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5そしてプロローグに至る
「……あークソ……」
むしゃくしゃして俺は思わず、リビングに入りながらつぶやいた。
昨日の先輩はエロすぎた。本当に。しかも俺が帰り際に『先輩って実はセックス慣れてますよね?』とふと問いかけると、先輩はぽかんとした顔でこう答えたのだ。
『いや……今が初めて、だが……』
いやいやそんなはずはない。確かにキスやら口説き文句やらは慣れていない感じもしていたが、初めてとは思えないくらい淫乱で、すんなり入ったというのに。
俺のものは大きい。長さ的にも太さ的にも。積極的には言わないがそれが割と自慢だったりするくらい。だから初めて――つまり処女が一発で入る大きさではない、と思う。処女とはしたことがないから分からないけど。
それから先輩には小深山先輩っていうれっきとした彼氏がいるんだから、既に一度くらいは経験しているはずだ。
と思ったのに。
『……初めてじゃダメか……?』
と不安げに問いかけられてしまえば、その言葉を疑うなんてできなくなった。
俺が初めてで、なのにあんなに乗り気で、身体の相性もよくて。あわよくば、なんて調子に乗っていた罰かもしれない。
『あ、いた! 真空帰ろ』
昇降口で先輩を見かけたから、このまま声をかけて一緒に帰って、今日もヤれれば……なんて思ったのがいけなかったのかもしれない。
とにかく、声をかけようとしたその時、俺の後ろからにこにことした小深山先輩が駆けてきて、俺を追い抜かして、先輩に話しかけたのだ。
小深山先輩を見て先輩はふっと薄く笑いながら『ああ』と頷いて、不意に後ろを向いて……俺と目が合った。
俺がなんて言おうか、そもそも声をかけるか迷っている間に先輩は、何も言わずに前に向き直った。その目だけで『ごめん』と語っていた。『ごめん、俺は今日こいつと帰るから』と。
――そうだ。なに調子乗ってんだ、俺。あわよくば、今日も……なんて、俺は二の次で付き合ってる小深山先輩が優先だなんて、最初からよくわかっていたのに。
冷水を浴びせられたような気持ちになった。分かってたのに、全部分かってたのに俺は――なんで、『先輩は俺のことが好きなのかも』なんてバカげたことを考えてしまったんだろう。
本当にムカつく。そんなことを考えてしまった自分に無性にムカつく。
「……どうしたの平太。そんなにイライラしてるなんて珍しいな」
はっとして顔を上げると、そこには兄貴がいた。そして隣には、昔俺も何度か流れで体を重ねた菫さんがいた。
菫さんは兄貴の二つ下、高校三年生だ。兄貴が高三の時に手篭めにしたと聞いた。そしていわゆるビッチだが、俺は嫌いじゃない。
からっとした性格と計算され尽くした可愛さと気遣いの巧さ。たぶん大抵の男が「騙されても良いかな」なんて思うような人だ。
「……別に。てか最近菫さんよく来るね」
「まー、ね。色々あってさ、慰めてもらうときは誠人が一番都合良いし」
「俺をなんだと思ってんの」
「ノーリスクハイリターンの便利な男。誠人だってそう思ってるでしょ?」
「まあそうだけどね。で、平太どうしたのー? 優しい優しいお兄ちゃんが全部聞いてあげるよー?」
このノリの兄貴は心底めんどくさい。それに先輩のことは、言ったら絶対からかわれるから言いたくない。
「は? 兄貴に話すかよ。絶対からかわれる」
「そんなことするかよ」
なんて言いながら兄貴はすでにニヤニヤしている。だから嫌なんだよ。
「じゃーあたし聞いてあげよっか?」
意外なところから声が挟まった。意外に思って見ると「あたしの愚痴も聞いてくれるならね」と菫さんは笑った。
「ちょ、俺はどーなんのよ」
「えー、誠人は適当に合コンでも行っとけば? あたし誠人の話よりかわいー弟くんの話の方が興味あるんだけど」
「俺の対応雑すぎ」
そう笑いながらも兄貴はスマホを操作し始め、俺が菫さんと世間話をしだした頃に「今日は藍ちゃん予定空いてるっぽい」なんて言いながら荷物をまとめ、軽く身だしなみを整えてからあっさり家を出て行った。
キープの女がいすぎなんだよ兄貴は。
「で? どうしたの平太くん」
なんて答えようか、と考えて結局俺は素直に全部話した。菫さんは確か、こういう恋愛話は割と好きだったはずだし。
「へー……ちょっとあたしの状況と似てる」
「どんな?」
「ほらあたし、色んな男同時並行してるでしょ? でもさ、そのうちの一人にガチで恋しちゃったんだよね」
「……兄貴じゃないよね?」
「まさか。全然違うやつ。でさ、そいつ一人に絞ろうとしたんだけど、告ったら帰ってきた返事は『ごめんセフレとしては良いけど付き合うのは無理』って。まー分かってんだけど、ショックなもんはショックじゃん? だからちょっと誠人のとこ来てた」
「あー、兄貴落ち込んでる女の子を慰めんの、めっちゃ上手いしね」
言いながら俺は、一つのことを考えていた。……俺の気持ち、やっぱり恋なのかな、と。
今更、なんて思われるかもしれないけど、そもそも俺は先輩への気持ちが何なのかよく分かっていない。これは本当に恋なのか分からない。だって、恋なんてしたことないから。
「……俺、恋してんのかな」
そう呟くと、菫さんに呆れられた。
「何言ってんの、どう考えても恋でしょ」
言われて、俺は首を捻った。
恋って、考えるだけで胸が苦しくなったり、他の人といる姿に嫉妬したり、一緒にいるだけで心が踊ったり、そんなささやかで綺麗なものだと……と考えて、ようやく気付いた。――全部当てはまってるじゃん、俺。
「恋……恋かぁ……」
「平太くんてさ、恋愛経験あるのかないのか分かんないね」
ぶつぶつと呟いていると、さらに呆れられた。そりゃそうだ、俺は経験人数だけ無駄にかさんだ恋愛初心者なんだから。
「……恋だとしたら、もう既に失恋してんじゃん俺」
思わず呟くと、菫さんは「あたしもだよ。失恋仲間だね」と笑った。
思考がぐちゃぐちゃであまりよく理解していないけれど、あの下校の時からずっと、何か鋭いものが刺さっているように胸が痛いのは事実。そんなものが恋なら、知りたくなかった。めんどくさいからと避けていたのに、こんな形で、恋のめんどくささを突きつけられるなんて。
俺が唸りながら悩んでいるのを見兼ねたのか、不意に菫さんは俺にある提案をしてきた。
「平太くん、今からさ――」
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