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6ご奉仕させてくれないか
今日も何一つ手に付かなかった。考えまいとしていても、先輩が頭に浮かぶ。そうして一人で先輩のことを考えては、悶々としてしまうのだ。
「……明塚、お前大丈夫?」
最初、加賀美の声が聞こえなくて、遅れて慌てて返事をした。
「……え? ああうん、大丈夫」
しかし加賀美は胡乱げな目を俺に向けた。
「明らかに大丈夫じゃねーだろ、なんか悩みでもあんの?」
「いや、別に……」
悩み? これは悩みなのだろうか。俺は先輩のことで悩んでいるのか? いや、先輩のことを考えすぎてしまうだけか。ならば先輩のことを考えすぎてしまうのを悩んでいるのか? 分からない、頭が痛い。
加賀美は胡乱げな目をしたまま、それでも追求しなかった。
俺はそうやって教室移動をしながら何となく下駄箱の方を見た。そうしたら、体育終わりだろうか、ちょうど先輩が校舎内に戻ってくるのが見えた。
先輩は誰かと話しながら履き替えていた。先輩は無表情で、何事にも動じなそうな雰囲気を醸し出していた。少し周りを見ると、「かっこいい……」と言いたげないくつもの視線が先輩に集まっているのが分かった。男子校なのに。
でも、確かに先輩はかっこいい。あんな表情で全てを完璧にこなすのであれば、憧れたくなる気持ちも分かる。
だけど俺は知っている。あの冷めた目が劣情を含んだ時の淫らさを。あの感情の読み取れない無表情が蕩けた時の艶かしさを。あの冷淡な声色が掠れて上ずった時の色っぽさを。
『あかつかの、ちんぽ……すごいおっきい……おいしい……』
俺はあの先輩に、あの皆に憧れられている先輩に、そんなことを言われたのだ。昨日のことを思い出して、体温が上がってしまう。
不意に先輩がこちらを見た。目が合う。先輩はほんの少しだけ驚いた顔をしてそれから――
「え」
そう声が漏れてしまった。幸い、加賀美は気付いていない。
――先輩は俺を見て、笑った。さっきまでの冷めた無表情とは明らかに違う。幼馴染だという小深山先輩と一緒にいた時ですら笑わなかったのに、俺に向かって笑いかけたのだ。
試しに俺は笑い返してみた。すると先輩は途端に嬉しそうになって、にこにこしながら俺と反対方向へ去っていった。尻尾を振っている犬みたいだと感じるほど、分かりやすく嬉しそうだった。
心臓を鷲掴みにされたように感じた。卑怯だ。今のは反則だ。可愛い、可愛い、可愛い! その言葉が何度も何度も頭の中をぐるぐると回る。勝手に心拍数が上がっていく。
「明塚? どうしたんだよ」
加賀美の声が聞こえる。俺は慌てて我に返って、曖昧に笑って誤魔化した。
俺はその後、何で先輩は俺に笑いかけたのか、何で俺が笑い返すとあんなに嬉しそうになったのか、そればかり考えていた。
何度考えても俺に都合のいい想像しか浮かばなくて、それを都合のいい想像と考えたことに戸惑った。何時間も考えて結局、自分の気持ちですら測りかねているのに、先輩の気持ちがわかるはずがない、そう諦めた。
そして今日も、屋上の扉の前に来てしまった。今日は昨日以上に悩まず、ドアノブを回した。が――硬い手応えを感じる。鍵が閉まっていた。
そりゃそうか、毎日毎日は来ないか。そう自分を納得させようとしているのに、思った以上に落胆しているのに気付いた。
いないものは仕方ない、と帰ろうとしたその時、後ろから階段を上る音がした。振り向くと、先輩だった。
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