『なー、誰か買い出し行ってくんね？　衣装作る時のミシン糸足りねーよ。誰か暇なやつ――あっ、平太と雫、お前ら劇練なくて暇だろ？　行ってこいよ』 『はあ？　何で俺らが行かなきゃならねえんだ』 『お前らいつもは劇練ばっかで準備の方参加しねーじゃん。たまには貢献しろ』 『面倒くさ。絶対やだ』 『まぁいーんじゃね？　俺らここにいてもやることないじゃーん？　んなら買い出し行って途中テキトーにサボろーぜ！』 『んー……ま、それなら行ってもいいけど』 『はー？　ミシン糸ないと何もできねーんだからさっさと戻ってこいよー』 　劇練が終わった後――今日は全日劇練だったので放課後にあたる時間だ――に渉とそんな会話をして、俺と雫は買い出しに出た。 「平太ぁ、ミシン糸何色が切れたって言ってたっけ？」 「えーっと、白じゃね？　確か」 「りょーかい」 　そう言いながら百均で白いミシン糸を取りながらふと「すげぇよな、渉」と雫は呟いた。 「布と糸からあんな衣装作っちゃってさ。すっげえかっこいい顔してダダダって鬼のように縫ってっちゃうもんな」 「な。衣装作ってる時の渉をかっこいい……って顔して色んなやつが眺めてんの、あいつ気付いてねえんだろうな」 「絶対気付かないだろー！」 　雫はそう笑った後、ふっと真顔に戻った。どうしたんだろう、と思いながら見ていると、雫はぽつりと呟いた。 「ホントかっこいいよな、渉……将来はデザイナーか舞台衣装やるって言っててさ。和泉も、親の喫茶店継ぐって言ってたっけ……かっこいいよなぁ……」 　雫は確か今日、史也に夢を聞かれた時も暗い顔をしてたっけ。俺はスクバを持ち直してから、尋ねた。 「雫、お前の夢は？」 　雫は少し驚いて俺を見ると、「なんか……分かんないんだよね」と呟いた。 「今まではほら、生きることだけでいっぱいいっぱいになっちゃってて、夢とかそういうの考える暇もなかったんだけど……昔からずっと、人前で歌うのに憧れはあったんだ。で、読み合わせの時に皆の前で歌って、あ、俺がしたかったのはこれだ、とも思った。今まで忘れてたけど多分、俺の夢ってそれなんだよね。……でも」 「でも？」 「何か、歌手になる人って小さい頃からずっと憧れ続けてんじゃん？　そういう人に比べると、俺って本気度とか足りないから……ほら、今まで何も練習してこなかったしさ、ましてボイスレッスンみたいなのもオーディションとかも一切受けたことないし。だから夢って言うのは気がひけるっていうか……そうなると俺は将来何を目指せばいいのかなぁって」 　雫の悪い癖だ。自分をすぐ否定するし、仮想敵を作りたがる。そう思った俺は「お前さぁ」と口を挟んだ。 「何で自分で自分の夢潰すんだよ。お前誰に遠慮してんの？　誰かがお前は歌手を目指すなって言った？」 「言ってない……けど、自信ないからやっていける気がしねぇ」 「雫が自信ないのなんていつものことじゃん。お前は自己評価が低過ぎんだよ。つーかやりたいことがあるだけですげえからな？　俺なんて特にないし」 　そう言っても雫は納得できないようだ。俺はため息ひとつ吐いて肩をすくめた。 　帰ってからの電話で雫との話を話すと、真空さんは『自分のやりたいものが反対されないなら、目指すべきだと俺は思う』と答えた。 　夏休みが明けてから、特に用事はなかったが俺と真空さんは毎日電話をしていた。迷惑だからやめようと思ったこともあったが、真空さんも「もしもし」と電話をとるときの声はとても嬉しそうだから、つい毎日してしまうのだ。 「そういえば真空さんは、医者になってたくさんの命を救う夢を父親に反対されたんでしたっけ」 『ああ。