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10永遠の片思い

 それを聞いてまずい、と思った。気付けば、ありえないくらいの早さで泰平との思い出が蘇っていた。それと同時に今までの苦しい恋心までも、痛いくらいの熱を持って蘇った。今まで必死に蓋をしてきたのに、ようやく想いが薄れたところだったのに、以前よりも鮮烈な「好き」という気持ちが駆け巡った。 『……冗談を』  私の声は震えていた。 『本気だ。相手が靖仁だったらきっと、こんなに毎日喧嘩になることはなかっただろうな。俺がどんなに酷い言い方をしても、靖仁はきちんと汲み取ってくれる。全て柔らかく受け止めてくれる。……お前と結婚すればよかったな』  酔っているのだ、と思った。呂律は回っていたが、泰平は素面でそんなことを口にしたことがない。それか、百合さんに逃げられてあまりにも寂しくて、そんな馬鹿なことを考えているのだ。本心であるはずがない。真剣に言っているはずがない。  そう分かっていたがしかし、嬉しかった。それと同時に、素面の時にその台詞を聞きたかった、と切なくもなった。言われない方がいくらかマシだ。泰平のその言葉は、あまりにも残酷だった。 『君は酔っているんだ。それか疲れているんだ。そんな馬鹿なことを考えるくらいなら、もう寝てしまった方がいい。ほら』  寝るのを促したその時、視界が反転した。背中に柔らかい感触があり、泰平の顔がすぐ目の前にあった。――泰平にベッドに押し倒されたのだ、と理解するまでには随分と時間がかかった。 『な、にを――』  言葉を続けるよりも先に、泰平に抱きしめられた。 『靖仁と一緒になりたい。靖仁は、俺を置いて逃げたりしないだろ?』  私はしばらく絶句した。心臓がうるさい。言葉にならない思いを全て飲み込み、私はようやく、言葉を発することができた。 『……君は、自分が何を言ってるのか分かっているのか』 『分かっている』 『いいや、分かっていない。君は今、深く傷付いて自棄になっているだけだ。それか、酔っていて変な考えが浮かぶだけ。冷静になって、今の言葉の意味をよく考えてよ』  泰平は黙り込んだ。少ししたら過ちに気付き、離れてくれるはずだ。そうじゃないと困る。これ以上踏み込まれたら――うっかり想いを口にしてしまう。 『……靖仁も、俺を見捨てるのか』  しかし泰平が口にしたのは、予想を裏切る言葉だった。 『違う。そんなことはないよ。泰平のことは一生支えていきたいと思っている。だけど、私には雅子も伊織もいる、君の誘いに乗る訳にはいかないんだ。分かるだろう? 私は、君とそういう関係になるつもりは一切ない。君はもう寝て、冷静になってくれ。後で、自分はなんて愚かなことを言ってしまったんだと後悔するのは君だ。だから、』  これ以上何か言われたらまずい。間違いなく揺らぐ。だから私は何とか泰平を牽制しようといくつも言葉を並べた。けれどもその言葉は、泰平に囁かれた一つの言葉で、いとも容易く消えてしまった。 『好きだ、靖仁』  瞬間、甘い痺れが全身を支配した。自分のため、泰平のため、家族のため、と何年もかけてずっと築き上げてきた防壁は、愛しさの濁流に押し流されて脆くも崩れ落ちてしまった。 『たい、へい……』  恐る恐る名を口にすると、泰平に優しく口づけをされた。脳裏に雅子の顔が浮かぶ。心の中ですまない、と呟いた。今までのどんなキスよりも、今のキスが一番甘くて気持ち良かった。 『靖仁。一緒になりたい』  不意に、百合さんもこうして落としたのか、なんて思った。こんな端正な顔の男に真剣に愛を囁かれたら、堕ちる。  もう何だっていいと思った。泰平のこの言葉が、酔いと寂しさに生み出された紛い物に過ぎないとしても、妻と子を裏切ることになったとしても、拒めるはずがない。全て忘れてしまいたい。今だけは全て忘れて、泰平に溺れてしまいたい。 『……泰平、抱いてほしい』  今思えば、馬鹿になっていたのは泰平だけじゃない。私も間違いなく、馬鹿になっていた。こんな馬鹿正直に、心の一番深いところにしまっていた欲望を吐いてしまったのだから。  私のその言葉が、合図となった。

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