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5俺の知らない顔
なぜ平太があんなにビビっていたのか、なぜ和泉や渉があんなに止めていたのか、その理由は、借り物競走が終わった後に分かった。
伊織は、退場門のすぐ近くに前園先輩と一緒にいた。心なしか、前園先輩は不安そうな表情だった。平太は伊織を見ると、いきなり頭を深く下げた。
「すみません! あの、そういう意味はなくて、俺むしろ雫を止めたんですけど、雫が聞いてくれなくて……もちろん小深山先輩の雫をとるとかそういうつもりはなくて、その……」
「ちょっ、え? 平太何言ってんの?」
平太の謝り方があまりにも本気で、俺は真剣に後悔し始めた。
「分かってるよ、顔上げて。借り物競走に出たのは雫だし、君はインタビューを受けてた時にちゃんと弁解してたよね」
伊織はそれに悠然として答えた。平太は恐々と顔を上げて、伊織の顔を見て、ほっとしたようにため息を吐いた。前園先輩も、安心した様子を見せた。
「僕は明塚くんのことを問いただすつもりはないよ。だから明塚くんも真空も安心して。さすがにそこまで周りが見えなくはない」
ゆったりと微笑む伊織は一見いつも通りだ。だけどどこか、違う。それから伊織は、俺に向き直った。
「雫。ちょっと話があるんだ」
「え……っと、俺に? 今?」
「うん、今」
困って平太を見ると、「自業自得だ。行け」と平太は促した。哀れむような目つきだった。俺は後悔しながら、伊織に頷いてみせた。
俺は黙って伊織の背中を追いかけた。伊織が一言も発しなかったからだ。伊織はやがて校舎内へ入っていって、無言で階段を上っていった。疑問に思いながら首を傾げていると、屋上の扉の前にある踊り場で伊織は立ち止まった。
俺は伊織が何か言い出すのを待っていたが、伊織は何も言葉を発さない。焦れた俺は、自分から尋ねた。
「ええっと……それで、話って」
「――何で、あのお題で明塚くんを選んだの?」
伊織は薄く微笑んで問いかけた。なぜだか嫌な汗がじっとりと滲んだ。
「何で、って……お題が一番仲の良い人だったから、なんていうか」
素直に事実を言おうとしたのに、伊織の異様な迫力に負けてしどろもどろになってしまう。それから言い終わるよりも先に、伊織が畳み掛けてきた。
「何で? 何で僕が一番じゃないの?」
伊織のその問いかけを聞いて、ようやく分かった。そうか、伊織は今、初めて俺に独占欲を露わにしているんだ。
それから伊織は、じりじりと俺に迫ってきた。その雰囲気に押され、俺はつい後退した。不意に背中に固い感触を感じる。壁に背が当たるくらいに後退してしまっていたようだ。
「何で逃げるの?」
伊織は小首を傾げた。それから突然、伊織は俺に覆い被さるように壁に手をついた。伊織の方が背が高いので、必然的に俺の逃げ場がなくなってしまう。
「ちがっ……逃げてる訳じゃなくて、ただ……」
「ただ? ただ、何だっていうの? ねえ何で? 何で僕じゃなくて明塚くんが一番なの? 僕じゃダメ? ねえ答えて?」
「伊織、違う、そうじゃな、」
前触れもなく唇を奪われた。あまりに急のことで、思考回路がショートする。
軽いキスなら何度かされたことがある。でも、こんな貪るように乱暴で深いものは初めてだった。息継ぎすらさせてくれない。次第に頭がぼうっとしてきたが、話をするために俺は何とか伊織を押し退けた。
「っは、伊織、待って! 違うから、ただ俺はっ……」
「……何で僕を押し退けるの? 僕とのキスが嫌?」
伊織のその静かな問いかけに、背筋が震えた。目が――笑っていない。
「さっきから違うしか言わないね。他の言葉が思い浮かばないんでしょ」
「違うって伊織、俺は――」
「ほらまた。何で? 何が足りない? 僕の何が明塚くんに劣ってるっていうの?」
反論する隙すら与えてくれない。これじゃ話ができない。
「ちがっ――」
いきなり肩を掴まれた。その力の強さに驚いていると、そのまま勢いよく抱き締められた。
「ねえ好きだよ雫。この世の誰よりも。君は僕の全てだ。分かってないでしょ? 僕がどれだけ君のことだけを想っているのか。好きだよ……好きだよ、雫」
伊織は耳元で囁いた。伊織は重い、という話は散々聞いていたけど、ここまでとは思わなかった。
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