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4城之内賢は、いつも何かを聞いている
次の日、城之内は何事もなかったように学校に来ていた。僕も何とか、何事もなかったように振る舞った。
だけどどうしても気になることがあって、僕は足早に帰宅しようとしていた城之内を引き止めた。
「城之内。……いつも、イヤホンで何を聞いてるの?」
城之内のことは大体察しがついた。でもどうしても、それだけが分からなかった。城之内は、やっぱりね、と言いたげな顔で笑った。
「いいよ、お前には特別に教えてあげる。その代わり、俺の自慢を聞いてよ。着いてきて」
城之内はそう言うと、僕を手招きした。僕はよく分からないままに、頷いた。
「……城之内、着いてきてってどこに……」
「俺の家。俺、イギリスとのハーフなんだけど、父さんの仕事の拠点がイギリスにあるんだ。それで俺が高校に上がる時にイギリスに着いていくかこのまま日本で暮らすか聞かれてさ、もちろん日本で暮らすのを選んだから今一人暮らし。誰も上げたことないからお前が初だよ」
何で今まで誰も上げなかったのか、あえて聞かなかった。なんせ一眼レフで盗撮をしていたやつだ。想像はつく。
「じゃあ自慢って――」
「来ればわかるよ」
城之内はそう言うと、僕の少し前を歩きながら問いかけた。
「それより山内、何か平太の話聞いてない? 何でもいいよ、些細なことでも」
バレたからか、回りくどくないド直球の聞き方をしてくる城之内。僕は少し考えて、答えた。
「何だったっけ……夏休み中に先輩と付き合ってるのが先輩の父親にバレたけど土下座で乗り切ったって話は聞いた。あとはえーっと……俺先輩と結婚するわ、って真剣な顔で言うようになったからそろそろあいつはヤバい、って言ってたかな」
言ってから、こういう話は不快じゃないのかと思った。そう訊くと、城之内は肩をすくめた。
「別に俺、平太と付き合いたいとは思ってないんだ。無理だしね。だからもっと違う形で、俺っていう存在をあいつに刻み込みたい。今はその準備段階かな」
僕には理解できない理屈だった。何だか空恐ろしいことを言っているように感じた。
上がってよ、と言われて上がったマンションの一室は、案外普通だった。少し驚いて見回していると、ふっと城之内は笑った。
「意外と普通だ、って思った? そりゃ普通だよ、ここで暮らしてるんだから」
そして通された居間も、ちらりと見えた寝室も、いたって普通のものだった。むしろ家具がモノトーンに統一されていて、趣味が良いとすら思った。
それで自慢って何だ、と問いかけようとすると、城之内は居間に置いてある判子や鍵を入れた小さな入れ物の中から、一つの鍵を取り出しながら言った。
「俺さ、前も言ったけど割とお前のこと好きなんだ。だってお前、自分で気付いてるか分かんないけど矛盾してるでしょ」
「……矛盾?」
よく分からなくて首を傾げると、城之内は鍵を持ったまま俺を手招きして居間を出た。
「そ。お前はせっかく賢いのにそれを全く活かせてない。危険なことには近付きたくない、って言いながら一番危険な俺のこと、面白がってるでしょ。それが矛盾してるって言ってるの。そこが面白いし好都合だ。……今からお前が見るものは全部、お前が招いたことだからね」
言いながら城之内は、寝室の真向かいの何故か鍵がかかっている部屋の鍵を開け、言い終わると同時に、僕に見えるようにドアを開けた。
考えてみれば、一人暮らしで誰も上げないのに、家の中に鍵をかけているのは不自然だ。それに今までの言動と比べると、家の中はあまりにも普通だった。それに気付かなかった僕は、きっと馬鹿だ。
「自慢したかったものはこれだ。どう? なかなか集めたと思わない? 触らないなら自由に見ていいよ」
ぱち、と電気をつけながら楽しげに言う城之内。その声色とは裏腹に、その部屋は、あまりにもおぞましいものだった。
まず、壁と天井一面が明塚平太の写真で埋め尽くされていた。恐らく全て、盗撮だ。普通にピースをして城之内と共に写っている写真は、一つ一つ写真入れに入れられてフィギュアか何かのようにずらっと棚に並べられていたから。
