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8俺の知らない顔

「ごめんね。雫がお昼食べてたらいきなり気持ち悪いって言い出してさ。ちょっと大変だったんだ」  伊織と夏目が少し申し訳なさそうな顔をしながら、俺の隣に座った。  午後の頭には応援合戦があった。俺は四組、伊織は二組、夏目は五組と、皆クラスがバラバラだったが、組ごとの応援席の指定はあってないようなもので、また一番見たいものは同じだったので、中央に近い四組の席を三人で陣取っていた。伊織の名前のせいか、それとも俺の名前のせいか、一番見やすい前の席に容易く座れた。 「夏目は体が弱いんだったか」 「弱い……っつーか、ただ食べ物が食えないだけなんすけどね。おにぎり一個くらいはいけると思ったんすけど、暑さでやられちゃったみたいで」 「……平気か?」  食べるのが苦手な夏目が気持ち悪いと言い出した、ということは恐らく、戻してしまったんだろう。それなのにまた炎天下の下に戻ってきて、大丈夫なんだろうか。  すると夏目は、「いやいや」と笑って答えた。 「いつものことなんで、全然平気っす」  俺はよく知らないが、色々と苦労をしてきているんだろうな、と思う。平太の幼馴染なんだから、楽な道は通ってきていないんだろう、とも。  そうやって話していると、一組の青団の応援団が応援合戦を始めた。俺たちが楽しみにしているのはもちろん五組――平太が応援団長を務める組だが、それ以外の団ももちろん圧倒される演技だった。 「やっぱりすごいね。うー、僕も運動神経が良ければ応援団やってたのになぁ」  伊織が羨ましそうに言う。それから俺に目をやって「真空は運動神経が良いんだから、一回くらいやれば良かったのに」と笑ってきた。 「あんな柄にもないことはできん」  少し苦い顔をして首を振ると、夏目が口を挟んできた。 「先輩以上に平太だってあんなキャラじゃないっすよ。ま、やるからにはちゃんとやらなきゃってそれなりに練習やってたけど」 「舞台祭の主役と団長のかけもちで大変そうだったよね、明塚くん」 「でもあいつサボ――力を抜くのが得意だから、やることが多い割には俺らといる時は涼しい顔してゲームしてたけど」 「それで台詞が覚えられるのか……さすがだな」  俺は去年、あんなに大変だったのに平太はゲームをする暇があるのか、と思わず感心してしまう。要領が良いからできることだろう。  そんな俺を見て、伊織が苦笑した。 「まあ、去年の真空はすっごい大変そうだったよね。多分真空は何でも一生懸命になり過ぎるんだよ」 「そうそう。あいつ全然すごくないっすからね? 何かと言い訳つけて文化祭の準備はほぼ手伝わねぇし、勉強だって宿題こなす程度だし、『周りのやつができてないんじゃ話になんねえよ。俺いなくってもいーだろ』っつって時々劇練とか援団練サボってたし」  平太らしい、と俺は苦笑した。だとしても、台詞を簡単に覚えられ、また応援合戦の練習も楽々とこなせるのは、ひとえに平太の要領の良さがなせる技だと思う。 「それに去年はシェイクスピアだったしね。台詞の難しさも量も半端じゃなかった。よくやり遂げたと思うよ真空は」 「そんなことはない……途中で台詞が飛んだしな。平太に助けてもらわなかったら、どうなっていたか」 「え? 助けてもらったってどういう――」  夏目が聞きかけたその時、しっ、と伊織が口元に人差し指を当てた。「そろそろ五組――橙団みたいだよ」  平太は朝から長ランを着て、頭にオレンジ色のハチマキを巻いていた。だから、そのままの格好で来るんだろうと思っていたが、 「あー、確かに高橋が平太をフル活用するって言ってたっけ」 「高橋?」 「五組の実質的な応援団長のやつ。あいつ本気で応援最優秀賞を獲りにきてるらしくてさ、最優秀賞決めんのって実行委員の生徒なんでしょ? だから」 「明塚くんにだけ違う格好させて脱がせれば勝てるって?」 「多分。あれは卑怯だわ」  夏目と伊織がのんびりと話す横で俺は、苦しいほどに急上昇する心拍数を落ち着かせるよう努めるのに必死になっていた。  夏目の言う通り、あれは卑怯だ。他の応援団は皆黒い長ランのボタンを一番上まできっちり留めてハチマキを巻いているのに対し、平太だけ格好が違った。平太だけ、真っ白な長ランの前を開け、ハチマキを巻いていたのだ。さっきまでは黒い長ランを着ていたはずなのに、それに脱ぐなんて聞いてない。  去年の文化祭の時にも思ったが、平太は白が似合う。全身真っ白なんてよほどかっこよくなければ似合わないはずなのに。どころか、長ランなんて下手をすればガラが悪く見えてしまう格好なのに、平太は爽やかで涼しげに着こなしてしまっている。  皆同じことを思ったのか、平太が出てきた途端、にわかに周りがざわつき始めた。 「平太、すごいっすよね? まーでも結構練習してたし、本番はこれからっすよ」  夏目が俺の方を見て、にやっと笑った。  和太鼓の音に合わせ全員が入場してきて、平太のみ真ん中に立ち、後は平太を挟むように二列になり、隊形を組み終わったところで全員一斉に顔を伏せた。ここまでは他の団とさほど変わらない。だがその後が、すごかった。  もちろん、平太以外もすごかった。足並みが揃っていて、応援合戦というよりは演舞と言うべきだろう。だが、それら全てが明らかに、平太を目立たせるためのものだった。  平太はセンターで一人だけ間違いなく目立つ格好にも関わらず、全く臆することなくむしろ周囲を圧倒していた。気迫が違う。恐らく芝居のように直感でやっているのだろうが、視線一つとっても計算され尽くしたような動きだった。 「ずるい……かっこいい……」  呟いたつもりはなかったが口からこぼれてしまったようで、二人に見られて初めて気が付いた。さらに顔が熱くなる。 「うーん、でも確かにめちゃくちゃかっこいいっすよね、平太。あれは惚れる」 「は?」 「じょ、冗談だよ冗談。決まってんじゃん」 「……なら、いいけど」  夏目と伊織のやりとりも、耳に入らなかった。そんな余裕はなかった。  目まぐるしく隊形を変えながら行われる応援合戦だったが、どの隊形でも必ず中央に平太がいた。中央で凛と舞う平太は、きりっと引き締まった精悍な顔つきをしていた。知らない。平太のあんなに雄々しい表情は知らない。  その圧巻のパフォーマンスは続き、最後の決めをする――んだろうと思っていたところで、突如平太が鮮やかなバク転を決めた。わっと歓声が湧く。そして全員で最後をかけ声とともに決め、終わった。  最後の決めで平太は、俺だけをまっすぐ見つめてきた。その凛々しく雄々しい表情のまま。かっこよすぎてどうすればいいのか分からない。蕩けてしまいそうになる。耳まで赤くなっているだろう今の俺はきっと、男らしさとは無縁の、相当情けない顔をしている。  五組の演技が終わり、全員が速やかに退散、しようとしたところで平太は不意に振り向き、俺と目を合わせ、ふっと微笑んだ。そしてくるりと向きを変え、去っていった。 「……はぁ……好き……」  最後に俺を見つめてきたり、目を合わせてきたり、反則だ。俺が照れることを分かっていて、やっている。恥ずかしくて堪らなくて、俺は思わず両手で顔を覆った。

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