今は経営者として努力をして、より多くの命を救うのが夢だが』 　そうきっぱりと言う真空さんは、純粋にかっこいいと思った。それからふと、自分の危うさに気付いた。真空さんも、渉も和泉も、雫ですらも、やりたいことが見つかっている。小深山先輩は多分、当然のように親の跡を継ぐのだろう。俺だけが、やりたいこともやるべきことも、何もない。 　やりたいこと――何度考えても、何一つとして浮かばない。俺は何がしたいんだろう。今の友達とずっと仲良くしていたい、真空さんとずっと一緒にいたい、そういうことじゃなくて、俺自身がしたいことが、何もない。何でもそつなくこなせるということは、特に目立った長所がないということじゃないのか。 　黙ると、真空さんが不安げに『平太？』と尋ねてきた。 「いや……他の人と比べて俺って、何もないなぁって思ったんです。そこそこ給料のいいホワイト企業に勤めることが昔からの夢なんですけど、このままこれを目指していいのかなって」 『俳優になればいいだろ』 「俺は芸能界でやっていけるほど才能はないですし、なる動機も覚悟もないですよ」 『動機と覚悟は俺からは何とも言えないが、才能は間違いなくある。去年の舞台祭でスカウトされた相手から、今でも電話が来るんだろ？　それだけ見込まれるくらい平太には才能があるって証にならないか？』 　確かに、舞台祭の時のスカウトマンと街で再会した時、うっかり電話番号を教えてしまったものだから、今でも電話がかかってくるのだ。 「……かもしれませんけど。でも俺はそもそも目立ちたくないです」 『そう……だな。だが、目立たず平穏に過ごすことはそんなに大切か？　そうやって過ごそうとしてきた今までより、今の方が楽しいって言ってただろ』 　体に染み付いた、いわば習慣でもある「面倒事を避ける」という癖を正面から否定されて、俺は面食らった。確かに、今の方が格段に楽しい。それは間違いない。 　ならば俺は、どうして今まで面倒事を避けることばかりに執心してきたのか。しばらく黙って考えて、家庭環境のせいだろうと結論付けた。幼い頃から父親と兄貴のいざこざに振り回されてきたからこそ、ここまで俺は無気力に育ってしまったのだろう。 　しかしそれは、過去に囚われ続けていることにならないだろうか。 　兄貴は、千紘さんのおかげで変わって、今じゃ他人に弱音を吐けるし無理に自分を取り繕い過ぎないようになった。雫ももちろん、小深山先輩のおかげで変わった。過去から抜け出しつつあるのだ。――だけど多分、俺だけがあまり変われていない。 　俺は変わった方がいいのだろうか。何かを見つけた方がいいのだろうか。そんな事を最近はよく、考えてしまう。思春期だからだろうか。 「……でも、こんなに今楽しいのは真空さんのおかげですから、それとこれとは――」 　そう思っていたのに、俺の口は勝手に言い訳を紡いでいた。真空さんは虚をつかれたように、口をつぐんだ。だが、 『そ、それは……嬉しい……が、芝居だってそうなるかもしれないだろう』 「真空さんくらい大切なものになるかもしれない、ってことですか？」 『た、大切……』真空さんは照れたように口ごもると、咳払いをした。『……あ、ああ。事実、楽しいって言ってただろ。それに俺から見ても、平太は楽しそうだった。ゲーム以外で何かを楽しいと思うのは、なかなかないんじゃないのか？』 「……言われてみれば」 『だろ？　……まあ、俺が個人的になってほしいのもあるが。少し考えてみる価値はないか？』 「……あるかも、しれないです」 　すっかり真空さんにほだされてしまった。気付けば俺は、何度スカウトされても全く心揺らがなかったのに、そう答えていた。 　真空さんはそれを聞いて、よかった、と嬉しそうに笑った。