それでも足りないのか、後の棚には一列分のアルバム、それから読んだ形跡のない漫画と開けた形跡のないゲームのパッケージがずらっと並んでいた。それからもう一つの棚には、ハンカチや何かのプリント、果ては飲み終わった紙パック飲料やジップロックに入れられた髪の毛などが並べられていた。
「城之内、これ……」
「すごいでしょ? 俺のお気に入りはまずこの写真。平太が教室で喋ってた時の写真なんだけど、この高校生満喫してますーって顔可愛くない? なかなか上手く撮れたと思うよ。それからこれは、平太が先輩と帰ってる時に撮った写真。すごく甘い顔してるよね。我ながら良い写真が撮れた。それで一番は――」
僕を置いてけぼりで心底愉快そうに話す城之内。僕は既に寒気が止まらなかったが、城之内が指差した一つの写真で、思い切り顔をしかめてしまった。――それは、明塚平太が心の底から気味の悪いものを見た時のような顔をしていた。
「ダントツでこれ。この写真はスマホで撮ったからそんなに画質は良くないんだけど、最高傑作だと思うよ。先輩と付き合ってるっていうのを知った後に合鍵で家に忍び込んで待って、わざわざ平太が怖がるようなことをべらべら喋った甲斐があったね。あいつ、今までで一番引きつった顔してたよ。不意打ちで写真撮ったら、真剣に怖がられて追い返されてLINEまでブロックされちゃったけどね。あの時の顔は思い出すだけで抜ける」
不意に、前に城之内が言っていた言葉を思い出した。
『俺さ、性格歪んでるんだ。人のぞっとする顔見るの好きなんだよね。見ててゾクッとする』
あの時は冗談だと流していたが、それは実際、城之内が心の底から思っていることなんだろう。恐ろしいと思った。全て自覚して、それがおぞましいことだときちんと理解した上で行動している城之内が。同じクラスメイト――否、同じ人間とも思えなかった。
「それからここに入ってる漫画とゲーム、全部平太の好きなものなんだ。なかなか集めるの頑張ったんだよ。まあ、ただの自己満足なんだけどね。平太と同じものを持ってることそれ自体が嬉しいんだ」
うっとりと部屋を眺めながら、そう言う城之内。僕は知らずのうちに二の腕を擦っていた。きっとここは、城之内が何よりも大切にするコレクション部屋なんだろう、と思った。
僕は正直、何も見なかったことにしたかった。だけどそれはきっと、城之内が許さない。『今からお前が見るものは全部、お前が招いたことだからね』と言っていたくらいだ。そう、関わりたくないのなら城之内に聞かなければよかったのだ。いつもイヤホンで何を聞いているのか、なんて。
「それで、イヤホンで何を聞いているのか、だったね」
言いながら城之内は、イヤホンを外した。イヤホンを外した姿は初めて見た。それから城之内は、ポケットから何かイヤホンのついた小型の機械を取り出し、何かのスイッチを入れた。そこから流れ出したのは、何かの音だった。よく聞くとそれは――ざわめき? さらに耳をすますと、会話が聞こえた。
『なー、誰か買い出し行ってくんね? 衣装作る時のミシン糸足りねーよ。誰か暇なやつ――あっ、平太と雫、お前ら劇練なくて暇だろ? 行ってこいよ』
『はあ? 何で俺らが行かなきゃならねえんだ』
『お前らいつもは劇練ばっかで準備の方参加しねーじゃん。たまには貢献しろ』
『面倒くさ。絶対やだ』
『まぁいーんじゃね? 俺らここにいてもやることないじゃーん? んなら買い出し行って途中テキトーにサボろーぜ!』
『んー……ま、それなら行ってもいいけど』
『はー? ミシン糸ないと何もできねーんだからさっさと戻ってこいよー』
僕が勢いよく城之内の顔を見ると、城之内は、ふはっ、と笑った。心底愉快げに、それでいて笑っていない目で。
「分かったでしょ? 俺がいつも何を聞いてるのか」
――城之内賢は、いつも何かを聞いている。
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