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1忘れかけていた夢

「え? 生歌?」 「駄目ならいいんだけどさー……そこの部分だけ」  渉は衣装にビーズを縫い付けながら、苦い顔になる。今は舞台祭の台本が作り終わった後すぐの台本読み合わせだった。まだ衣装作りが佳境に入っていなかったので、最初くらいは、と簡単にできる作業をしながら渉が参加していたのだ。  気持ちは分かる。ホールニューワールドの部分だけ、自分で歌いたいといきなり雫が言い出したのだ。全てテープを流すつもりでいたのに。 「お前分かってる? そこ生歌にするってことはさ、俺も歌わなきゃなんねえの」 「あーそっか……駄目?」 「お前はいいかもしれねえけど……俺そんな歌えねえし」 「雫さ、そもそも歌えんの?」 「まあ……多少は」 「にしてもリスクありすぎねーか?」  三人で苦い顔を見合わせていると、あの、と一人が手を挙げた。高一の後輩だった。 「試しに今、一回歌ってみるのはどうですか?」  絶対に嫌だ、と俺は思っていたが、渉も雫も乗り気だったため、あっという間に歌うことになってしまった。俺は顔を思い切りしかめて、息を吸い、歌い始めた。 「……お前意外と歌上手いじゃん。何なの? そのハイスペックさ。ぶっ飛ばしたくなるわ」  途中で聞こえた渉の声は、聞こえないふりをした。何も歌うのが嫌いだとは言っていないし、下手だとも言っていない。ただ、雫と歌うのが嫌なのだ。なぜなら雫は、  雫が息を吸って、歌い始めた。途端、何となくざわついていた教室が、一気に静まり返る。――雫は歌が上手いのだ。それも並大抵の上手さじゃない。誰もが思わず聴き入ってしまうほどに、上手い。  こうやって雫とこの歌を歌っていると、昔を思い出す。雫は昔からこの歌を歌うのが好きだった。そして必ず、アラジンのパートを俺にやらせ、必ず俺にダメ出しをする。俺が歌えるようになったのは、ひとえに雫のおかげだった。  どんなきっかけでこの歌を好きになったのかは覚えていない。けれど気付けば、いつもこの歌に付き合わされてきた。俺が雫をゲームに付き合わせるように、雫も歌に付き合わせてきたのだ。  無趣味の俺と違って雫は音楽が好きだった。聞くのも好きだし歌うのも好きだし、それから習ってもいないのにピアノだって弾ける。それなりに恵まれた環境に生まれていたら、とっくにピアノなり声楽なりで大成していたかもしれない。やったことがないだけで、弦楽器や管楽器だって才能があったかもしれない。  それくらい雫には才能があった。なぜなら絶対音感があるのだ。人には言いたがらないし本人は生きるので精一杯のようだが、雫は絶対音楽の道に進むべきだと俺は思う。  俺が歌いたくない理由は、これだ。雫と歌うと圧倒的な「差」を嫌でも感じてしまう。俺がカラオケで友達に褒められる程度の実力だとすると、雫は路上ライブをすれば十人中九人は立ち止まって聞き惚れる程度の実力だ。  一番を歌い終えて、互いに曖昧に笑って顔を見合わせると、わっと拍手が起きた。何だか既視感がある。去年の台本読み合わせの時も、こんなことがあった気がする。 「多少どころじゃねーじゃん! プロだよプロ!」  渉が頬を上気させながら言う。雫が珍しく、顔を赤くしてはにかんだ。 「いやいや……そんなことねぇよ。人よりちょっと歌える程度だし」 「んなことねーよ! 俺本当に感動した! これ歌わねーと駄目だわ歌おう! ここの部分生歌行こう! 賛成の人拍手し――ああもう既に全員拍手してる! 決定! ここ生歌決定!」  あまり見ないほどに渉のテンションが上がっていた。喜色満面で渉は拍手をした。いつのまにかビーズをつけていた衣装を放り出していた。雫がさらに顔を赤くする。ここまで照れる雫は初めて見たかもしれない。 「あっ、もちろんお前も上手かったぜ、平太」  ひとしきり盛り上がって落ち着いた頃に、渉がフォローをするように俺に言ってきた。俺が言及されないことについて別に何とも思っていなかったが、渉にそう言われると無性にムカつく。 「超うぜえ。つーか俺と比べ物になんないくらい雫が歌上手いのは俺が一番よく知ってるから。せいぜい引き立て役になってやるよ」 「引き立て役ねえ……去年の四組の劇はお前以外皆引き立て役だったよな。今年はそうなんないみたいで安心だわ」 「俺以外皆って、さすがにそれは言い過ぎ」 「いや本当に言い過ぎじゃねーから。マジで。でも今年は歌の上手い雫とそれから――史也、お前めっちゃダンス上手いじゃん?」  名前の呼ばれたジーニー役の彼は「いやいやそんなこと――あるんですけどね!」と渉に言い、二人でわっと笑った。どうやら後輩だが渉と仲が良いらしい。普段渉は何も言わないが、ふとした時に渉の人脈の広さを思い知る。 「しかも主役はあの去年最優秀演技賞をとった平太だからな! もしなんかミスしても全部こいつが何とかしてくれるから! 絶対! それかもしも台詞忘れちゃって劇が止まっても多分、雫がアカペラで一曲披露してくれるか――あ、史也、お前舞台の真ん中でブレイクダンス踊るか!」  んなの無茶振りっすよぉ、という彼の言葉を無視して「とにかく!」と渉は少し声のトーンを上げた。 「今日以降の練習、俺は参加できねーから今言うけど、何があってもうちのクラスは絶対大丈夫! 絶対最優秀賞獲れる! だから皆、肩の力抜いて練習してこーぜ! ……じゃ、読み合わせ始めまーす」  実は渉には、仕切る才能があると思う。全員の不安を払拭したどころか、士気を一気に高めた。渉の言葉のおかげか、その日の練習は、初の読み合わせにしてはなかなか上手くいったのだ。

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