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12永遠の片思い

 翌朝、私の方が先に起きたのは、僥倖と言うべきだろう。私は起きた後、何事もなかったかのようにベッドのシーツを直し、昨日洗濯乾燥機に入れておいたシャツに軽くアイロンをかけ、そしてそれに着替えている最中に、泰平は起きてきた。 『靖仁。その、昨日は……』  昨日のことを覚えていないんじゃないか、と少し期待していたが、泰平はしっかり覚えていたようだ。それもそうか、昨日の泰平の抱き方は、酔って前後不覚になった人間の抱き方じゃない。  こうなった時の対処法も、私はきちんと考えてあった。私は泰平に向かって『昨日は大変だったんだ』と素知らぬ顔で笑った。 『私が風呂から上がってきたら、泰平、ソファの上で寝ていたんだから。私がいくら起こしても全く起きなくてさ。大変だったんだよ、君を担いで寝室まで連れて行くのは』 『……え?』 『酔い潰れて寝るなんて、君らしくないよね。どうせ、昨日いつ寝たのか覚えていないだろう?』  全て、なかったことにしてしまおうと思ったのだ。一番最悪なのは、泰平は流れで何となく私を抱いてしまったが、そういうつもりは全くなくて、ただ寂しかっただけ、そして気まずくなって距離が離れてしまうことだと思った。  それか万が一、辛い時にそばに寄り添った私に泰平が一時的に心惹かれているのだとしても、いい結末にはならない。私は、どんな理由だとしても泰平が私のことを好きと言ってくれるのなら、きっとどこへだって着いていってしまう。だけど一時の気の迷いに決まっているから、泰平との関係もすぐ壊れ、後に残るのは「私は家庭を捨て、そして親友も失った」という事実だけだろう。  だから全てなかったことにしてしまおうと思った。そして昨日のことは、夢だった、ということにしてしまおうと思った。 『いや、だが……』と泰平はなおも口ごもっていたが、やがてかぶりを振った。『……何でもない。変な夢を見たようだ』 『そうなんだ』  私はそれだけ答えて、また着替え始めた。思っている以上に、あの幸せだった記憶をなかったことにしてしまうのは堪える。だが私は、今の幸せを捨てる覚悟はできなかった。 『私はもう帰るよ。君も、真空くんを迎えに行くかい?』  着替え終わってからそう言うと泰平は、いや、と首を振った。 『仕事が終わったら幼稚園に迎えに行く。昨日すっぽかした分、埋め合わせをしなくては。すまないが、伊織くんと一緒に真空も幼稚園に送っていくのを頼めないか?』 『分かった。雅子に頼んでみるよ』  雅子に電話をかけると、すぐに繋がった。雅子に今から帰ること、私の分の朝食を用意しておいてほしいこと、それから真空くんも伊織と一緒に幼稚園に送っていってほしいことを頼むと、雅子は快諾してくれた。心なしか、ほっとしたような声に聞こえたのは気のせいだろうか。 『勝手なことばかりしてすまない。今日何か埋め合わせをするよ』  そう言うと、雅子は笑いながら答えた。 『泰平さんも大変だったし、いいのよ。あなたがちゃんと私のところに帰ってきてくれるのなら』  その言葉に少し引っかかりを覚えたが、私は素直に礼を言って電話を切った。それから泰平に向き直り、こう言った。 『何か相談したいことがあったら、またいつでも聞くから。じゃあまたね』  私はそう言って、泰平の家を出た。出た瞬間に涙が滲みそうになって、参ったな、と私は呟いた。思っている以上に、堪えたみたいだ。  これでいいんだ、と私は自分に言い聞かせた。こうするしか道がない、私一人が想いを飲み込めば、全て丸く収まるのだから。 「――靖仁?」  その声で、はっと我に帰った。自分は今まで、昔のことを思い出していたようだ。 「ああ、すまない。考え事をしていたんだ。それで、泰平が私が既婚者だったら付き合えたかもしれない、という話だったよね」 「ああ。そういう靖仁はどうなんだ? 男同士は」  何とも言えない寂しい気持ちになって、それを誤魔化すように私は笑った。 「……私はもとより、そういう偏見は一切ないよ」  泰平は、そうか、と呟いた。心なしか、複雑な色を浮かべていた。 「まあ、今更そんなことを言っても仕方がないけどね。泰平は百合さんを選んで、私は雅子を選んだ」 「雅子さんとは、上手く行っているのか?」  私は、一瞬だけ迷った。雅子との仲は、疑いようがないくらいに良好だ。けれど、私には別に愛する人がいる、という負い目から、素直にイエスとは言えなかった。 「……ああ、とてもね。雅子は今でも、私にはもったいないくらい良い女で、良い妻で、良い母親だよ」  それは間違いなく本音だ。相手が雅子でなければ、妊娠したと言われても責任を取って結婚をしなかったかもしれない。したとしても、ここまで続かなかったかもしれない。幸せだからこそ、余計罪悪感が強くなる。 「……そうか」  泰平は何かを考え込んだ末、ぽつりと呟いた。それから窓の外を眺め、言った。 「そろそろ、花火も終わるか」 「そうだね」  気付けば、夜空に輝く花はより一層輝きを増していて、それが終わりに近づいていることを示していた。その花火は綺麗に暖かく輝いていたのに、不思議と胸を打つ切なさがあった。

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