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7永遠の片思い
十数日後、泰平に呑みに誘われた。
結局泰平は、真空くんが後輩の子と付き合うのを許したそうだ。伊織から聞いた。それから後日、私が泰平を説得したのだと伊織から聞いた真空くんとその相手まで、私に礼を言いにきた。
私は内心、自分の説得だけでどうにかなるものなのかと疑問に思っていたのだが、その相手の子と会って、納得した。彼からは、はきはきとしていて大人びた印象を受けた。泰平の好むタイプだ。二人は私のおかげだと言ってくれたが、交際を許したのは恐らく彼が上手く立ち回ったからに違いない。
そんなことがあったから、泰平はこのことを話したいのだろうと見当がついた。だから私は妻と伊織に断りを入れ、泰平の誘いを快諾した。
「……そういえば、結局真空くんの交際を許したそうじゃないか」
世間話をしてほどよく酔いが回り始めた頃合いを見計らって、私はそう切り出した。
「ああ。……お前の言う通りだった。会ってみないと分からないものもある」
「どんな子だった?」
知ってはいたが、泰平の口から聞きたかった私は、そう尋ねた。すると泰平は意外にも、少し柔らかい表情になって答えた。
「なかなかに芯のある好青年だった。驚いたよ、俺がわざと彼の家庭事情をあげつらったのに彼は表情一つ変えずに、それに関しては何も言い返せないができれば目の前の俺を見て判断してくれ、なんて言ったんだ」
「……それは何とも」
果たして、その状況でそう言い返せる高校生はどれくらいいるだろうか。いや、大人ですら難しいだろう。そういう複雑な家庭で育ち、気苦労を重ねてきたからこそ、咄嗟にそう言えるのだろうか。
「それから俺が、そこまで言うなら土下座して頼み込め、と言っても、躊躇わずにやってのけた」
「土下座までさせたのか、君は」
彼にではなく、泰平に驚いた。結婚の申し込みでもないのに彼氏に土下座をさせる父親なんて、嫌過ぎる。いや、婚約を断ってまで交際をするのだから、結婚と同じようなものか。それにしても少し、やり過ぎだ。
「俺自身、やり過ぎだとは思った。反対する気満々だったからな、躊躇ったところで追い返そうと思っていた。まさか本当にやってのけるとは。感心した」
「君、彼のことをいたく気に入ったね」
「ああ。あれはきっと将来大物になる、賭けてもいい」
楽しそうに言う泰平。泰平がそこまで認めるとは、珍しいこともあるものだ。彼はなかなかに処世術に長けた人間なのだろう。
「それで真空にいつから交際しているのか聞いたんだが、一年前の六月からだそうだ。俺が気付いたのは今年の夏頃だから、一年も俺は気付かなかったんだ。……真空の教育や跡を継がせる準備だけじゃなく、靖仁のようにきちんと真空自身も見てやらなきゃいけないな」
泰平の言葉がやけに素直なのは、酔いが回っているからか、反省をしたからなのか。どちらにせよ、いい方向に向かってくれるようだからよかった。
「少し意識するだけでも、君の場合ならかなり改善するだろうね」
「ああ。……交際を認めたせいか、俺に対する真空の態度が変わった。何というか、あまりビクビクしなくなった。何にせよ、よかったよ。孫の顔が見れないのは悲しいが、あれが相手なら男同士でも構わない」
男同士でも構わない、という言葉がまさか泰平の口から出るとは思っていなくて、私は束の間言葉を失った。
それから、こんなことを言ってしまったのは、私も酔いが回っていたからだろうか。
「へえ、珍しいことを言うじゃないか。なら、君自身はどうなんだい? 男と交際するのは」
「俺がか? それとこれとは話が別だろう」
泰平の言葉を聞いて、分かっていたのに落胆した。こんなことを聞いても何もできないのに。自嘲気味に心の中で呟いた。
しかし、「……だが」と続けた泰平の言葉で、私の心臓は飛び跳ねた。
「靖仁がもし既婚者じゃなければ、付き合っていたかもな」
君はずるい。何のてらいもなく、そんなことを言える。私がどんな思いで過ごしてきたのか、何も分かっていない。
もし既婚者じゃなければ付き合っていた、ならば、もし私が結婚前に戻って泰平に交際を申し込んでいたら。もし泰平がプロポーズする前に私が告白をしていたら。もし私が結婚をしていなくて、あの時――泰平が嫁に逃げられたと泣きついてきた時にきちんと想いを伝えていたら、未来はどう変わっていただろう。
泰平への想いを自覚したのは、いつだったか。仲良くなって、割とすぐだっただろうか。元々、顔は好みだった。仲良くなる前から、綺麗な顔をした人だ、と何となく目で追っていた。それから大学のゼミで偶然一緒になって、仲良くなって、淡い憧れが確かな憧れへと変わり、そして恋心に変わった。
示し合わせた訳ではないが、何となくいつも一緒にいた。泰平の隣は居心地が良かったのだ。恐らくそれは、泰平も同じだっただろう。性格がまるで違うのに気が合う相手は、お互いにとって貴重だった。
私と泰平は、どんな時でも一緒にいた。どちらかが落ち込んでいる時は慰め合って、どちらかが嬉しい時はそれを分かち合って。数え切れないくらいの思い出がある。お前らっていつも一緒にいるな、と共通の友人に軽口を叩かれるくらいには、一緒にいた。
この関係がずっと続けばそれでいいと思っていた。泰平が、偶然入ったカフェの店員に一目惚れをした、という話を持ちかけてくるまでは。
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