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1永遠の片思い

 俺よりも先に父さんが帰宅していた、そもそもそのことに違和感を覚えるべきだったと思う。普段ではありえない。食事すら滅多に一緒に取らないのだから。  とにかく、平太と別荘に泊まった後に帰宅をすると、父さんは黙ってリビングのダイニングテーブルに座っていたのだ。時計を見ると、まだ夕方といっても差支えがないような時間帯だった。  父さんは俺の姿を認めると「座れ」と一言、促した。状況が掴めないままに父さんの向かい側に座り、父さんの顔を見ると、父さんは表情という表情が全て抜け落ちたような無表情だった。そこでようやく、まずい、と気付いた。何の用だかは分からないが、父さんがこういう顔をしている時は大抵、本気で怒っている時だ。 「真空。聞きたいことがある」  父さんは静かに呼びかけた。それだけなのに、条件反射的に体が震えてしまう。無言で頷くと、父さんは静かな声色で尋ねた。 「お前は俺に嘘をついただろう」 「……嘘?」  意図せず声がか細いものになってしまった。一体何のことだ、と必死に頭を回転させる。考えて結局辿り着いた結論は一つ。俺は父親に「伊織と別荘に行く」と伝えてあったのだ。だから、考えられるのはそのことしかない。  父さんは不気味なほど凪いだ表情で、告げた。 「お前が別荘に行っている間、伊織くんと会った。お前は誰と別荘に行っていた?」  少しの間、息が止まった。それくらいの衝撃だった。俺は何も言えなかった。黙りこくった俺を見て、父さんはこれ見よがしに長くため息をついた。さらに居心地が悪くなって俯いてしまう。 「お前がそのつもりなら、俺も考えがある」  父さんはそう言うと、不意に立ち上がった。俺が身構えていると、父さんは、何かの紙をいくつか机の上に叩きつけた。 「色々と調べさせてもらった。お前は」父さんはその紙のうちの一つを俺にすいっと差し出した。「こいつとどういう関係だ?」  父さんが机の上に叩きつけたのは、平太の写真だった。一瞬で血の気が引く。 「……何で、こんな写真、」  必死に絞り出して、結局それしか尋ねられなかった。父さんは「探偵を雇った」と短く答えた。 「……探偵……って、何もそこまで……」 「子供のことを全て知っておくのは親の義務だ」  一切の表情の変化もなく、父さんは当然のように答えた。そんなのプライバシーも何もないだろ――という反論は飲み込まざるを得なかった。 「お前が答えないなら話が進まない」  そう言いつつも父さんのことだ、確実に俺と平太が付き合っている証拠を掴んだ上で、こう言っているんだろう。もし俺が嘘をつけば、すぐさま反論してくるはずだ。つまり、父さんがこうやって話を持ちかけてきた時点で、逃げ道はない。それを分かっていたから、何も言えないのだ。  父さんがこつこつと指で机を叩き始めた。イライラした時の父さんの癖だ。これ以上黙り込んでいれば、確実にキレる。それが身に染みて分かっていたから俺は、腹をくくって口を開いた。 「……付き合ってる」  案の定父さんは、答えを予想していたように再度ため息を吐いた。 「お前は自分の立場が分かっているのか? お前は将来大企業を背負って立つ人間なんだぞ? それをこんな……ましてお前には許嫁がいる、それなのにどうしてこんな無駄なことに時間を使う?」 「俺にとっては無駄なことじゃない」  思わず食ってかかってから、しまった、と思った。父さんの口元が一度引きつったのだ。 「ほう? 男と付き合うことのどこが無駄じゃないんだ? ましてやこんなやつ、男じゃなかったとしても間違いなく反対している」 「……どういう意味だ」  父さんは、それまで俺に言わせるのか、とうんざりしたように言った。 「こんな下賤な人間と付き合うな、と言っている」 「平太は下賤な人間なんかじゃない!」  頭に血がのぼって思わず、勢いよく立ち上がりながら父さんを怒鳴りつけてしまった。はっと気付いた時には遅かった。 「座れ」  父さんは短く命じた。絶対零度の声色だった。渋々座ると、父さんは淡々と話した。 「お前がどこまで把握しているかは知らないが……母親は不倫の末に不倫相手と心中し、父親は虐待に走り挙句子を捨てて別の所帯を持ち、兄は女癖が非常に悪く何度も犯罪紛いのことや暴力沙汰を起こしている。こんな歪んだ家庭環境で育った人間がまともな人間であるはずがない。そう思わないか?」  母親が亡くなっていることは聞いていた。父親が平太と平太の兄を捨てたことも、兄が昔荒れていたことも、父親が亡くなって金の工面ができなくなって兄が必死に働いてくれていた、ということも。だけど、母親が死んだ理由は聞いたことがなかった。  平太の事情を全て聞いている訳じゃなかった、そのことにまずショックを受けた。それから、平太が思っていた以上の闇を抱えていたことに心が痛んだ。その後、父さんに何を言っても無駄だろうということに絶望した。  そんな家庭環境で育った人間は信用ならないと考えるのも無理はない。話してみれば全くそんなことはないのに、という理屈は父さんには通用しない。ステータスで人を測る人だからだ。 「こんな人間と付き合うなんて、お前にとって悪影響しかない。別れろ」 「嫌だ」  考えるよりも先に言葉が滑りだしていた。父さんは僅かに眉を上げると「何故?」と短く問いかけた。 「好きだから。こんなに好きな人は後にも先にも平太一人だ」 「『好き』だけじゃ家庭は成り立たない。いいか、幸福に必要なのは恋愛感情じゃない、条件の良い相手と家庭を持つことだ。恋愛感情に振り回されては必ず不幸になる」  いっそ笑えるほどに、予想通りの言葉だった。その言葉に対する反論は既に考えてあった。 「父さんの人生と俺の人生は違う。父さんの価値観を俺に押し付けるな」  父さんの頰が、ぴく、と震えた。父さんはまた机を指でこつこつと叩き始めた。何を言うでもなく冷たく威圧するようにただ俺を見つめてきたが、俺は負けじと睨み返した。内心は怖くて爪が食い込むくらい机の下で握った拳が震えていたが。  やがて父さんは、長くため息を吐いた。それから、有無を言わせぬ口調で告げた。 「二週間待ってやる。その間に別れろ。それ以上は待たない」

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