ズボンもしっかり履いていた。俺は判決を待つ被告人のような心情でただ、前園先輩の言葉を待った。
そして俺は身動きもせずに待ったが、一向に先輩は言葉を発しない。この人は何を考えてるのだろう。全く分からない。
さすがに焦れて「あの」と声をかけそうになった時、先輩は言葉を発した。
「……責任とれ」
「は?」
「……だから、知ったんだったら責任とれ」
その言葉が頭に染み込んでくるや否や、血の気が引いた。責任をとる、それはつまり、そういうプレイに付き合え、ということだろう。
どうすれば、どうすればこの危機的状況を逃れられるのか……考えたが、何もいい案は思い浮かばない。なんせ相手が悪過ぎる。八方塞がりだ。
さようなら、俺の平和な日常。せめてあまり痛くないプレイだといいな――そう、今までの平和な人生を惜しんで嘆いていると、先輩は座り込んだまま、何事かを呟いた。
「何、ですか……?」
尋ねると、先輩は顔を真っ赤にして、目を少し潤ませて言った。
「――踏んで、くれないか」
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